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2008年8月の31件の記事

2008年8月31日 (日)

色づかいの配慮は

会社帰りの電車に偶々座ると 前に同年輩に男性が立ちました。すっきりしたセンスと思ったのですが ちょっと落ち着きません。紺のストライプのボタンダウン・シャツにノー・タイ,紺のブレザー,グレー系グレン・プレイドのパンツ,茶色のローファーまでは良かったのですが,ベルトが黒でした。それなりの格好をしているのに 靴とベルトの色を合わせるという基本的な知識がないのが不思議でした。腕時計のベルトも靴の色に合わせないとバランスがとれません。

私は茶色の靴はCasualでしか履きませんが,時計へのこだわりがないので何個も時計を持っておらず,茶色のベルトの腕時計は持っていません。金属のベルトで逃げています。

ウールのスーツを着たときの靴下も注意が必要ですね。「スーツと同系色でスーツと明度が同じか低い色」が原則でしょう。靴下はパンツと連続したものと考えるべきで,柄やワン・ポイントは不要です。私はグレイ系のスーツしか着ないので スーツ用の靴下は3種類,「グレイ」,「チャコール・グレイ」,「黒」 のリブ編み無地しか持っていません。「ライト・グレイ」があるときはプラスされます。どちらかと言うと 多種類の靴下を持つのが面倒だし,場所をとるので 就職して一度も紺系,茶系のスーツを持たず,グレイ系のみにしているのです。つまり,靴下管理の簡便さを重視して スーツの色を制限しているという本末転倒とも言えるの怠け者のようです。靴下で目立とうと思ってはいけません。最近はありませんが,以前は時々,靴下を「お返し」なんかでもらうことがありました。これらを一度も履いたことはありません。

因みに,今は Socksしか履きませんが,若い頃は 皺になるのが嫌で 全て 膝下までのHoses(ホーズ)でした。止めた理由? 妻帯者になって 肉が付き ホーズの上端がフクラハギを超えるのが困難になったというお粗末。

昔,新聞か何かで「シックな装いの色づかい」(“シック”の定義が明らかではありませんが。)を誰かが書いていて,それには「身に付ける色は5色以内。」とありました。しかも この5色に 「肌の色と髪の色も含める。」とあって,結局,着るものに使える色は三つしかないことになります。それを守っているわけではありませんが,時折り 意識することがあります。靴下で一色を,それもワン・ポイントなんかで使うことはできません。

世の中,色が氾濫し過ぎです。

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2008年8月30日 (土)

新交通システム「ゆりかもめ」に関して

夏休みが終わります。

新橋と台場を結ぶ「ゆりかもめ」を通勤に使っている者としては喜ばしい限りです。

台場(特にビッグ・サイト)でイヴェントがあると混みますが,それらは数日で終わります。

夏休み期間は1日の例外もなく混み続けます。台場の 某放送局のイヴェントが主原因と思われ,普段,通勤電車に乗りなれない多くの主婦と未就労の子供達が 退社の時刻に合わせたように乗っています。

それにしても「ゆりかもめ」の,空港内の交通装置並みの小さい車体,少ない連結はどういう考えで決めたのか,何の制限で決まったのか不可解です。

数年前のテレビで 「台場の地下共同溝(電線,水道,ガス,ゴミ回収など)は まだフル能力の50%しか使われていない。」と言っていました。まだ 多くの空き地があるのでビルの数が今の2倍になっても大丈夫と言うことですね。

共同溝は大丈夫でも 台場に行く交通機関は大丈夫ではないでしょう。このアンバランスな計画はどういうことなのでしょう。

台場がオリンピック会場になったら 大変ですよ。

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2008年8月29日 (金)

通勤の友

Img_0550片道 1.5時間の通勤時は iPOD Classic(80G)にジャンルを問わない曲を入れ,ただ音楽を聴いています。

あまり音質には拘らないので 初めは iPODを買ったときに付いていたイア・フォンを使っていましたが,電車の騒音が邪魔なので カナル式に換えようと思い,ついでに Noise Canceller付きにしました。

高音のノイズは技術的に難しい(高周波ノイズの反位相の音を作るのは)のか有効ではありませんが,低音域(波形の応答が簡単?)は効いているようです。クラシック音楽の強弱差が大きい曲も聴けるようになりました。

SONYのMDR-NC32NX という製品で ネック・ストラップにバッテリーボックスが付き,本体からiPODまでのケーブルが短く,iPODを上着の内ポケット 又は シャツのポケットに入れるとケーブルの弛みはほとんどなく 邪魔になりません。

もともとは 小型軽量のMP3プレーヤーを本体につなげ,ネック・ストラップにぶら下げて使うように設計されているため ケーブルが短く iPODを胸のポケットに入れなければ使用できません。ぶらさげるためのループを シャツのボタンに掛けて ネック・ストラップがずれるのを防止しています。

時々,車内で 演説をしているのではないかと思って振り返るような大声で話している人の,聞きたくもない話を聞かないで済むようになりました。

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2008年8月28日 (木)

iPOD用マイクを何に使いましょうか

Img_1043アメリカ映画を観ていたら iPODを伝言の録音/再生に使っているシーンがあって,便利が良さそうなので 大した目的もなく Belkin Corporationの “TuneTalk Stereo” という iPOD用のステレオ録音マイクロフォンを購入しました。

接続すると自動的に 「ヴォイス・メモ」のメニューが出てきます。

そのうち 使う機会もあるでしょう。

(接写したら 指が写り込みました。)

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2008年8月27日 (水)

あれは 若き日の鮎川 誠?

