昭和33年の日蝕
50年前,昭和33年(1958年) 小学校4年生のとき 福岡県で日蝕を見ました。
記憶は次のとおりです。
・ その年,中学校の数学教師から転任してきたM先生(男性)が4年3組の担任になった。
・ M先生は 「今日,日蝕を見るので 急いで帰宅し,昼食をとって ろうそくで煤をつけた“すりガラス”を持って学校に集合。希望者のみ。」という指示を出した。
給食がなかったので土曜日ということになる。
・ たまたま 家に 割れた適当な大きさの“すりガラス”があった。
・ 我々のクラスだけが集まっていた。
・ 天気は良かった。その時,日暮れ前のように暗くなり,気のせいか冷たい風が吹い た。(理屈を知らない未開人にはやはり 怖い現象に見えるだろう,と思った。)
・ 煤付き“すりガラス”で見た三日月型太陽の形や三日月型の木漏れ日の記憶はない。
・ 「次に この地で日蝕があるのは約50年後の21世紀だ。」とM先生は言った。自分が何歳になっているかを計算し,「まだ生きているかも知れない。」と思った。
このことを確認するため調べてみると
・ 「1958年4月19日(土)に日本列島全域で部分日蝕(各地の蝕分は宗谷岬:0.63,東京:0.88,私が住んでいた福岡:0.87,那覇:0.93)が見られ,八丈島では金環蝕が見られた。(蝕分:太陽の隠れている部分の割合,1.0以上は皆既日蝕。)」
→ 土曜日は記憶どおりでした。4年生になって間もない頃だったことを知りました。福岡の蝕分:0.87 は納得の値です。(本当は もう少し大きいと思っていました。)
・ 「福岡では 11:05に始まり,12:55に最大蝕分 0.87となり 14:41に終了した。」
→ 私の記憶より 時刻が早い。「土曜日 午前中の授業が終わってから 昼ご飯を家で食べて 学校に戻って 初めから見た。始まりは14時頃。」の記憶とは合いません。
来年(2009年)7月22日,日本各地で日蝕が見られるとのことです。
(奄美大島北部,トカラ列島,屋久島,種子島南部などでは皆既日蝕)
福岡での蝕分:0.90 です。
M先生が言ったのは この日蝕だったのでしょう。
何とか生きていましょう。
追記 : 最近,日食という表記が多いようですが 日本食堂のような感じがするので敢えて 日蝕,蝕分と書きました。
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コメント
「BS映画好き」さん,コメントありがとうございます。
「ものすごい記憶力」には恐れ入ります。
問題は 昔の記憶はあるのに,昨夜 何を食べたのかの記憶がないことです。
投稿: 管理人 | 2016年3月 6日 (日) 07時15分
私も小学生の時に日蝕を校庭で観察したのを思い出しました。いつのことだったのかがわかりましてありがとうございました。昭和33年4月19日(土)。この時校庭に映った木漏れ日の形が三日月よりももっと肥えた形だったように記憶します。神戸市内の小学4年生でした。貴兄と同じ学年であることがわかりました。それにしましても ものすごい記憶力で敬服しております。
別のところにあった米穀通帳の話題。
私は大学の寮に入る時に持参しました。事前に区役所まで取りに行きました。
投稿: BS映画好き | 2016年3月 5日 (土) 23時20分