高校時代に聞いた話,ふたつ。
昭和40年(1965年)前後に過ごした高校には 太平洋戦争を経験した教師がまだいて,時折り,当時の話を聞く機会がありました。
その中から 記憶に残る話を ふたつ -
(その1)昼食の乾パンはいらない。
世界史のO先生は 江田島の海軍兵学校出身でした。
「もっとも辛い訓練は何でしたか?」 の生徒の問いに,彼は「水泳。」と答えました。
それは 遠泳ではなく 「立ち泳ぎ」だったというのです。
乗った艦が沈められ 海に投げ出されたとき,救助が来るまで できるだけ長く浮いておくための訓練で,朝,生徒を乗せた小型艇が,沖で 適当な間隔で 生徒を落としていく,生徒は その場所で 夕方,小型艇が 拾いに来るまで 立ち泳ぎや 浮き身を続ける,という訓練だったそうです。
教官は どこかから双眼鏡で監視していたのでしょうか? 生命に拘わる過酷な訓練です。
昼になると 小型艇が 昼食として 「乾パン」を撒きに来たそうですが,それを 海上で拾って食べる元気がある生徒はあまりいなかったそうです。
(その2) 湖上の筏で焚き火
数学のM先生は 新兵器の開発に関係していたそうです。
「放物線の焦点」から 「回転放物面の焦点」の話に発展し,更に “サイドワインダー” の話に及びました。
当時,軍は 敵艦への爆弾の命中率を上げるため,軍艦の主機関/煙突の熱を目標として落下するコントロール装置の研究をしていたそうです。
爆弾先端に「回転放物面」(要するに パラボラ面)をつけ,その焦点に集まった熱が最大となるように 尾翼を動かして 爆弾の軸を熱源に向け,エンジンめがけて落下する,という「熱線追尾爆弾」です。
ミサイルと違うのは 推力がなく 重力のみに頼ることです。
実験は どこかの(失念)湖に 筏を浮かべ,その上で焚き火をして 爆弾を投下したとのことです。
実戦に間に合ったかどうかは聞いていません。
敗戦になって 研究資料は 全て焼却したつもりだったが,いくつかの資料が米軍の手にわたり,現在,尚 現役の 短距離(改良された最新型は 最大 40km 飛ぶらしい) 空対空 熱線追尾ミサイル「サイドワインダー」開発の足がかりになった-というのが M先生の話でした。
因みに「サイドワインダー」開発開始は 1940年代末と言われており,時間軸の辻褄は合っています。
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