映画 「ジャージの二人」に主演した 鮎川 誠氏,ロックバンド 「シーナ&ザ・ロケッツ」 リーダーのロック・ミュージシャンにして 作曲家,俳優,コマーシャルタレント(?)の団塊世代快男子。

映画を観ていませんが,映画では標準語で演じているのでしょうか。彼のロッカーとは思えない正統博多弁(久留米弁かな?)を聞いていると 標準語をしゃべる気がないような感じがしますね。

彼は 母親の言いつけを守り,ロックを続けるためのみ(?)に一浪してK大学に入ったといいます。

私も 一浪してK大学に入り,しかも同学年(学部は違いますが)なので,朝のターミナル駅のように学生で溢れる狭い教養部キャンパスで 彼と同じ時間を過ごしていたことになります。

ここで 思い出すことがあります。

当時(1968年頃)は,まだ学生服に黒革靴の学生もいた,今の学生の格好からすると想像できないくらいにクラシックでオーソドックスなファッションの時代でした。

その中で,ある日,変わった風貌の男が目に留まりました。

その男は 日本人離れした容貌,長身痩躯に フェルト・ペンで何やらいたずら書き(?)をした長い白衣をまとい,飄々と歩いていました。

最近,思います,

あれは,ひょっとすると 若き日の 鮎川 誠氏ではなかったのかと。

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2008年8月26日 (火)

ボルトの400mを見たい

北京五輪の最も印象的なアスリートは 陸上100m200mで世界新記録を出して優勝したジャマイカの ウサイン・ボルトで 毎朝 420分起床の私も 深夜(?)Liveで しっかり見ました。

「彼は 400mを走らないのか,走れば この種目でも世界記録が出せるのでは?」 と思っている人は世界中にたくさんいると思います。

今まで 世界的短距離選手は 「100m200m」 又は 「200m400m」 という組み合わせでしかいませんでした。 前者は カール・ルイス,後者は マイケル・ジョンソンが代表的でしょう。

但し,200m400mの両種目を専門にする選手は稀で,400mの過酷さ故,それのみを専門とする選手がほとんどらしく,マイケル・ジョンソンがこの2種目の世界記録を持っていたのは極めて特殊だそうです。

しかし,ウサイン・ボルトなら 更に驚くべき記録を作れるのではないか,すなわち 100m200m400mの三冠を獲れるのではないかと期待しています。

400mの世界記録はマイケル・ジョンソンの 4318です(ですね?)。

ウサイン・ボルトの 北京五輪での 100m200mの走りなら 100mを平均105で走って 計:42秒,スタートの加速時間として0.5秒プラスして 合計: 4250 がベスト・タイム,ラスト 100mが11秒かかったとしても 4300,うまくいけば43秒を切れるのではないかと 勝手に思っています。

これは 北島選手の100m平泳ぎ決勝での泳ぎにおける 少ないストローク数で競合選手と同等,もしくはそれ以上のスピードを出せる技術が ボルトの場合は大きなストライドに相当し,後半に発揮する力を温存できるのでは-と素人ながらに考えるからです。

楽しみです,待ちます。

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2008年8月25日 (月)

Collar Stayの保管

Img_0754ドレス・シャツのCollar Stay(襟芯)を保管しすぎています。この10年以上,レギュラー・カラー・シャツは冠婚葬祭くらいでしか着てないので 現在,3枚しか持ってないのですが,Collar Stayを数えると11対ありました。

洗濯の度に外し,着る前に付けるので 失くしがちで注意して保管していていたら 多くなり過ぎました。全て同じメーカーなのに(1種類 金属のものは違う)買った時期により 微妙に長さが違うので いざシャツに付けようとして慌てることがあります。

因みに Stayは 「支え」の意味です。( 「襟をStayさせるための Collar Stay・・・」などと書いてあるCollar Stayの販売サイトがあって驚きました。) 例えば 船のマストに付いている倒れ止めのための斜材をStayと言います。張力で支える “Wire Stay” なんかもありますね。

いずれも 地味ですが 重要です。

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2008年8月24日 (日)

初めての「四角まめ」

Img_1010

ワイフが新宿あたりに用事で出かけ,高島屋の食品売り場で見つけたという「四角まめ」(写真分:税込み 105円)という沖縄産の野菜です。

まだ食したことがないものがこの世にあるんですね。生きる勇気が湧いてきます。

「てんぷら」で食べました。

「さくさく」の歯ざわりが気持ちいい。

種の感触はありません。

味は・・・ないです。

Img_1011 

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2008年8月23日 (土)

BISLEYで整理整頓(しようと思う)

Img_1028整理が難しい小物の数が増え あちこちに置きっぱなしとなり,ワイフに「何とかならない?」と言われ続けて考えました。

その結果,片付けるには 片付ける場所/什器がいる,それには 引出し付きCabinetが一番いいだろうと思い,適当なものを探しました。

初めは木製のものを考えたのですが 適当な既製品がなく,最終的に購入を決めたのは 引出しの種類,デザイン,色,大きさから英国製 BISLEYの “29シリーズA4” Steel Cabinetです。(残念ながら,価格は 決して 購入理由にはなりませんでした。)

2ヶ月間弱探しましたが,初めのうちに 青山のショールームで見ていたBISLEYに 「色」と「引出しの種類と組み合わせ」で勝ると思えるものがありませんでした。

A4が余裕をもって入るサイズで 天板を置けば机として使える高さ:673mmです。引出しの深さの組み合わせが異なる5種類の中から 次の2種類としました。

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【29/8B】22mm×2+51mm×3+102mm×2

【29/10】51mm×10

狙いは 色々な大きさの物を重ねないでフラットに収納できること,引出しごとにName Cardが付けら れ迷わないことです。

色は 9種類の中から ワイフの意見を採用して緑としました。私は赤か黄がきれいで どうかな,と思ったのですが 却下されました。

引き出しの中に入れる 仕切りTrayも 51mm用を全種類 買いました。役に立てば追加するつもりです。Img_1034Img_1035 Img_1033 

Img_1032Img_1031                         

   

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2008年8月22日 (金)

旅の友

Img_0296出張時に 鞄の隅に入れておく「折り畳み式 孫の手」です。

折り畳み時の長さ:22.5cm,

使用時の長さ:41.5cm。

常時 売っている店は知りませんが,神宮外苑の「銀杏祭り」に出店する竹細工(?)の店で購入します。ヒンジ部の強度がやや弱く,このときしか買う機会がないので 一度に2本買います。

出張先のホテルで 「痒いところに手が届かない」 イライラはこれで解消。

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2008年8月21日 (木)

