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2009年5月の28件の記事

2009年5月31日 (日)

日本橋から常盤橋を経由して丸の内へ

Img_3800 曇天の土曜日,日本橋・三越で買い物をして西に向かいました。

右は 「三井記念美術館」,左は「三越」です。

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外堀通り,常盤橋交差点から「日本銀行(旧館)」を望んでいます。

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常盤橋で外堀を超えると,右手に常盤橋公園があり その奥に 「史蹟・常盤橋門跡」がありました。写真は西から東(門の内側から外)を見ています。

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門の外から江戸城側を見ています。この門を境に 内側に 大名が住んでいたということでしょう。

この橋が 正真正銘の「常盤橋」と思いますが,地図を見ると この橋の南側に「常盤橋」,北側に「新常盤橋」があり,この橋に名前がありません。「旧常盤橋」でしょうか。

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しっかりした石垣が残っています。

Photo_2明治初頭の常盤橋門です。門は 明治6年に撤去され,橋は明治10年に現在の石橋に架け替えられたそうです。

Img_3816_2JRの線路をくぐり,丸の内に着きました。

減量に成功したせいで パンツの腰周りがブカブカになり,ウェストを可能な限り絞る補正をしていますが,しっくりこないので とりあえず 一本 チノパンを買おうと BEAMSに行きました。

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試着室に 古く魅力的な「籐張りの曲げ木椅子」があり,店の人に許可をもらって写真をとりました。最近の曲げ木椅子には見られない脚の曲線(太さの変化を含めて)です。籐張りはオリジナルのままと思えますが,いい状態を保っています。

フレームの裏を見ましたが,文字が読み取れず どこの製品か,トーネットかどうかなど確認できませんでした。

初めて見たデザインです。おそらく THONET No.1 から Modificationされた製品と思います。

Thonet

(参考)1842年 製作のTHONET No.1 です。

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2009年5月30日 (土)

スーツに関して気になること

スーツに関して 気になることを少し。

  • ショルダー・ストラップで鞄を肩に掛けること。かつて サラリーマンは鞄を手に提げていました。今は 半分くらいが肩に鞄を掛けています。が,スーツは軍服ではないので 肩に何かを掛けるようには作られていません。いつも 同じ側に鞄を掛けていると,肩パッドが塑性化し,非対称になります。それに気が付かなければかまいません。
  • ボタンを全て掛けること。スーツは 二つボタンの場合,上一つ。三つボタンの場合,上二つ 又は 中一つ,というように掛けるボタンを決めて仕立てています。全てのボタンを掛けるように作られたスーツは おそらく ありません。掛けるべきでないボタンを掛けると引きつってしまいます。
  • シャツが見えない長い袖。最近,多いケースです。的確なアドバイスをしない洋服店があるようです。スーツの袖の長さに流行はないでしょう。腕を下げた時 シャツが見える長さが適正です。見える長さは 諸説あり,1~1.5cmの範囲で 好みの問題です。スーツの襟からシャツが見える長さと同じにするとバランスがいいでしょう。
  • 「シャツのカラーの長さ」と「タイの幅」が 「スーツのラペルの幅」と合ってないこと。これら三つのサイズは ほぼ同じでないとバランスがとれません。
  • 靴下の色がスーツの色より薄い(明度が高い)こと。
  • 朝から 「皺があり,パンツの折り目が消えたスーツ」 を着ること。朝のバス停で ,ひざ裏に皺のあるパンツを穿いている妻帯者と思える人を見るのは悲しいことです。スーツ一着で生活しているわけではないでしょう。私は 出張先では,パンツはズボン・プレッサーで皺をとり,上着はバス・ルームのシャワーカーテン・レールに掛け,バス・タブにシャワーで湯を張ることによって出る湯気で皺をとります。

 

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2009年5月29日 (金)

革靴の休みには Shoe Trees を

あまり高価な靴は買いませんが,革靴は 最低10年以上は履くつもりで 革底であれ ゴム底であれ 底の張替え可能な靴を買うようにしています。

長くもたせるために 必要なことは

  • 続けて履かない。私は 出張を除いて 同じ靴は1週間に1度しか履かないようにしています。
  • 適度にクリームなどつけてメインテナンスする。私は あまりしませんが。
  • そして 就職以来,必ず実行していることー 履いた後は “Shoe Trees” を入れておく。

くらいでしょう。

“Shoe Trees” は 日本では “Shoe Keepers” と言うようで-と思って調べると,これは和製英語でもないようで 英語として通じないことはないようです。

“Shoe Trees” は 『履き皺を伸ばし,靴の本来の形を維持して』, 『湿気をとる』(Solidの木製の場合)目的で使用します。材質は “Cedar”(杉)が もっとも望ましいようです。

