三連休の最終日,呉の町を散歩する。
三連休の最終日,よく晴れたので 呉の町を歩きました。
近くのお宅の庭のハナミズキが赤い実を付けていました。最早,冬の風景です。
更に 三条銀座まで歩き,「鯛乃宮神社」に着きました。
この神社の境内に 「第六潜水艇殉難者之碑」があります。115段の階段を昇りました。
明治43年(1914年),訓練中に岩国沖で遭難・沈没した「第六潜水艇」乗員14名の慰霊碑です。
引き上げられた艇の中で,乗員12名が持ち場に就いたまま,2名が故障箇所で発見され,最後まで任務に忠実だったとして世界的な反響を呼んだとされています。
更に 艇長・佐久間大尉(32歳)が死の直前まで認めた遺書に日本中が感動しました。夏目漱石も 与謝野晶子も この遺書に感銘したと言われています。
以下に その一部を紹介します。
『小官の不注意により/陛下の艇を沈め/部下を殺す、/誠に申し訳なし、/されど艇員一同、/死に至るまで/皆よくその職を守り/沈着に事をしょせり/我れ等は国家のため/職に倒れ死といえども/ただただ遺憾とする所は/天下の士は/これの誤りもって/将来潜水艇の発展に/打撃をあたうるに至らざるやを/憂うるにあり、/願わくば諸君益々勉励もって/この誤解なく/将来潜水艇の発展研究に/全力を尽くされん事を/さすれば/我ら等一つも/遺憾とするところなし、』
(「沈没の原因」,「沈据後の状況」部分 省略)
『公遺言/謹んで陛下に申す、/我が部下の遺族をして/窮するもの無からしめ給わらん事を、/我が念頭に懸かるものこれあるのみ、/右の諸君によろしく(順序不順)・・・/(省略)/十二時三十分/呼吸非常に苦しい/ガソリンをブローアウト/せししつもりなれども、/ガソソリンにようた/一、中野大佐、/十二時四十分なり、(絶筆)』(カタカナ部分を平仮名で示す。)
極限の状態で,当然,推敲なしで この名文を認めるのは ただものではありません。無駄がないだけでなく,全ての面に心配りする内容があります。確実な死を前にした 32歳の大尉のこの冷静さと文才は 明治の教育で培われたものだけでなく 本人の優れた能力によるものだったのでしょう。
その後,ワイフが見たことがないと言うので 「両城の200階段」下まで行きましたが,「鯛乃宮神社」の115階段を済ませたばかりなので 今回も昇るのを見送りました。
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