棒高跳び 5m そして ターザンになれなかった男

北京五輪の女子棒高跳びは 下馬評どおり ロシアの エレーナ・イシンバエアが 5m05 の世界新記録で優勝しました。

女子の5mは見事なものです。

ところで 男子が 5mを超えたのはいつだろうと調べてみると 東京オリンピックの前年 1963年(昭和38年)でした。

歴代の世界記録を見ていて 見覚えのある名前に気付きました。

アメリカの ドン・ブラッグ(Donald Bragg)です。彼は 1960年(昭和35年)のローマ・オリンピックで 4m80の世界新記録で金メダルを獲りました。この記録は 金属ポールによる最高記録だと思います。その後,グラス・ポールになって 棒高跳びは ポールのしなりの反発力を垂直方向に使うという より高度な技術を要するスポーツになりました。

ブラッグを見たのは おそらくローマ・オリンピックの前後に日本で開催された競技会に参加したときのテレビ中継で,私は小学生だったと思います。

記録や他の出場選手などの記憶はありませんが,ふたつのことを覚えています。

1.競技会は屋内だった。

2.「彼は この競技会の後,引退して ターザン映画に主演する予定です。」とアナウンサーか解説者が言った。

しかし,彼が出演したターザン映画がいくら待っても公開されず,しばらく気になっていましたが,そのうち そのことを忘れました。

今回,歴代ターザン俳優を調べましたが 彼は いませんでした。又,MGM映画の1960年代に公開されたターザン映画 4本にもいませんでした。

日本のサイトはここまでで それ以上の Donald Bragg に関する情報はありませんでした。

どうも気になるので アメリカのサイトをいくつか調べた結果,概略 次のことが判りました。

・D.Bragg は子供の頃から ターザン映画に出るのが夢で それを実現するために アスリートになった。

・ローマ・オリンピックで金メダルを獲ったとき 彼はターザンの雄たけびをあげた。

・引退後,独立プロ(?)の映画でターザンを演じた。しかし,著作権の問題でその映画は公開されなかった。

・その後,ニュージャージーの小さなカレッジで体操指導員となり,Summer Camp のOwnerにもなった。

MGM映画のターザンにはなれなかったのですね。

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2008年8月20日 (水)

アジアの鉄人

北京五輪で金メダルを期待された 中国の110mハードルの劉翔氏が予選でアキレス腱を痛めて棄権し,中国国内で物議を醸しています。彼のニックネームは 10代から頭角を表し,急速にトップ・レベルに成長した為,「アジアの昇り龍」というらしいです。

かつて,中国人の陸上選手で世界レベルだった人に「アジアの鉄人」がいました。

ハンマー投げの室伏広治氏の父親で 現在も 日本歴代2位の記録を持つ 室伏重信氏は「アジアの鉄人」と呼ばれるようですが,世界的に通用する 又は 通用した(初代) 「アジアの鉄人」は 台湾の十種競技選手 楊伝広 (“ヨー・デンコー” と発音していました。) 氏でしょう。

楊伝広 氏は 1960年(昭和35年)のローマ オリンピックの十種競技で銀メダルを獲り,1963年に世界記録を出し,1964年(昭和39年)の東京オリンピックに臨みました。高校1年生だった私が このオリンピックで もっとも活躍を期待し,楽しみにしてテレビで見たのが マラソンのアベベと彼でした。東洋人が十種競技という過酷で 並外れた能力と技術を必要とする種目で世界のトップに立つというのが信じられず 同じ東洋人として誇らしい思いを持っていました。

残念ながら 楊伝広氏は 体調をくずし 東京オリンピックでは5位に終わりました。

しかし 今でも「『「アジアの鉄人』は?」と問われれば 私は “ヨー・デンコー” と即座に答えます。

去年 亡くなったことを今回,調べて知りました。

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2008年8月19日 (火)

“シンダイ” って 何大?

世の中には 所属するグループや生活する地域内で使用・通用する略称や符丁があります。それらの中にはそのグループや地域の外で通用するものも稀にはありますが,外の世界では使わないのが常識です。

仕事の世界で 社外組織を交えての会議の席や議事録で 自社内で決めている略称や符丁を使う人が 時々います。このような間違いを犯す人の意識,自分が どこにいて どのような立場なのかの認識がどうなっているのか 理解し難いところです。

最初にこのことを感じたのは 30余年前の就職試験のときでした。試験は初日に筆記試験があり,数日後に筆記試験の合否結果の発表,合格者は面接試験に臨む,というスケジュールで行われ 地方から出てきた学生は 少なくとも筆記試験の発表までは東京に滞在する必要がありました。

いくつかのホテルや旅館を会社が準備し,私は10人ほどの地方から出てきた学生と一緒に旅館に泊まりました。一同に会した夕食のとき 全員の自己紹介(といっても 大学名と名前のみ)を行いました。

そのとき 所属大学を “シンダイ” と言った学生がいました。 東大,京大,阪大などの旧制帝国大学クラスなら判りますが(それでも 彼らは普通,フルに大学名を名乗る。),例え日本にひとつしかない略称でも それが通用するのは せいぜい県内と考えるべきで,県外に出て このような場所で言ってもらっては困ります。少し驚き,少し腹が立って 思わず 「“シンダイ”ってどこですか?」と聞いてしまいました。地元ではそれなりのステータスがあって「どうだ!」と思って暮らしているのかも知れませんが 全国の大学から学生が集まっている場で通用すると思っている,もしくは 通用するかどうかを疑う意識がない無神経な学生と同じ就職試験を受けると考えると少し憂鬱になりました。

何大学だったかは 忘れました。

調べると 「新潟大学」,「信州大学」,「神戸大学」など(他にあるかも知れません。)が “シンダイ” と呼ばれるようです。

地元を離れれば 判別しようがありませんね。

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2008年8月18日 (月)

100m決勝のボルトを見て思い出したアスリート

北京五輪,8月16日 陸上男子100m決勝で世界新記録を出して優勝した ジャマイカ,ウサイン・ボルトの人間離れした走り,特に 他選手との力の違い(まるでインターハイの選手と国際陸上大会の選手の違いのような)に驚きました。