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私が 長年 使用している “Shoe Trees” のうちから 四つのタイプです。左の二つは 長さをバネで調整し,右の二つは長さを ネジで調節します。左の,幅方向にもバネが入っている “Shoe Trees” は 35年間使い続けています。

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2009年5月28日 (木)

やっとサンダルを購入

夏の休日は ドレスコードがある場所に行く予定がなければ サンダルです。

10年以上履いているサンダルが くたびれて,踵の底のゴムが磨耗し,革まで磨り減っているので 前から買い換えようと思っていましたが,適当なものが見つかりませんでした。

先日,Steve Reeves の “Sword and Sandal Film” に触れたせいではありませんが,ついに買い換えました。

私の求めるサンダルの条件は

  • 表は皮革であること。(嗜好。)
  • 底に ゴムを貼っていること。(革底は くたびれるし,滑る。)
  • 踵が留められること。(自転車に乗るため。又,歩く時,ペッタンペッタンと音がするのは下品。その前に サンダル自体が上品とは言えませんが。)

Img_3793 で,買ったのは リーガルの新製品でした。

*絶対にしてはいけないこと:サンダルを履く時,靴下を履かないこと。靴下は 靴の下に履くものです。

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この10年以上愛用して ヨレヨレになった 同じく リーガルのサンダルは 廃却です。ご苦労さまでした。爪先のカーブと “Sword and Sandal” 風のデザインが気に入っていました。

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2009年5月27日 (水)

夕食は粗食で

去年9月末からダイエットを始めました。

BMI(Body Mass Index):約27,ウェスト: 約85cmという体型は何とかしないといけないと思い,決心して始めました。

運動をして瘠せるのというのは ほとんど不可能と考えました。運動の効果は ①カロリーを消費する,②筋肉をつけて基礎代謝量を増やす,のふたつがあるでしょうが ①は色々な情報源に示されていますが,かなりの時間 運動をしなければ 100kcalも消費できません。例えば 自転車に2時間乗って 約400kcalほどでしょう。毎日,2時間 自転車に乗れません。

となると やはりダイエット(食餌療法)となります。無駄なカロリーを摂って,それを消費するために運動するのは時間の無駄です。初めから 摂取カロリーを抑えればいいのです。3食のうち もっともダイエットに有効で 生活に支障がないのは夕食と考えました。朝食と昼食はこれまでと変えません。

たまたま, 1食 約50kcalの寒天入り雑炊を見つけ これを夕食としました。

8ヶ月続けた成果は 体重:8kg減,ウェスト:5cm減,BMI=23.7 となりました。但し,この3ヶ月 体重は変化していません。

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これが夕食です。「雑炊」,「蕪の煮物(ちょっと肉が入っています。)」,「おから」です。

「ロースのとんかつ」が食べたくなったら,土曜日の昼に食べます。

1週間 出張に行って 気ままに夕食を摂って帰ると 1~2kg 増加します。

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2009年5月26日 (火)

Bodybuilderから俳優に,スティーヴ・リーヴス

Steeve_reeves_01 Bodybuilderから俳優になったのは アーノルド・シュワルツェネッガー氏が有名ですが,団塊世代としては 昭和30年代に活躍した スティーヴ・リーヴス(“Steve Reeves”,1926~2000)を忘れるわけにはいきません。

Steve Reevesは1947年に Mr. America,1948年に Mr. World,1950年にMr. Universeのタイトルを獲り,昭和29年(1954年)にイタリアに招かれ 映画に初出演しました。その後,演技はさておき,Bodybuilderにありがちな グロテスクさを感じさせない均整のとれた身体と 端正な顔立ちで 主に「史劇モノ」で活躍しました。私は 中学生から高校生にかけて 彼の出演する映画を観ていました。

この時代(昭和30年代:1955~1965),多くのスペクタクル史劇映画が公開されました。

「十戒(1957)」,「ベン・ハー(1959)」,「スパルタカス(1960)」,「ソドムとゴモラ(1962)」,「クレオパトラ(1963)」,「アルゴ探検隊の大冒険(1963)」,「ローマ帝国の滅亡(1964)」などです。

これらの史劇は 大きくは 三つに分けられるでしょう。

  1. ほぼ史実に基づくもの。
  2. 神話・伝説に基づくもの。
  3. フィクション

例えば,スタンリー・キューブリック監督,カーク・ダグラス主演の「スパルタカス」は 史実に基づくもので,高校の世界史におそらく出てくる『スパルタクスの乱(別名:第三次奴隷戦争)』(BC73~71)を描いた映画です。スパルタクス率いる剣闘士と奴隷の集団が 初めは100人足らずで始めた 共和制ローマに対する反乱が最盛期には 10万人近い反乱軍となってローマ軍と戦い,最後に敗北して 生き残った5,000人を超える捕虜は アッピア街道の両側に立てられた十字架に生きながら 磔(ハリツケ)にされたという史実です。

