高校生の頃の大江健三郎氏と柴田翔氏の記憶は
大江健三郎氏と 柴田翔氏は 共に 昭和10年(1935年)生まれ,両氏共 東京大学文学部(大江氏は仏文学科,柴田氏は独文学科)卒業,さらに 両氏共 芥川賞を受賞しています。
大江氏が芥川賞を受賞したのは 昭和33年(1958年,受賞作品 「死者の驕り・飼育」),このとき 私は小学生で 記憶は 全くありません。柴田氏が芥川賞を受賞したのは 昭和39年(1964年,受賞作品 「されど われらが日々-」,このとき私は 高校1年生で 記憶があります。
私が高校生から大学生の頃,大江氏の「個人的な体験」 と 「万延元年のフットボール」,そして 柴田氏の「されど われらが日々-」 と 「贈る言葉」 が出版されました。
同級生に 大江健三郎フリーク(?)がいて,「この2冊は読まなければいけない。」と言われて読みましたが,残念ながら 私の読解力と感性を超えていました。
他方,柴田翔氏の 2作品は 当時の私にとって 面白く,興味を持って読むことができた青春小説でした。それから 40年以上経って ストーリーの記憶も 本も,もはや ありません.。今,読み返すと どのように感じるのでしょうか。
Wikipedia によれば 芥川賞受賞作品の中で 「されど われらが日々-」は 村上龍氏の「限りなく透明に近いブルー」(昭和51年 受賞)の累積発行部数:354万部に次ぐ第2位で 186万部だそうです。(2006年時点)
「BS2 シネマ・プレビュー」→「萩尾みどり」→「ポーラテレビ小説」→「木内みどり」→「東宝映画 『されど われらが日々-』」 の連想で 「柴田翔氏」に至り,高校生時代を思い出しました。
大江健三郎氏は 1994年に ノーベル文学賞受賞。
柴田翔氏は 東京都立大学の助教授を経て 1969年 東京大学の助教授となり,1995年 教授で定年退官し,名誉教授となりました。小説家というより ドイツ文学者です。
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