とてもオリンピックの決勝レースとは思えない様相でした。記録では,決勝に進めなかった タイソン・ゲイが追い風とは言え 968 を出していたし それほどの差はないと思っていましたが とんでもないことでした。 同じレースを走って ボルトにゴールまで気を抜かせない選手は初めから存在していなかったということでした。 そのような差があることを報じたメディアはなかったようで 「ボルト,パウェル,ゲイ 3人の勝負」という前評判がもっぱらでした。 本当に 気付いていた人は誰もいなかったのでしょうか。 今年から 本格的に100mを始めたらしいので 判らなかったのでしょうね。

ボルトのすごさは 他選手のように 息を止めて全神経を集中し,全力で走っているようには見えないところです。スタートダッシュから中間点までの全力の走りにも余裕を感じてしまいました。それでいて 他選手が及ばないスピードを出しているのです。

私が そのような感じを持って見た陸上選手が かつていました。

1964年(昭和39年) 東京オリンピックの 200mで金メダルを獲った米国選手 ヘンリー・カーです。1963年に200mの世界記録を出しています。

今となっては 覚えている人は少ないと思います。ボルトとはレベルが違うかもしれませんが当時,彼の走りに興奮しました。

私が それを感じたのは 4 × 400m リレーのアンカーとしてヘンリー・カーが走った時で,力みのない流れるような,スピードを感じさせないフォームで400mを,まるで10,000mを走るように走りました。それでいて 後続選手との差は開いていったのです。 このときのアメリカ・チームは世界新記録で金メダルを獲りました。

私は高校1年生でテレビで見ていました。 

余談:当時の校長が陸上の公式審判員でこのオリンピックに審判として参加し,ヘイズが走った100mゴールの計時員台(当時は ストップウオッチで計測していた。)に座ったりしていました。

オリンピックが終わってしばらくして 高校の体育館のアサガオ型拡声器が 高級そうなスピーカーに変わりました。うわさでは オリンピックの体操会場で使用したスピーカーを土産にもらって帰ったとのことでした。 「さすが オリンピック,金に糸目をつけず高級なものを使っている。」と我々は感心していました。

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2008年8月17日 (日)

HartmannのTrademark?

Img_0924

1998年に 米国をShippingされたHartmann Luggageが入っていたダンボール箱に印刷されていたマークです。

A LITTLE MORE MONEY・A LOT MORE BAG (TM) ” と書かれています。TMはTrademarkでしょうね。

私の能力では うまい日本語訳は不可能です。 どういうニュアンスなんでしょうか。

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2008年8月16日 (土)

豚マメでキドニー・パイ

英国の家庭料理 キドニー・パイ(Steak & Kidney Pie)の材料は 「牛肉」と「牛マメ」と全てのレシピに書いてありますが,1kg 買った 「豚マメ」を敢えて使って ワイフが作りました。

Img_1001 焼く途中で アルミ・フォイルを被せるのを忘れたとのことで 表面を焼きすぎたようですが 見栄えは悪くありません。

野菜は 「玉ねぎ」と「マッシュルーム」で,「豚マメ」は「牛肉」とほぼ同量の200g。

いい味でした。

Img_1003

一緒に食べた娘が 「ロンドンで食べたキドニー・パイはもう少しトロッとしていたけど この味は悪くない。」との感想。

ワイフ,「ロンドンで食べたことがあるの?」。

娘の話によると 10年前の夏休み(娘は中学生)に家族旅行で ロンドンに1週間行ったとき 昼食に入った店で ワイフが注文したのを娘が少し食べたことがあり,当然,ワイフは食べた,とのことでした。  ワイフには その記憶がなかったので ロンドンの味は参考にできなかったようでした。

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2008年8月15日 (金)

勧誘員さん,目的語は何?

世の中,電話やら戸別訪問やらによる販売勧誘が絶えません。

私は 自ら欲しいと思ったものを自ら選んで,又は探してしか買わないし,契約しないので これまでアポイントなしのセールスマン/ウーマンの勧誘に乗ったことは一度もありません。それは 新聞の定期購読勧誘も同様です。

30歳の頃,一人でアパート暮らしをしていました。休日の昼前,まだ寝ていた時にチャイムがしつこく鳴るので出て行くと,Y新聞のかなり強面の勧誘員でした。

「Y新聞をお願いできませんか?」

私は寝起きで機嫌が悪かったので 「何をお願いしたいんですか?」と意地悪に言ってみました。

私の意図が理解できないのか 「Y新聞を・・・」と言う彼。

「で,何をお願いしたいですか?」

「だから,Y新聞を・・・」

その調子で 何回か繰り返し,最後に 彼は何か捨て台詞を残し 帰って行きました。

私からすると 「Y新聞をお願いします」では不正確なので不合格。「Y新聞を定期購読する契約をお願いします。」と言ってくれることを期待していたのですが,通じなかったようです。お願いされていることが明確でなければ 承諾することは勿論,断ることもできない,というのが理屈です。

「Y新聞をお願いします。」では  Y新聞の発展を応援してくれることをお願いしているのか,Y新聞が落ちていたら拾ってくれることをお願いしているか(常識的には考えられないでしょうが) 判らない。少なくとも勧誘員さんには 「お願いしたい」ことを 正確に言ってもらいたいと思うのです,特に 相手が寝起きの悪い男の場合には。

その時,もし 正確に言われていたとしても断りましたが。

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2008年8月14日 (木)

次の作品は?原 尞 さん

20年ほど前,2歳違いの兄から 次のような話を聞きました。

「大学の軽音楽部のJazz Comboで一緒に演奏していたことがあって 卒業後,東京に出てプロのジャズ・ピアニストになった男が小説を書いて 直木賞をとった。学生時代,我々アマチュアとは違ってプロ並みの演奏をしていたけど 今度は小説とはね。 

その人が 私立探偵・沢崎を主人公とするハードボイルド小説 私が殺した少女」で1989 102 直木賞を受賞した  尞氏でした。

あまり 本を読まない私ですが その時,文庫本になれば読んでみようか,と思いました。

そして いつの間にか1988年に出版された処女作そして夜は甦る」を含め 沢崎シリーズの「天使たちの探偵」(1990年),「さらば長き眠り」(1995年)まで読み,次はどうなっているんだろうと心配していたら 9年余りの沈黙の後,2004年に「愚か者死すべし」が出て,それを知りながら じっくりと文庫本を待って これを今年の初めに読みました。