Son_of_spartacus_3スティーヴ・リーヴスが出演した映画は これらの正統派スペクタクル史劇とは 少し違う活劇でした。例えば 私が好きだった「闘将スパルタカス(“The Son of Spartacus”,1963)」は 原題どおり スパルタクスに息子がいて 何故か フル・フェイスの兜に身体は裸で まるで「ヒトリ第四次奴隷戦争」のように 父親の仇-ローマと戦うのです。

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「鉄腕ゴライアス・蛮族の恐怖(“Goliath and the Barbarians”,1959)」も 記憶に残っています。

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2009年5月25日 (月)

校内マラソン大会とモータリゼーション

高校生のとき 校内マラソン大会がありました。勿論 42.195kmではなく 男子は 10kmを全学年の全生徒が一斉にクラス対抗で走る競技会でした。

私は 直観力と瞬発力(短距離走,走り幅跳びなど)には自信がありましたが,心身ともに 持久力が劣っていることを小学生の頃から自覚しており,体育の時間に体育の教師が言いがちな 「苦しいのは自分だけではない,他の人も同じように苦しいんだから頑張れ。」に 疑問を持っていました。他人の苦しさは知る由はありませんが,人それぞれ向き不向きがあって 苦しさが同じわけがないと思っていました。

高校1年生で 10kmを走るとき,同じスピードで45分も走り続けるのは自分には不可能,故に ここはインターバル走法で行こうと考え 実行しました。10回以上歩きました。それでも 死ぬ思いをしました。

2年生になり,「何とかここはパスしよう。自分の命は自分で守るしかない。」と考え,ちょうど軽度の足の水虫だったので 医者に行き,診断書を書いてもらいました。このとき,「病名は ドイツ語でお願いします。」と注文をつけました。この診断書を体育教師に提出し,「右足に問題があって 医者に重度の運動を止められているので,マラソン大会には参加できません。」で通過。

3年生になり,水虫は 既に治っていたので 今度は どの手を使おうかと考えていました。そして 「天は我に味方しました。」  900人が一斉に走るマラソン大会は当然,車道を走るため 予め 警察にコース申請をして許可を得る必要があります。ところが 車が増え 交通事情が悪くなったため,複数のコースを申請したらしいのですが,どのコースも許可が下りず,中止になったのです。

昭和41年(1966年)でした。

車の数はこの頃から急速に増えていきました。

政府の国民車構想に沿って 一般国民をターゲットにして サラリーマンが買える車として 700ccの トヨタ・パブリカが発売されたのが 昭和36年(1961年),800ccのUP20型にモデル・チェンジしたのが 昭和41年(1966年)でした。

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2009年5月24日 (日)

六本木で映画を観て丸の内へ

Img_3780_2雨の日曜日,六本木のTOHOシネマの “Screen 7” で 「天使と悪魔」(“Angels & Demons”)を観ました。バチカン,ローマを観光した気分になりました。(そういう映画ではありませんが。)

ところで “Demon ” と“Devil ” と “Satan ” の違いがわかりません。英和辞典では 全ての訳に 「悪魔」が含まれています。宗教上の厳密な定義があるのでしょうか。「“Devil ”は “Satan ”の手下。」という訳がありました。上下関係があるのでしょうか。

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観終わって  久しぶりに丸の内に行きました。

いい通りです。かつてのビジネスオンリーの街とは思えません。もちろん,今でもビジネス街の機能を維持しているのでしょうが。Img_3784

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2009年5月23日 (土)

ペダルを換えた。

自転車のペダルを換えました。

Img_3773_2クリートが靴の底面から出っ張らないタイプのSHIMANOのSPDペダルを着けていましたが,還暦を過ぎて せいぜい時速20kmほどで トロトロ走るのにビンディングでもないだろうと思っていました。

前から,町中では サンダルで乗ることもあるので片面に フラットな硬質ゴムのアダプターを着けており,そっちの方が楽だと感じでいました。

思えば 長い上り坂を 体力も考えずに登り始め,途中でビンディングを外すために足を捻る力もなくなってバッタリ倒れたこともありました。

引き脚を有効にして 腿の裏側の筋肉を鍛える,という目的でしたが 風がない日に 気が向いたら乗る私には大した効果はありませんでした。

さて 入梅前に 少し 乗りましょうか。

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2009年5月22日 (金)

満身創痍の ソースさし

Aimg_3755まるで 化学実験器具のような 「ソースさし」です。多分,オイルかソース用に作られたもので 使い道に間違いはないと思います。

15年ほど前に ロンドンのリバティ百貨店で購入しました。

ボディ部の縁が かなり欠けています。

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差し口の形状が優れており,切れがいいので ワイフが捨てきれないでいます。

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2009年5月19日 (火)

