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2010年3月26日 (金)

支間長:367mの 若戸大橋は 東洋一の吊橋だった。

Img_6658 北九州市の洞海湾を跨いで 戸畑区と若松区を繋ぐ「若戸大橋」は日本の長大橋の魁となった吊橋です。

東京オリンピックの二年前,昭和37年(1962年)に完成し,支間長:367mは東洋一でした。完成時には戸畑区と若松区を会場とする「若戸大博覧会」(若戸大橋完成記念-産業・観光と宇宙大博覧会)が開催され,当時 中学2年生で 北九州に住んでいた私は 遠足で行き,エレベータで橋台を上がり 歩道を歩きました。

見上げる主塔は 構造物として初めて見る巨大さで距離感覚を狂わせるものでした。

(注:北九州五市 - 門司市,小倉市,戸畑市,八幡市,若松市-が昭和38年に合併して北九州市となる。若戸大橋完成は 合併前で 正確には 戸畑市と若松市を結んだ。
蛇足:北九州五市が合併するときに調整すべき課題のひとつに 市庁舎をどこに置くか-がありました。私の記憶では 五市のうちで 面積が狭い割に大企業が多く,最も財政的に裕福だった戸畑市は合併の条件として 市庁舎を 小倉市,戸畑市,八幡市の三市が隣接する丘陵地帯とすることを条件とし,それが合意されることで合併に調印しました。ところが 合併決定後の九州工業大学教授による地質調査結果,「予定地の地下に廃坑があって ビルを建てるのは不可能」 との報告が出て,極めて単純な代替案として小倉に市庁舎が移されました。当時,中学生ながら この不手際に 釈然としないもの,あえて言えば 欺瞞性を感じました。)

(若戸大橋の話にもどる) 東洋一の支間長と言っても当時世界一の「ゴールデンゲート橋」(1937年完成)は 1,280m1883年に完成した ニューヨークの「ブルックリン橋」でさえ 486mあり,367mの支間長は 世界的にはささやかなもので 日本の橋梁設計・建造技術は この時,まさに黎明期でした。 

若戸大橋から 30余年後の1998年に完成した 明石海峡大橋は 支間長 1,991mで世界一であり,今や 日本の橋梁技術は世界最高レベルとなっています。

「若戸大橋」を 思い出したのは 広島県呉市の上蒲刈島にサイクリングに行こうとルートを調べていて「安芸灘大橋」を知ったからです。

かつて呉市に住んでいて この島にサイクリングに行くときはフェリーに乗っていましたが いつの間にか 本州と下蒲刈島間に「安芸灘大橋」が出来ていて(2000年),下蒲刈と上蒲刈を結ぶ 「蒲刈大橋」が以前からあるので 自転車でそのまま行けるようになっていました。

この「安芸灘大橋」を調べると 何と 支間長 750m,かつて 東洋一だった「若戸大橋」の 2倍の長さがある立派な橋のようです。

「若戸大橋」は その後 若松区に住宅地が広がり,最近は企業が進出して1987年に 渋滞対策のため 歩道を廃止,拡幅して 2車線から4車線になっているようです。

さらに 慢性化した渋滞対策のため 新若戸道路(トンネル)の建設が進められているとのことです。 

それに 比べ 「安芸灘大橋」 は・・・・。

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