「アメリカのハードボイルド小説の翻訳調」というのが初めて読んだときの印象でした。これはおそらく,それまでの日本人作家にない比喩を用いた心理描写,情景描写のせいだったのでしょう。

若い頃,暇つぶしに読んだ 誰が書いたかも覚えてない 「秘密諜報員モノ」で 日本に来た主人公が 「しゃぶしゃぶ」を食べるシーンがあって,ここで彼は思うのです。「今,『塩と胡椒』 を手に入れるためだったら二,三人殺ってもかまわない。』(ちょっと違うような気がしますが 内容は近いと思う。)に 「肉は『塩,胡椒』で食するに限る」と思っている私は感激したのでした。

原尞氏は そこまで過激ではなく上質な比喩を用いた描写をちりばめます。

愚か者死すべし」の出だしでは 「・・・どこかに挟んであった二つ折りの薄茶色のメモ用紙が,翅を動かすのも面倒くさくなった厭世主義の蛾のように落ちてきた。」とくるのです。

そして「人間のすることはすべて間違っていると考えるほうがいい。すべて間違っているが,せめて恕(ゆる)される間違いを選ぼうとする努力はあっていい。」などと呟く中年私立探偵・沢崎に 叶わぬロマンを感じてしまうのです。

Wikipediaを見ると “主な作品”の最後に 「タイトル未定 (早川書房,2008)---第二期『沢崎シリーズ』」第二作」とありました。

出ました?

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2008年8月13日 (水)

「豚マメ」の その後

土曜日に買った「豚マメ」がどうなったか紹介します。

Img_09601kg  で7個ありました。

これは 135.5gですね。

そのまま ソテーしてもうまそうですね。

Kidneybean

これは「豚マメ」ではありません。

赤インゲン豆です。

英語で “Red Kidney Bean”,腎臓は “Kidney”。そっくりですね,大きさは違いますが。

「『そらまめ』に似ているから」と書いてあるものがありますが,やはり,「インゲン豆」でしょう。

Img_0961

ちょっと不気味ですが,半分に切った状態です。この白い部分は糸球体と言うらしく,これを丁寧に除去しないと臭いが残ります。何しろ 尿を作る(?)器官ですから。

Img_0968

さらに不気味ですね。糸球体を除去した状態です。

オペ担当:ワイフです。

Img_0972

ワイフはその日 3品の料理を作りました。

これは「豚マメときゅうりの和え物-山椒風味」です。

これは イケマシタ。

これから何を作ろうか,ということで考えました。

うわさに聞く 英国家庭料理「キドニー・パイ」(“Steak & Kidney Pie”)がいい,という私に対し,「牛肉と牛マメじゃないとまずいんじゃない?」とワイフ。

「内臓だから 牛も豚も同じようなものだろう。」と私。

さて 今後の展開や如何に。

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2008年8月12日 (火)

HartmannのExpandable Flap-Over Bag(その2)

HartmannのIntensity Collection(Ballistic Nylon) Coffee Colourの Expandable Flap-Over Bagの2代目で,通勤用です。初代が汚れたので買いました。初代よりSpec. Downしており 1万円安くなっていました。

Img_0934 3,4年間使用して 現在,初代を復帰させ,これは休眠中。

ハンドル部が 初代に比べて簡素化されています。

B A

初代と2代目の間のHartmannのDesign Changeは-

・ショルダーストラップのPadが ブーメラン型から小判型に。

Img_0938 Img_0936_2 ・Luggage Tagの形が長方形になり,“h”のブラスマークが革への刻印に。

Img_0945 Img_0947

・ZipperのTabが ブラスから革に。

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2008年8月11日 (月)

百日紅いろいろ

百日紅(サルスベリ)の季節です。名前の通り夏の3ヶ月間咲いています。

何故か最近,百日紅に興味を持ち始め,“百日紅”評論家にでもなろうかと 日曜日に近所の百日紅を探しながら見て歩きました。じっくり見ると 咲き方にいろいろあることが判ります。 咲き方の違いは 種類の違いによるものなのでしょうか,単なる個体差(日当たり,樹齢,栄養・・・)なのでしょうか?

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Img_0991_2Img_0994_2 

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2008年8月10日 (日)

土曜日 東京駅から銀座を経由して新橋駅

  土曜日,3週間前に頼んだウィングチップの修理が終わったとの連絡が東京駅近くの靴屋からあったので 次に踵の化粧板を取り替えるプレーントゥを持って出かけました。

Img_0950 駅に向かう途中で 真っ盛りに咲く百日紅(さるすべり)を見ました。紫色がかっています。

東京駅に着いて地下通路を八重洲口に向かうといつも以上に混雑しています。夏の移動シーズンですね。

靴屋で用事を済ませて 銀座に向かいました。

初めての通りを歩いていると 「博多ラーメン」の店があり,『本物』と言いたいような形容詞が付いていたので つい入ってしまいました。私はラーメンを外で食べるのは年1回以下,休日の午後に家で『マルタイ』の棒ラーメンを時々食べる程度です。それでも 夫婦とも福岡県で育ち,二人とも大学は福岡市なので 「博多ラーメン」を知っています。

「博多ラーメン」を注文しましたが,・・・・。

店を出て ワイフの感想。「あれは『博多ラーメン』以前にラーメンとは言えない代物。麺は『博多ラーメン』の細麺を真似ているけど 細すぎて ビーフン。スープは辛すぎ,白濁しているけど豚骨の香りもない。評価する価値もない。それで680円。1食 100円以下の『マルタイ』の棒ラーメンを食べて勉強した方がいい。」 経営者は分かって売っているのでしょうか?