松山土産は「一六タルト」とー

松山の「伊丹十三記念館」に行った帰り,松山空港で土産を買いました。松山と言えばー我が家では 「一六タルト」 と 「坊っちゃん団子」です。

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一六本舗さんの「一六タルト」です。最近は 一切れづつ袋に入ったものもあるようですが,敢えて 1本買いました。

普通名詞 「タルト」となると別物を想像します。従って 違うメーカーの製品も 「××タルト」 とメーカー名を冠しています。

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いただきます。

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「坊っちゃん団子」です。うつぼ屋さんです。

いくつかのメーカーが作っているようです。これは どのメーカーも 「坊っちゃん団子」 です。広島の 「もみじ饅頭」 と同じです。

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2009年5月18日 (月)

「伊丹十三記念館」からの お土産は

Aimg_3730「伊丹十三記念館」では 氏の作品に因んだグッズが販売されていました。それぞれが こだわりのデザインです。

袋です。“Shaved Fish” です。

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「十三饅頭(“一六タルト”の一六本舗製)」,「マグネットと缶バッジ(“マルサの女 2” はDVD購入のサービス)」,「おなじみ “二日酔いの虫” Tシャツ(黒は長袖)」,「(新作)てぬぐい」,「DVD」です。

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文庫本サイズ 469ページのガイドブックです。私にとってはこれが最大の「土産」でした。

ざっと見たところ2点,うれしい項目がありました。

三 イラストレーター」の章にある北九州市小倉北区 『金栄堂書店のブックカバー

1970年前後,北九州市に実家のある私は このブックカバーを手に入れるために この書店で本を買っていました。しかし,読み終わると 潔くカバーを廃棄していたため,手元に1枚も残っていません。(1枚保管していたつもりだったのですが紛失しています。) なつかしい絵です。

去年,帰省の折り,この書店があったと思われる場所を通りましたが 今は ファスト・フードの店になっていました。

四 俳優」の章にある『テレビドラマ「すばらしき罠」

タイトルもストーリーも 覚えておらず,NHKのドラマであること,伊丹十三さんが 彼らしい帽子とサファリ・ジャケット風の上着という格好で 何故か,何かから逃げ回る話でした。その格好を真似ようと それらしいモノを探し回りました。

長い間,タイトルとストーリーを知りたいと思っていましたが 知っている人は誰もいませんでした。これで 原作が分かりました。又,大学生で テレビを持たない生活をしていたのに どこで観たのか不思議に思っていましたが タイトルからNHKのサイトを検索して,1969年8月11日から15日にかけて5回連続で放映されたことがわかりました。大学2年の夏休みに実家で見たようです。NHKのサイトには 放映日のデータのみで 出演者と内容紹介欄は 「データなし」 でした。

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2009年5月17日 (日)

松山,「伊丹十三記念館」にて(その2)

開館2周年記念の5月15日,「伊丹十三記念館」を訪ねました。

展示室をほぼ見終わったとき,スタッフから 宮本信子館長が着いたとの情報が入ってロビーに行きました。

宮本館長は やさしく来館者に挨拶し,サインに応じていました。不肖 わたくしも 持参した 「ヨーロッパ退屈日記」の初版本にサインを戴き,写真にも入ってもらいました。

日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞受賞の大女優(が どのようなものか よくわかりませんが なんとなく重いイメージ)を感じさせない気さくな振る舞いで来館者と話をしていました。館長という立場というより フランクな性格からだろうと拝察しました。

展示室に陳列しきれない伊丹十三氏ゆかりの品物を保管している「収蔵庫」の見学ツアー(その日 2回目)が 2時から始まりました。

2階に上がり,宮本館長から挨拶があり,収蔵庫に入りました。

入り口側から順番に 概略 次のように分けて 収蔵されていました。

  • 書き物(原稿,台本など)および 絵の原画
  • 愛用品(ギターケース,バッグ,食器,調理器具など)
  • 湯河原自邸の書斎を再現して 蔵書を陳列
  • 蔵書
  • 衣装(中国服,インバネスコートが壁に掛けられ,映画で宮本さんが使用したものを含む)

全ての品物から 氏の精神生活を垣間見ることができた感じがします。又,30~40年前に 著作で観た絵のモデルとなった実物を見て 妙に感動しました。

見終わって ロビーに下りると 宮本さん(館長)に 「収蔵庫どうでしたか?」と話しかけられました。著作で長年気になっていることから ひとつ質問しました。意外な答えがありました。私が 「これをやるのは スゴイ。」と思っていたことが 実は 創作だったことがわかりました。

心残りながら 3時間ほどいて 退館しました。

Plate_bView_a 

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2009年5月16日 (土)

松山,「伊丹十三記念館」にて(その1)

松山の「伊丹十三記念館」に行ってきました。

Plate_a 行きたいと思いながら 開館から2年経ち,5月15日が開館2周年記念日で 一般展示されてない収蔵庫ツアーが企画されていることをサイトで知って 行くことにしました。ツアー参加に応募し 希望多数の場合,抽選になるとのことでしたが その抽選結果を待たず フライトとホテルの予約をしました。

