記憶に残る台風は
台風の季節です。台風で 強い風が吹くことは当たり前ですが,雨は 必ず降るとは限りません。最近の雨の量は異常ですが,少しは降った方がいい,と思わせる台風がありました。1991年(平成3年)9月27日から28日にかけて 日本海を日本列島をかすめるように猛スピードで進んだ台風19号,青森で 収穫前のリンゴをほとんど落として 通称 “リンゴ台風”と呼ばれたこの,雨を伴わない台風の進行スピードが重畳された風を受けた日本列島は 各地に甚大な被害を受けました。そして この台風が 私にとって最も記憶に残る台風になりました。
その夜,広島県呉市の工場そばにある施設で開いていた会議は 8時頃,風が強くなったので閉会になりました。帰宅の為,タクシー会社に電話すると 風が強すぎて タクシーは動いてない,というのです。当然,電車もバスも止まっていました。
自分の車で帰路に就いた何人かは 途中の山道で通行止めにあって 引き返し,町の飲み屋の蝋燭の明かりで 文字通り カラオケをして朝まで過ごしたそうです。
たまたま 広島市から来ていたタクシーを掴まえた人は 乗ろうとした瞬間の突風でドアが開きすぎになってヒンジが壊れたため,ドアが落ちないように掴まえて乗ったそうです。
私は 歩いて帰られる距離に住んでいましたが,風による飛来物を恐れて 工場の守衛所に避難し,ラジオを聴いていました。非常灯のバッテリーも危うくなるころ,残業して帰ろうとする業者の車に便乗して何とか帰宅しました。
このときの 私の周りの被害状況は-
- 課員2階建て自宅の屋根が かなり離れた所まで飛ばされた。1階にいた家族は気付かなかったので,一瞬のことだったと思われる。その頃,屋根構造を留めるのに 「かすがい」や「ボルト」が義務付けられておらず,「釘」だけだった。しかし,「かすがい」で留めていたら,屋根裏に吹き込んだ風で 天井が落ちたかも知れない。
- その近くの道のコンクリート電柱は ことごとく倒された。この道を おそらく 60m/sを超える風が吹き抜けたと言われている。
- 商店街の下水道マンホールの蓋が 満潮と低気圧で上昇した海面圧力ではずれ 雨は降ってないのに商店が水浸しになった。翌朝,商店街は 海水と共に流れ出た 「くらげ」 の遺骸でいっぱいだった。
- 数日後,木が枯れ始めた。風で揺れすぎて 水を吸い上げる導管が破壊されたためかと思った。
- 数日後,海岸線から10km以上離れた住宅地で停電が始まり,数日間続いた。集合住宅では 水タンクへの汲み上げが出来ず,断水して 生活不能になった。
しばらくは 分からなかったのですが,停電と木が枯れた原因は 塩でした。雨が台風襲来時を含め 数日間 降らなかったので 海で吹き上げられた塩水が風に乗って運ばれて塩分が付着し 洗い流されないでそのままになり,その後,水分が乾燥し,塩による絶縁不良となったためでした。
沿岸の電柱には それを考慮して 絶縁性を保つため 長い専用碍子が使われていますが,そうでない地域は 絶縁低下で停電になりました。
全て 初めての経験でした。
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