銀座に着き ふらりと入った店で ワイフは「麻100%,黒のワンピース」を買いました。50% OFFのSale価格。

私は山野楽器店頭のワゴンセール,3枚3,990円でCDを買いました。Art_brakry_a_3 Wes_montgomery_a_3Quicy_jones_a_3

新橋駅まで歩いて電車に乗りました。

地元駅の肉屋に注文していた「豚マメ」が届いたとの連絡を受けていたので取りに行き 1kg 380円を払って帰路に着きました。

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2008年8月 9日 (土)

AM放送でステレオ音楽を聴く

ラジオで音楽を聴く,と言えば普通には FM(ステレオ)放送のことを考えると思います。

FMステレオ放送は昭和39年(1964年,東京オリンピック開催の年)に全国放送されるようになりました。 FMチューナー,アンプ,スピーカーをそれなりに揃えれば レコードを聴くのと同じようにラジオ放送でステレオ音楽を楽しむことが出来るようになりました。 私が装置を持ったのは 就職して2年目,昭和48年(1973年)のことでした。当時はレコードは値段が高かかったので, 自分で聴くために FM放送の音楽をテープに録音する,所謂,エアーチェックが盛んでした。カセット・テープ・デッキが当然必要でこれもそれなりに高価でした。(私が持っていたデッキの値段は ほぼ当時の月収と同じでした。)

エア・チェックのためには新聞掲載の番組表だけでは不足のため,放送予定曲名,曲毎の時間などを示した番組表を掲載した週刊誌(例えば 「FMレコパル」や「週刊FM 」など)が発行されていました。

ここで本題です。

FM放送が始まる前,ラジオ(AM)でステレオ音楽を聴くことができる番組がありました。調べると昭和29年(1954年)から昭和39年(1964年)まで続いていました。

NHKの その名も 『立体音楽堂』(当時はステレオ放送を立体放送と言ったようです。)といって NHK第一とNHK第二を左右のスピーカーにして放送する番組でした。つまり 2台のラジオを準備して 左のラジオを第一,右のラジオを第二に合わせて音楽を聴くわけです。 音楽開始前に ボリューム調整のための試験音が流れ,「今,右から左に音が流れます。」とか「この音が中央から聞こえるように調整して下さい。」などとやっていました。 如何せん,当時のラジオのスピーカーですから出力も小さいし 音質は満足できるものではありませんでしたが,それなりに楽しんでいました。

又,私が育った福岡では二つの民放(「RKB毎日放送」と 「KBC九州朝日放送」)が共同してステレオ番組を流していた記憶があります。

最近は(と言っても1992年から)民放で 単独局によるAMのステレオ放送が実施されるようになり,専用のラジオが売られているようですが,私は聞いたことがありません。

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2008年8月 8日 (金)

貸本屋は私の図書館だった

昭和30年代(1955年~1965年)は貸し本屋の全盛期で この時期,小学高学年から高校生だった私は大変お世話になりました。

小学生から 高校3年生まで 私はもっぱら 月刊誌を借りていました。小説は あまり借りた覚えがなく,借りても 江戸川乱歩の「怪人二十面相」シリーズくらいに限られていました。

小学生のときは 漫画月刊誌の「少年画報」,「少年」,「冒険王」,「おもしろブック(後に少年ブック)」の4誌,中学生・高校生のときは 映画月刊誌の「映画の友」,「スクリーン」,「映画ストーリー」の3誌を毎月欠かさず借り,高校時代は買っていた受験雑誌「蛍雪時代」よりも,「ラジオ講座テキスト」よりも熱心に見ていました。 

漫画誌は小学校卒業と同時にピッタリと読むのをやめた(特に崇高な志があった訳ではなく,関心が外国映画に変わったから)ので おそらく34年間の購読だったのでしょうが,記憶にある作品として-

「少年画報」は 武内つなよし氏の『赤胴鈴之介』,堀江卓氏の『天馬天平』,桑田二郎氏の『まぼろし探偵』,河島光広氏の『ビリーパック』,

「少年」は 手塚治虫氏の『鉄腕アトム』,横山光輝氏の『鉄人28号』,堀江卓氏の『矢車剣之助』

「冒険王」は 福井英一氏の『イガグリくん』,関谷ひさし氏の『ジャジャ馬くん』,

「おもしろブック」は 横山光輝氏の『レッドマスク』-

などです。必死に思い出そうと努めましたが,ここまででした。

何年か前,横山光輝氏宅で火災が発生して新聞に載ったとき,年齢を知って驚きました。逆算すると 『鉄人28号』を描いていたのは20歳そこそこだったからです。

武内つなよし氏は 筑豊の炭鉱で働いていたと何かで読んだことがありました。

借り賃が幾らだったかの記憶はありません。 当時の雑誌の定価も定かではありませんが おそらく100円~200円程度で 借り賃は10円~20円ほどだったと思います。

映画雑誌は隅から隅まで目を通し,この時代の外国映画は 日本で上映されなかった映画を含め ストーリーと出演者をほとんど知っていました。

「映画ストーリー」は他の2誌に比べ俳優のグラビアが少なく地味でしたが 題名どおりストーリーの説明が詳しく好きでした。

この時代の映画については またの機会に触れましょう。

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2008年8月 7日 (木)

否定疑問文に対する答えは

英語で日本人が(少なくとも私が)判っていても つい間違えてしまうことの一つに否定疑問文に対する答えがあります。Didn't you have a breakfast this morning?” に対し “Yes, I did’t. と 答えた瞬間に間違いに気付いて “No.” やら “Yes.” やら うろたえて言ってしまって 聞いた人が混乱する対応になることがあります。

ところが,Nativeも迷うことがあるというのです。

昔,オーストラリアの船に1ヶ月余り乗っていたことがあります。(私は船員ではありませんが。)ちょうどこのとき オーストラリアで港湾ストやら鉄道ストが続いて 貨物を積めない船は港の沖に泊まったままで することがありません。毎日10時頃になると 私の船室に オーストラリア人の船長から電話がかかり 「飲みに来ないか?」と船長室に誘いがあるのです。

行くと 船長は ビール,私は ソフトドリンク,時には紅茶を飲みながら私の拙い英語の知識をフル活用して雑談をするのです。テーマの一つとして 「日本人の英語(力)」があり,これにまつわる話で盛り上がるのです。

「ある日本人に “How many words can you speak?” と聞かれた。どう答えればいいのか困った。そんなの数えたことがない。」

「彼は “Languages”のつもりで聞いたんですね?」

「多分,そうだろうね。」

「ある日本の造船所に修理に入っているとき,スタッフに『船長,ラダーを後部デッキに置かせてもらっています。』と言われて驚いた。Rudder(舵)をいつ外したんだ,そんなことは修理計画にない! あわてて後部デッキに行くと 工事用の Ladder(梯子)が置かれていた。」(これを英語で聞いて理解するのには集中力が必要です。)