幸運にも 収蔵庫ツアーに参加できることになりました。

Corner_8

入館の前に-

ほぼ全景です。手前は 氏の最後の愛車「ベントレー」の格納建屋です。数字の“8”は 氏の名前に因み,13の展示コーナーに分けられているうちの“8”を意味しています。“8”は「乗り物マニア」です。

Cars

“ベントレー”格納建屋の前面ガラス板に『自動車遍歴』が記されています。(ピントが合っていませんが,何とか読めます。)

6台のうち「ポルシェ」と「シトロエン」を除く4台が英国車ですね。「英国車は 油モレする。車はそんなモノということを知りながら 扱うことが重要。」 かなり意味が違うかも知れませんが,何かそのようなことを氏が何かの著作に書いていました。

又,「ジャガー」ではなく「ジャギュア」と書かれてあるのも 氏のこだわりでした。関連して 速度計は 「スピード・メーター」(“speed-meter”)ではなく 「スピード・オミター」(“speedometer”,“o”にアクセント)であるということも教わりました。これを 日本で使うと イヤミですね。

Entrance

エントランスです。

Cafe_c

展示室を見終わって 「カフェ・タンポポ」で休みました。

Cafe_a

「十三饅頭」に「コーヒー」です。

Cafe_b

持参していた 氏の処女エッセイ集,40年前の初版 ポケット文春版「ヨーロッパ退屈日記」(第1刷:1965年,これは買い換えた 第6刷:1969年)を出してみました。カヴァーが歳月を経てくすんでいます。

高校生の時,伊丹十三氏の『こだわり』に影響を受けるきっかけとなった本です。

松山に  この こじんまりとして やさしい「伊丹十三記念館」があることは意味のあることです。「一六本舗」との関係,高校時代を過ごした地であることによりますが,それにより 訪れる人々は 近隣在住の人,および 氏に強い興味を持っている/持っていた人に限られ,適度な来館者数になっているのでは-と思います。(その2 に続く。)

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2009年5月14日 (木)

「働けるうちは働きたい。」?

ときどき 定年が近い,又は定年を過ぎた人が 働けるうちは 働きたい。」と言うのを耳にします。 理由がわかりませんが,もし,働かないと生活できないのなら 「働きたい。」ではなく「働かざるを得ない。」でしょう。ここでは それは触れません。

私は 「働けるうちに リタイアしたい。」と思っています。

そもそも 「働けるうち」とは どのようなことを指しているのか,サラリーマンについて いくつかの条件を考えると-

A..「体力」 and/or 「知力」が 仕事遂行可能なレベルにあり,そのアウトプットが報酬に見合うレベルにある。(「気力」も必要でしょうが,本人が 「働きたい」と望んでいるのだから 「ある」と信じましょう。「報酬」に相当しなくなれば 相当するように減額してもよい,と思っているかは別問題。)

B. 雇い主が 必要な人材と認めて雇用してくれる期間。

C. 国が 雇い主に 雇用を義務付けている期間。(「改正高齢法」(高年齢者等の雇用の安定等に関する法律)で 年金が全額給付されるまで 例外を除き 雇用を継続する義務が会社にある。)

これらを ひっくるめて 「働けるうち」と言うのかも知れませんが,どうも A が主のように聞こえます。

それでは 報酬に見合った仕事を遂行可能な 『体力』 と 『知力』 が無くなってから 仕事をやめて あと何をする『体力』と『知力』が残っているかが問題です。

サラリーマン時代は 時間を拘束されます。

「朝起きて 天気がよく,風もない。近くの島に渡って自転車で一周しよう。(これは瀬戸内に住まないと成立しない。)」 とか,「昨夜,テレビで見たアフリカにあるピラミッドに興味を持った。今日は アフリカの歴史を図書館に行って,又はインターネットで勉強しよう。」 とか,「来月は オフ・シーズンで海外旅行が安くできる。前から行きたかったスコットランドに行って歩き回ろう。」 など サラリーマン生活を送っていると 簡単にはできないささやかな自由を得た時,仕事ができない衰えた『知力』 と 『体力』で充分 楽しめなければ 何の人生なのか,と思うのです。

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2009年5月13日 (水)

「収蔵庫ツアー」の「参加証」が届きました。

Img_3651伊丹十三記念館」 開館2周年記念『収蔵庫ツアー』(5月15日~17日)の参加証が 5月11日に届きました。募集要領どおり 全9回(54人)のツアーから 第一,第二希望を選んで提出して, 第一希望の回の参加証を戴きました。

参加証が送られてきた封筒の封印が洒落ています。おそらく 伊丹十三さんが描いた「カチンコ」です。流石です。

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2009年5月12日 (火)

包装された “コルベット”?

