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2009年3月14日 (土)

寝台特急列車の記憶

昨日(3月13日),東京駅を 寝台特急列車『富士・はやぶさ』が九州に最後の運行に発ちました。1996年12月に“東京-熊本/長崎”間を走る『みずほ』が,2005年3月に“東京-博多/下関”間を走る『あさかぜ』が廃止になり,今度の『富士・はやぶさ』の廃止で 東京と九州を結ぶ寝台列車が 全てなくなりました。昭和が 又,遠くなりました。

大学卒業まで九州で生活し,就職して広島県に20年以上いた私にとっては ある時期まで 馴染みのブルートレインでした。

初めて乗ったのは 1970年(昭和45年),大学3年の夏休みに 東京の工場で実習するための博多駅からの『あさかぜ』でした。それ以後,就職試験,入社式で『あさかぜ』に乗りました。

就職してからは 東京本社での会議,仕事のため 広島駅から『あさかぜ』などに乗りました。広島での仕事をフルに終えて 夕方,寝台列車で寝ながら移動し,朝,東京に着いて そのまま仕事をし,帰りは その逆で広島にもどって 広島駅ホームの立ち食い蕎麦で朝食をとって出社するという全く無駄な時間のない出張を繰り返しました。

そのうち,「『寝台列車』と『新幹線グリーン車』の組み合わせ自由,広島-東京 往復:\35,000」という切符が発売され,半日の会議の場合,片道は 新幹線に乗ることが多くなりました。結局,「新幹線」と「飛行機」に勝てなかったということですね。

ブルートレイン車内でのいくつかの記憶-

  • 初期は 3段寝台で 上段の値段が一番安く,私は 値段とは関係なく天井がカーブして広いこの上段が好きでした。狭い中段は嫌いでした。たまたま,下段の切符を持っていて 上段がお年寄りのとき 梯子から上段に乗り移るのが大変そうだったので 替わってあげて せんべいをもらったことがありました。
  • 初期には食堂車があり,その又,初期の朝食-洋定食の献立に それまで食べたこのない“オートミール”がありました。要するに「麦の西洋粥」です。英国式なのか,米国式か,とにかく 西洋式朝食を提供するという意気込みを感じました。しかし,この味のない粥を何味にするか,塩か砂糖か,初めは悩みました。
  • 夜中にトイレに起きて フラフラと通路を歩いていると 「大変,人が倒れている。」と老婦人に突然,声を掛けられました。 “西村京太郎か!” と思いながら 隣の車両に行くと,確かに通路に沿って うつ伏せに男が倒れていました。血は流れていません。が,気持ちが悪いし,犯罪の場合の現場保持の原則に従って,男には触らずに 車掌を探しました。結局,酔っ払って 寝台から落ちた人でした。それにしても 進行方向に直角な「列車寝台」の寝台から落下して 目を覚まさず,身体を通路に移動させながら 90度方向を変えて進行方向に身体を向けるという大事業を完遂して 目を覚まさないというのは どういう酔っ払いだったのでしょう。とにかく,寝台列車に乗ると 条件反射で アルコールを飲む人が多かったですね。

懐かしいとは思いながら,もう一度 乗りたかったという気持ちはありませんでした。

乗るなら オリエント・エクスプレスなどの 個室寝台による優雅な旅をする時,と思っています。

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