カタカナで書けば どちらも 『ラダー』,日本人がそのままカタカナ発音するとRudderに聞こえるのでしょうが,RudderLadderは全く違う発音ですね。 日本人の不得手な RL,更に 日本語にない母音がある単語による間違いの典型的例ですね。

私が 否定疑問文に対して日本人が 答えを間違いやすいこととその理由を説明したことがあります。

すると 船長,「我々にも そういうことがある。」と話してくれました。

「以前,海難審判の被告になったことがある。その時の検事の尋問が全て否定疑問文だった。これはヒッカケで間違った答えを引き出そうという狙いが見えたので,慎重に答えていたが,徐々にくたびれてきたので 検事に言った,『質問は 肯定疑問文でお願いします。』と。」

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2008年8月 6日 (水)

「まくわうり」の復活

子供の頃,夏の果物の代表は「まくわうり」(真桑瓜)でした。母親は 頑なに(?)「あじうり」と言っていた記憶があります。その他の夏の果物は 西瓜,ぶどう(キャンベルアーリーとデラウェアの2種類。マスカットは父親が酒を飲んで 間違って買ってきたときのみ。)などがありましたが,値段が手ごろだったのか「まくわうり」をよく食べていました。

それがいつまにか消えてしまってしばらく経ちました。日本人の縄文時代からの食べ物のひとつが昭和の時代に消えてしまった,と思っていました。

この間に 甘さを追求した品種改良により出現した多くの果物に対して 「甘ければ うまいのか?」の疑問を持ちつつ,歳をとって 子供の頃 食べた味と歯ごたえが無性に懐かしくなり ワイフに探すように頼んでいたら 数年前,近くの農家が「まくわうり」を作り始め,入手可能になりました。

今年も食べられます。

無人販売所にて 『まくわうり』 1個 120円也。

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2008年8月 5日 (火)

昭和33年の日蝕

50年前,昭和33年(1958年) 小学校4年生のとき 福岡県で日蝕を見ました。

記憶は次のとおりです。

   その年,中学校の数学教師から転任してきたM先生(男性)が43組の担任になった。

    M先生は 「今日,日蝕を見るので 急いで帰宅し,昼食をとって ろうそくで煤をつけた“すりガラス”を持って学校に集合。希望者のみ。」という指示を出した。

給食がなかったので土曜日ということになる。

  たまたま 家に 割れた適当な大きさの“すりガラス”があった。

     我々のクラスだけが集まっていた。

     天気は良かった。その時,日暮れ前のように暗くなり,気のせいか冷たい風が吹い た。(理屈を知らない未開人にはやはり 怖い現象に見えるだろう,と思った。)

     煤付き“すりガラス”で見た三日月型太陽の形や三日月型の木漏れ日の記憶はない。

     「次に この地で日蝕があるのは約50年後の21世紀だ。」とM先生は言った。自分が何歳になっているかを計算し,「まだ生きているかも知れない。」と思った。

このことを確認するため調べてみると

     1958419()に日本列島全域で部分日蝕(各地の蝕分は宗谷岬:0.63,東京:0.88,私が住んでいた福岡:0.87,那覇:0.93)が見られ,八丈島では金環蝕が見られた。(蝕分:太陽の隠れている部分の割合,1.0以上は皆既日蝕。)」

→ 土曜日は記憶どおりでした。4年生になって間もない頃だったことを知りました。福岡の蝕分:0.87 は納得の値です。(本当は もう少し大きいと思っていました。)

     「福岡では 11:05に始まり,12:55に最大蝕分 0.87となり 14:41に終了した。」

→ 私の記憶より 時刻が早い。「土曜日 午前中の授業が終わってから 昼ご飯を家で食べて 学校に戻って 初めから見た。始まりは14時頃。」の記憶とは合いません。

来年(2009年)722日,日本各地で日蝕が見られるとのことです。

(奄美大島北部,トカラ列島,屋久島,種子島南部などでは皆既日蝕)

福岡での蝕分:0.90 です

M先生が言ったのは この日蝕だったのでしょう。

何とか生きていましょう。

追記 : 最近,日食という表記が多いようですが 日本食堂のような感じがするので敢えて 日蝕,蝕分と書きました。

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2008年8月 4日 (月)

KENTのノベルティ レコード

Img_0902KENT Hey Day GREAT JAZZ COLLECTION

1970年代に手に入れたVAN Jacket,KENTのノベルティ LPレコードです。

1920年代から1930年代のスイング・ジャズの巨匠たちの演奏を故野口久光氏が監修し,「黄金時代のジャズ名演集」と題して解説を書いています。さらに くろす としゆき氏の「エディ・コンドンはなぜペンシル・ストライプのスーツを着るのか。」と題する小文が載っています。Img_0904

収録曲は次の通りです。

SIDE:1

  1. BESSIE SMITH “Gimme a Pigfoot” 1933
  2. LOUIS ARMSTRONG & His Hot Five “Muskrat Ramble” 1926
  3. DUKE ELLINGTON & His Orchestra “The Mooche” 1928
  4. FRANKIE TRUMBAUER & His Orchestra with BIX BEIDERBECKE “Singin’ the Blues” 1927
  5. EDDIE CONDON & His Footwarmers “Makin’ Friends” 1928
  6. TED LEWISORCHESTRA Royal Garden Blues”(1931
  7. FLETCHER HENDERSON & His Orchestra Sugar Foot Stomp”(1931
  8. THE DORSEY BROTHER’S ORCHESTRA “Mood in Hollywood” 1933