Img_3647日曜日,近所を1時間ほど散歩していて 空き地(駐車場?)に 丁寧にシートが掛けられた車を見ました。

キッチリ左右対称に紐が掛けられていました。

タダモノではない車と思いました。

Corvettec2_64

ボンネット・カバーの車輪上の出っ張りなどから 1960年代の名車,米国製唯一のスポーツカーと言われる “シボレー・コルベットC2” (クーペではないType)と推測しました。

1965年のテレビ番組「スパイキャッチャーJ3」で 川津祐介さん扮する秘密警察組織 “TULIP” のJ3が この車に乗って 空を飛んでいましたね。J3は 元オリンピック10種競技日本代表選手という設定だったように記憶しています。東京オリンピックの翌年でした。

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2009年5月11日 (月)

初産の “紅孔雀”

これが うわさ(?)の “紅孔雀”(商標登録)です。

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船橋市 (有)押木養鶏場 竜ヶ崎農場(茨城県)の生産の鶏卵です。

“初産”(鶏卵の初産!) とのことで 小ぶりです。

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まず,卵かけご飯で食べました。「濃厚・美味にして滋養あり。」かな?

1kg (18個) 450円也。

ごちそうさまでした。

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2009年5月10日 (日)

柚子とバラの花

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2年前に買った 柚子の樹が花をつけました。さて,実に成るでしょうか。

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去年の春に買ったミニバラ “Coffee Ovation” が咲きました。買ったときの コーヒー色になりません。

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2009年5月 9日 (土)

“The Beatles” の時代

“The Beatles” は 1960年代を代表する,もっと言えば20世紀を代表するミュージシャンです。

昭和37年(1962年)にレコード・デビューし,昭和45年(1970年)に解散しました。全盛期の頃,私は高校生でした。

昭和41年(1966年)6月30日~7月2日にかけて 日本武道館で伝説の公演を5回 行ないました。私は 高校3年生でした。

九州に住んでいた高校生の私にとっては 遠い所の話でした。

ところが,一人の同級生の ビートルズ・マニアが東京まで聴きに行っていました。そのことを 私は当時,知りませんでしたが,10年ほど前,高校卒業30年記念の同窓会で初めて知りました。

彼の話は ビートルズの公演に行った,という話がメインではありませんでした。担任が 受験指導に どのくらい熱心だった,と言う話しで盛り上がっているとき ポツリといったのです。

彼は 東京に行く為,2,3日 高校を休み,帰って職員室に呼ばれて その理由を問い詰められ,本当のことを言ったのです。担任教師に 「3年の重要な時に,コンサートのために学校を休んで 東京まで行くとは何事か。」と 厳しく叱られた,とのことでした。

彼に言わせれば 「二度と経験できない 20世紀最大のイベントに比べれば 受験勉強なんか大したことではなかった。」

彼が東京に行ったのは 前年の修学旅行に次いで2回目でした。

Beatles1

“The Beatles 1” です。

シングル曲で 「ビルボード誌」 と 「レコードリテイラー誌」で1位を獲得した 27曲が 入ったCDです。

懐かしい曲がまとまっているので 時々,聴きます。

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2009年5月 8日 (金)

「伊丹十三記念館」を訪ねて 来週,松山へ

40年以上前の高校時代に 「ヨーロッパ退屈日記」を読んで以来  20歳代は 伊丹十三フリークでした。

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これは 1969年(昭和44年)第6刷のポケット文春版「ヨーロッパ退屈日記」をです。1965年の第1刷を持っていましたが 人に貸して紛失し,買いなおした2冊目です。“一三” が “十三” に変わっていました。定価 \300。当時 大学生だった私の1日の食費と同じでした。

出演した映画は 「北京の55日」と「ロードジム」しか観ておらず,俳優としてよりエッセイスト,イラストレーター 又は テレビタレントとしての彼に興味があり,著作を読んでいました。実家のある北九州市にあった書店のブックカヴァーが彼のデザインで そこで彼の本を買っていました。

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今,手元に残っていて探し出せた彼の本です。

又,1970年頃,母親が買っていた雑誌「ミセス」に連載されていた イラスト入り連載 『のぞきめがね』 や 『わたしの博物図鑑』 を見るのも楽しみでした。記憶があるのは「つま皮」というタイトルで ルイ・ヴィトンの新品のバッグをジョキジョキ切って 下駄の『つま皮』を作る(頼まれた業者が何回も「いいんですね?」と確認してー),というもので  ルイ・ヴィトンという高級バッグがあることを初めて知りました。ルイ・ヴィトンが日本ではまだ それほど有名ではない時代でした。

伊丹十三氏が1997年に逝去して10年経った一昨年,彼が高校時代まで過ごした松山に「伊丹十三記念館」が出来て そのうち行ってみようと思いながら2年経ちました。

たまたま 7月に使用期限が切れるJALのマイレッジがあり,それまでに 「伊丹十三記念館」に行ってみようとサイトを見ると 5月15日からの3日間,年一回の 収蔵庫ツアーが開催され,参加者(6人/回で 3回/日,3日間の合計 54人)を募集していたので 申し込みました。5月7日応募締め切りで,その抽選結果を待たずに 15日出発,16日帰着の羽田-松山のフライトを手配しました。

開館2周年記念のため,館長の宮本信子さんが 15,16日に在館することを 後から知りました。

楽しみです。

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2009年5月 7日 (木)

あなたの職業は?

