「コカ・コーラ」の記憶,あの頃 僕は若かった。
最近は あまり飲むことはありませんが,清涼飲料水の種類が今ほどなかった昭和40年前後 “コカ・コーラ”は 我々 団塊の世代にとって極めて身近で ポピュラーな飲み物でした。
全共闘などが学内を闊歩し 学生運動が盛んだったその頃,大学の集会で “コカ・コーラ”をそばに置いて アジっている運動家に対し,「反米と言いながら,米帝国主義の象徴である“コカ・コーラ”を飲んでいるとは何事か!」の野次に対し,「飲み終わったら 火炎瓶にするんだ。」と答えた,という笑い話もあります。
私が 初めて“コカ・コーラ”を飲んだのがいつだったか,正確な記憶はありませんが,おそらく昭和30年代後半(1960年代前半),高校生の頃だったと思います。ところが,ボトルを始めて見て 手にしたのはその10年前 昭和20年代後半(1950年代半ば)で,私が小学校に入るか入らないかの頃でした。母親が 戸別訪問の販売で 髪用に買ったと思われる 「椿油」が入っていたのが 間違いなく “コカ・コーラ”のボトルでした。と,言っても 当時 それが“コカ・コーラ”というアメリカの飲料ボトルとは知る由もなく 「面白い形をして何やら英語が書いてある瓶だ。」と思った記憶だけです。今,想像すると 「椿油」の販売業者が 進駐軍が飲んでいた“コカ・コーラ”のボトルをどこかで手に入れて使っていたということでしょう。
ここで 日本における“コカ・コーラ” 製造・販売の歴史を調べてみました。
輸入は大正時代から始まりましたが,一般の人が飲む量ではなかったようです。終戦後 昭和20年(1945年)に CCEC(The Coca Cola Export Corporation)日本支社が日本 6ヵ所にボトリング工場を設立しましたが これらはあくまで進駐軍用でした。米軍は兵士の福利・厚生(?)のため 進駐した国にまず,“コカ・コーラ”のボトリング工場を作ったようです。米軍は“コカ・コーラ”と共に来るのは かつて 帝国陸軍が「仁丹」と共に来る,ということのバージョン・アップ版ですね。
日本人のための 製造・販売は 昭和32年(1957年)以降です。
- 昭和32年(1957年) 「日本飲料工業(株)」設立,“コカ・コーラ”製造開始。
- 昭和33年(1958年) 「日本コカ・コーラ(株)」に商号変更。
- ~昭和38年(1963年) 全国にフランチャイズ方式で 16のボトラーが誕生。
- 昭和37年(1962年) 「♪スカッとさわやか コカ・コーラ」のTVコマーシャルが流れヒット。まだ日本での発売開始から5年しか経ってなかったことになりますが,昔からあったように感じられました。
私が 育った北九州に関しては
- 昭和35年(1960年) 福岡に「日米飲料(株)」設立。
- 昭和37年(1962年) 「ザ・コカ・コーラ カンパニー」および「日本コカ・コーラ」から “コカ・コーラ”と“ファンタ”の製造・販売権取得。福岡県,佐賀県,長崎県をテリトリーとして営業開始。
- 昭和38年(1963年) 「日米コカ・コーラ ボトリング(株)」に商号変更。この社名が 私には もっとも馴染みがあります。大げさな社名だと思っていました。同年,福岡工場完成。
- 昭和48年(1973年) 「北九州コカ・コーラ ボトリング(株)」に商号変更。就職で 既に 北九州を離れていた私には記憶がありません。
- 平成11年(1999年) 「山陽コカ・コーラ ボトリング(株)」と合併し,「コカ・コーラ ウエスト ジャパン(株)」となり,現在に至る。
ラムネと違った 強めの炭酸が 新鮮でした。
昭和40年(1965年),高校の修学旅行で行った東京の旅館で見た“Coca Cola”の自動販売機が新鮮でした。
昔 行った ポルトガルの自動販売機で “Coca Cola without Soda”というのを見ました。要するに「炭酸抜き」です。味の想像ができたので 試しませんでした。
(写真は Coca Cola公式サイトの壁紙から)
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