昭和の華 「ザ・ピーナッツ」
昭和30年代後半から昭和40年代前半にかけて ザ・ピーナッツの歌が よく聞こえていました。
ザ・ピーナッツのデビューは 昭和34年(1959年),引退は昭和50年(1975年)で17年間 現役でした。この期間のうち 昭和36年(1961年)から昭和47年(1972年)まで 日曜18時30分から30分間の人気バラエティ番組「シャボン玉ホリディ」で クレイジーキャッツと共演しています。
彼女たちを見た私のもっとも古い記憶は デビュー前,スポンサー名を冠した“テイジン「街のチャンピオン」”という,特技を持ったアマチュアを紹介するテレビ番組で 『名古屋の歌のうまい双子姉妹』として出演したとき,デビュー直前だったと思います。私の家庭がテレビを購入した頃,小学4年生か5年生の頃でした。この番組の司会者は テレビ映画「スーパーマン」で主演 ジョージ・リーヴスの声を担当していた大平透氏でした。50年前のことです。
私の記憶に残る ザ・ピーナッツの歌った曲を挙げてみましょう。
- 「可愛い花」 (昭和34年,1959年) デビュー曲で 元は “Petite Fleur”(小さな花)というフランスの曲でした。同年,日活で 同名タイトルで映画化され,ザ・ピーナッツは主演しています。
- 「情熱の花」 (昭和34年,1959年) 「エリーゼのために」をアレンジした曲で “Passion Flower”として カテリーナ・ヴァレンテが歌ったものをカバーした曲です。カテリーナ・ヴァレンテはドイツで活躍した歌手で,父親はスペイン系,母親はイタリア系で ウィキペディアでは アメリカの歌手とあって どこの国の歌手かよくわかりません。後に カテリーナ・ヴァレンテは日本語で この曲を歌い,日本でヒットしました。
- 「ふりむかないで」 (昭和37年,1962年) 宮川泰(ひろし)氏(1931~2006)作曲による初のオリジナル,J-Popsの さきがけ と言える曲です。当時は 無国籍曲という批判もあったようです。中学生の私は ニール・セダカ,ポール・アンカなどの曲と変わらないアメリカン・ポップスの感覚で聞いていました。今でも イントロを聴くと 英語の歌詞がでてきそうな感じがします。
- 「恋のバカンス」 (昭和38年,1963年) 宮川泰氏作曲で 日本レコード大賞編曲賞をとっています。日本の曲とは思えないセンスです。カテリーナ・ヴァレンテもカバーしました。ロシア(当時,ソ連)でもロシア語の歌詞で歌われ, いまでも 日本の曲とは思われず歌われるそうです。もっとも 日本臭さのない優れた曲と思います。
- 「ウナ・セラ・ディ 東京」 (昭和39年,1964年) 宮川泰氏作曲。カンツォーネ風の無国籍と言えば無国籍の曲です。イタリアのカンツォーネ歌手 ミルバが 正確な日本語で歌っていました。この曲で 日本レコード大賞作曲賞を受賞,同時に 作詞の岩谷時子さんが 作詞賞を受賞しています。
- 「ローマの雨」 (昭和41年,1966年) すぎやまこういち氏作曲,橋本淳氏作詞です。
- 「恋のフーガ」 (昭和42年,1967年) すぎやまこういち氏作曲,宮川泰氏編曲です。この曲のヒットは 宮川泰氏の ティンパニを使った衝撃的イントロなど編曲の功績大と言われています。
- 「恋のオフェリア」 (昭和43年,1968年) 宮川泰氏作曲です。この年,大学に入った私にとっては おそらく この曲までが ザ・ピーナッツのPopsで,この曲以後,歌謡曲に流れた(?)彼女たちの歌を聴くことはほとんどなくなりました。引退 7年前でした。
これらの曲を収めたベスト盤CDを iPODに入れ,時折り聴いて 昭和を懐かしんでいます。
彼女たちの歌唱力,ハーモニーもさることながら,宮川泰・すぎやまこういち両作曲家の才能をあらためて認識します。
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