言葉遣いは重要です。特に 初対面での言葉遣いで その人の知性,教養,品性が想像できます。

20歳代後半の頃,行きつけのバーにいたところ 40歳代と思われる初めて見る男性客が一人で入ってきて 私の近くのカウンターに座りました。

彼の方から話しかけてきて 何となく話をしながら,言葉遣いに違和感を覚えました。スーツを着てタイを締めていましたが 普通のサラーリーマンとは思えません。

年下とは言え 初対面の私に対して 「キミは・・・」という言葉に代表される横柄な口の利き方なのです。

会話が途切れた時,かなりの確信をもって 尋ねました。「ところで あなたは 教員ですか?」

「アタリ」 でした。

本人は 何故 私がそう思ったのか判らなかったでしょうね。判るくらいなら 初対面の社会人に対して礼を失することのない まともな言葉で話したでしょうから。

決して 「逆も真」とは思っていません。

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2009年5月 6日 (水)

小石川植物園の 植物の一部

5月4日に行った「小石川植物園」は 300年前に徳川幕府が作った「小石川御薬園」が前身で 約100年前に 「東京(帝国)大学付属植物園」になりました。現在 約4,000種類の植物が栽培されているそうです。

2時間ほど園内を歩いて 気になった植物を紹介します。(多くの立派な樹木がありましたが 花をメインに。)

名前は 調べて 追って 示しましょう。

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左:××ダケ,右:?

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左: ? ,右:胡蝶揃

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カルミヤ(Mountain Laurel)

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左:シマサルスベリ,右:ムラサキサルスベリ。このような大きなサルスベリを初めて見ました。

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左:駿河万葉,右:サンショウバラ

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左:サクラバラ,右:カマツカ

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左:シャクヤク,右:ノイバラ

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左: ?,右: ?

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これは おまけ。

植物園を出て 春日通りを歩いているとき見た 「オールドローズ」です。

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2009年5月 5日 (火)

新緑の候,「小石川植物園」に

緑が鮮やかな季節です。5月4日,「小石川植物園」に行ってきました。前回 行ったときは 昼過ぎに東京駅を出発して 徒歩で向かったため,到着したのが 閉園の16時30分で入れませんでした。

今回は 地下鉄で行きました。丸の内線 「茗荷谷」駅で下車,春日通りを 南東に歩き,途中から「播磨坂」に入って北東に向かいました。

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「播磨坂」は 片側2車線に 公園を兼用する幅広い中央分離帯があり,桜の樹が植えられています。更に,両側に充分な幅の歩道を備えた立派な道です。

「播磨坂」が終わって  100m弱 住宅地の道を北東に歩くと「小石川植物園」の塀にぶつかります。塀に沿って南東に 更に100m歩くと 「小石川植物園」の南端にある入園可能な正門に到着します。

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正式な名称は「東京大学大学院理学系研究科 付属植物園」です。5月4日は 「みどりの日」のため 無料で入園できました。

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案内図を確認して clockwiseに進みました。

園内の様子は 次回。

「小石川植物園」を出て 来た道を戻り,春日通りを「茗荷谷」駅を通り過ぎ,更に「御茶ノ水女子大学」を過ぎて 大塚3丁目交差点を左折し,「不忍通り」を西北西に 約500m 進むと 「護国寺」がありました。

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『真言宗豊山派 大本山 護国寺』 仁王門です。

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観音堂(本堂)です。元禄10年(1697年) 徳川5代将軍 綱吉の命により建立しました。

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池袋まで歩くつもりでしたが 疲れたので 「東池袋」駅から有楽町線に乗り 東京方向に戻りました。

久しぶりに乗った「有楽町線」の車両が いつから採用されたのか 新型(?)になっていました。車両間のドアが開放的です。

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2009年5月 4日 (月)

あと少しのサラリーマン生活のために タイを 2本

くたびれたタイが多くなってきて あと数年はタイが必要だろうと,先月 ストライプと小紋の2本を買いました。

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タイは ブランドやメーカーには拘らず選びます。そもそも タイのブランドを あまり知りません。結果的に 若い頃は 「菱屋」か “Kent”,ここ20年は “Brooks Brothers”ばかりでした。