SIDE2

  1. EARL HINES & His Orchestra “Harlem Lament” 1933
  2. CHICK WEBB’S Savoy Orchestra “Stompin At The Savoy” 1934
  3. TEDDY WILSON & His Orchestra with BILLIE HOLIDAY “Mean to Me” 1937
  4. RED NORVO & His Orchestra with MILDRED BAILEY “Smoke Dreams” 1937
  5. BENNY GOODMAN & His Orchestra “Don’t Be That Way” 1938
  6. COUNT BASIE’S Kansas City Seven “Lester Leaps in” 1938
  7. JOHN KIRBY & His Orchestra “Sweet Georgia Brown” 1939
  8. BENNY GOODMAN Sextet with CHARLIE CHRISTIAN “Breakfast Feud” 1941 

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VAN Jacketのノベルティは洒落ていて 現在でもマニアには人気があるようですが,このレコードは 手が込んでいて担当者の熱意さえ感じます

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2008年8月 3日 (日)

六本木で映画を観て・・・

土曜日に 六本木ヒルズのTOHOシネマズで「インクレディブル・ハルク」を観ました。

その後,大江戸線で青山1丁目に出て そこから炎天下,表参道を経由して渋谷まで歩きました。

Img_0896_3   

以前に比べて 映画を観る回数が増えました。最近は「TOHOシネマズ 六本木ヒルズ」にばかり行っています。携帯電話のスケジュールリストに残っている11月から今回までの9ヶ月あまりの間に観た映画は14本,月平均で1.5本です。

この理由(「映画に行くことが多くなったこと」および「TOHOシネマズ 六本木ヒルズ」を選んでいること)として-

34年前に 1年間の予定で始まったどちらか50歳以上の夫婦2,000円/2人が継続されている。

・事前にインターネットで座席指定(希望に副わない座席のときは買わない)のキップが買え,並ぶ必要がない。かつての(今は?)指定席 3,000円の1/3!

・THX認定劇場,幅20m以上の日本最大クラスのスクリーン(Screen 7)  そして前後の傾斜が大きく前席の人影が全く気にならない,など映画館として良質。但し,上映前の「デラックスファイターと鷹の爪団,そしてバーベキュー・ボブ」には とっくに飽きています。

去年11月から観た映画は-

「ブレイブ・ワン」,「ボーン・アルティメイタム」,「ナショナル・トレジャー」,「ベオウルフ」,「アイ・アム・レジェンド」,「AVP2」,「アース」,「アメリカン・ギャングスター」,「ジャンパー」,「フィクサー」,「紀元前1万年」,「ランボー 最後の戦場」,「インディー・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」,そして今回の「インクレディブル・ハルク」。

ほとんど(全て?) 私の好みで選んだ映画で ワイフの意見が見当たりませんね~。

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2008年8月 2日 (土)

八角と豚マメ

35歳の頃,台湾の船に1ヶ月間余り乗ったことがあります。

食事は13食,台湾人コックが作る中華料理です。1人のコックが30数人の乗組員の食事を作っていたので凝った料理を望むのは無理な話でほとんどが大鍋による炒め物でした。

最初のうちはそれほど気にならなかったのですが1週間目くらいからほとんど全ての料理に入っている ある香辛料が鼻についてきました。それは八角(アニス)でした。中華料理の代表的香辛料で 五香粉の一味でもある八角は時々食べる中華料理に入っているくらいなら気になりませんが毎日三食で味わうのはきついものがあります。今でも 八角はダメです。

本項とは無関係ですが-

ヨーロッパの各港を回るとき1週間近く乗っていたイギリス人のDeep Sea Pilot(各港のPilotとは別に乗っていた。)は中国人コックの作る料理には一切手を付けず ジャムを付けたトーストだけを食べていました。コックが気にして一度,チキンのカレー煮を作った時,そのイギリス人は “I don’t like any spice.”と怒ったように言い,手をつけませんでした。港に着く度にいつも真っ先に下船して何か食べに行っていました。

船の食事は重要です。コックの料理が口に合わないのは悲劇です。

1年に1回くらいの割合で,豚マメが食べたくなります。豚の腎臓のことで「いんげん豆」に形が似ているので『豚マメ』と言われるようです。英語で腎臓はKidney,いんげん豆はKidney Beanと言いますね。中国では「腰子」あるいは「腰片」(スライスしたもののこと?)と呼ばれるようで 「腰片」を検索サイトで調べると 中国語の料理関係と思われるサイトがズラリと並びます。

味,匂いに癖があることは間違いありません。1年に1回で充分です。

最近は 「豚マメ」が肉屋で売られていることはめったにありません。

今日,ワイフが肉屋で取り寄せられるか尋ねました。1kg単位で注文可能で3,4日で届くとのことでした。

値段? 38円/100g,1kg380円とのことでした。

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2008年8月 1日 (金)

私は日本人です

海外に出ると かつては一般に日本人は中国人に見られることが たびたびありました。それが真っ当に日本人に見られるようになり,最近は又変わって 韓国人の旅行客が多いせいか 韓国人に見られる傾向になりました。

10年ほど前にシンガポールでタクシーの中国系運転手にどこから来たかを問われ「日本」と答えたにも拘わらず 「お前は中国人だろう。」としつこく言われたことがありました。何回かの押し問答で 彼は諦めて 「わかった。」と言い,その後 「しかし 祖父さんは中国人だったにちがいない。」  私も 面倒になって 「Might be!」

25年ほど前,1ヶ月半ほど仕事で 日本を離れ 赤道付近をウロウロして アムステルダムからKLMで帰朝したことがあります。成田空港で預けた荷物が出てこず,可能性としてチェックインが早すぎて 先発の南回りの便に荷物が載ってしまい,北回りの私が追い抜いて成田に着いた,が考えられました。

翌日,鞄の中身がどうしても欲しかったので KLMのスタッフに着いたら届けてくれるよう頼んで 空港の近くのホテルに泊まりました。

夕食を食べにホテルのダイニング・ルーム行くと従業員が英語で話しかけてきました。 口髭と日焼けのため 日本人である可能性すら彼には考えられなかったということのようです。恥をかかせては可哀想と思い,私も英語で通しました。

朝食のときテーブルに着くと 昨夜とは違う従業員が 英字新聞を持って来ました。英語で卵の料理方法を尋ねられて  「Fried Eggs,Turn-over.Please.」。

10年前,成田空港のシンガポール・エアラインのラウンジに入っていくと 受付の日本人の女性スタッフが にっこり笑い「Good morning,Sir.」。

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