いずれも Sack Type のスーツにアメリカ風に合わせるつもりで選びます。ストライプ,小紋,ペイズリーの 3種類から選ぶことになります。

今回 買ったタイが どこの製品か調べてみると,どちらもイタリア製でした。

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Breuer ”(ブリューワー)は1892年創業のフランスのブランドのようです。 “Equipage ”(エキパージ)はイタリアのメーカーのようです。つまり,「イタリア製のフランスのブランドのタイ」ということでしょうか。両社の正確な関係はわかりません。

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Calabrese ”(カラブレーズ)は 1924年創業のナポリのタイ・メーカーのようです。

完全なリタイアまで 大切に使いましょう。

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2009年5月 3日 (日)

和銅遺跡を訪ねて秩父へ,2日目は「芝桜の丘」

和銅黒谷に1泊した翌日の30日,秩父鉄道の下りに乗って「御花畑」駅で下りました。

この数年,しばしば新聞やテレビで紹介されている秩父市の「羊山公園」内『芝桜の丘』に行くためです。看板で示された「羊山公園」への矢印にしたがって歩きました。要所要所に警備員が立っていました。30日は カレンダー上は平日なので人出は昨日より少ないでしょう。住宅地の狭い道なので車が押し寄せると住民には迷惑なことですね。途中から 上り坂です。

S_img_350915分ほどで公園に着きました。

さらに 矢印に沿って公園の南側に向かって歩きました。

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着きました。入園料 \300 を払って入りました。見頃の時期は 入園料が必要で 今年は4月11日からのようです。いつまでかを 示してなかったので 花しだいということですね。

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正面は「武甲山」です。

9種類,40万株以上の芝桜があります。

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それぞれの花です。

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昼前,人が増える前に 帰路に就きました。

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2009年5月 2日 (土)

和銅遺跡を訪ねて秩父へ,黒谷泊。

29日,「和銅遺跡」を訪ねた後,秩父鉄道「和銅黒谷」駅にもどって 宿泊予約をしていた 「ゆの宿 和どう」に連絡し,迎えを頼みました。徒歩で15分ほどとの案内でしたが 国道140号線は 交通量が多く,まともな歩道がないところがありそうなので歩くのをやめました。

ロビーのラウンジで コーヒーを飲みながらチェックインした後,新館 露天風呂付き客室に案内されました。

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私には熱めの43度が24時間キープされている大型の風呂桶です。

入る前に 水を入れて温度調整をしました。

H_mg_3479風呂の横はベランダです。下は和銅大橋で 荒川に合流する横瀬川です。

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部屋は 8畳和室と 窓側の Twin Bed Roomの和洋室でした。

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食事はフロント階(3F,客室は 2F)の個室で戴きました。

「前菜」と「揚げ物,煮物,酢の物」を紹介しておきます。

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フロント・レベル(3F)にあるデッキです。

左の奥が新館です。横瀬川への傾斜に沿って 1Fまであります。

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2009年5月 1日 (金)

和銅遺跡を訪ねて秩父へ,「和銅黒谷」駅下車

4月29日,長瀞を後にして 秩父鉄道の3両連結電車に乗り,4つ先の「和銅黒谷」駅で降りました。他の乗客は 「羊山公園」の芝桜を目指しているようで 我々だけが 降りようとすると 「何があるところ?」という声が聞こえました。

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プラットフォームに 「日本通貨発祥の地」のタイトルで『和同開珎』のモニュメントが飾っています。我々が子供の頃は「わどうかいほう」と読みましたが,現在は「わどうかいちん」と言うようになっています。昔は 『珎』を『寶』のウ冠の省略字と解釈して「ホウ」と読んだとのことです。

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W_mg_3506 昭和の香りがする駅舎です。

ここ黒谷が 「日本通貨発祥の地」と自称しているのは この地(当時は 武蔵国秩父郡-チチブゴウリ)で露天掘りで産出した純度の高い(精錬不要の)銅を708年に 時の元明天皇に献上し,それがきっかけとなって (これを使って)日本初めての流通通貨「和同開珎」が発行されたためです。このとき元号も「和銅」に改まりました。

駅から 標識に従って 和銅遺跡を目指して 山に向かいました。

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途中の山道にも道標がありました。

駅から 20~30分ほど歩いて 第一地点に到着しました。

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モニュメントです。銅製ではありません,コンクリート製です。

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1300年経っているので 定かではありませんが 掘った跡です。

この先の急坂を更に進むと 「露天掘り跡」を上側から見ることができる,と案内板に示していましたが,坂の入り口に 「体力に自信のない人は進まないこと。」の注意書きがあったので 安全策をとって 先には進みませんでした。

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1300年前,都から遠く離れたこの地のこの山奥で 露出した地層から 銅が見えていたとは言え,見つけたのは どんな人たちだったのでしょう。

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