「花壇の水あげ当番」?
「あげる」は, 一般形 「やる」 の謙譲語であって 決して 丁寧語ではない,と思っています。
最近は その認識がない人が急激に増えつつあって,かつて このブログで書いたように, ピアニスト 辻井氏の父親の 「息子に××してやりたい。」 とテレビのインタビューで語っている画面のテロップに 「××してあげたい。」 と流れて,驚くと共に テレビ局(担当者)の見識の無さ,辻井氏の父親への無礼さを不愉快に感じたことがありました。
息子に対して謙譲語を使わない常識ある父親を,いかにも ぞんざいな言葉を使っているように報道するのは どのような神経と 国語の知識を持っているのか 不思議に思っていました。
世の中,どうなっているんだろうかと 調べてみると 2007年に 「文化審議会答申」で 『敬語の指針』というのがありました。
この指針の 「第1章 敬語についての考え方,第2 留意すべき事項,2 世代や性による敬語意識の多様性」の項に この言葉に関する記述があります。
その一部を引用すると-
「・・・例えば 『植木に水をやる』を適切な言葉として選ぶ人は,『あげる』に謙譲語的な旧来の意味を認め,『植木』は その種の言葉を用いるべき対象物ではないと考えている可能性がある。一方,『あげる』を使う人は,この語の謙譲語的な意味が既に薄れていると考え,同時に 『やる』という語に 卑俗さ,ぞんざいさを感じて避けている可能性がある。
現代は,この二つの考え方が 言わば 拮抗している時代であろう。
『植木に水をあげる』という場合の『あげる』は,旧来の規範からすれば 誤用とされるものであるが,この語の謙譲語から美化語に向かう意味的な変化は 既に進行し,定着しつつあると言ってよい。」
私の考えが,『旧来の規範』で 『旧来の意味』に基づいていても,その意識のない人には 私の言葉は 「卑俗」にして「ぞんざい」 と感じられているとのことでした。『旧来』に悪い意味はありませんが 「旧来の陋習」などと使われ イメージはよくないですね。
どのような人々がこの審議会の委員だったのか調べていませんが,文部科学大臣が任命している人々が書いたのでしょうから確かでしょう,記述に不満はありますが。
敬語を使う感覚は 敬語を意識してから50余年 ほとんど変化してないので,これからも 「あげる」を謙譲語とし,普通は 「やる」 を使うでしょう。
「乱暴な言葉を使う じいさんだ。」と 思われながら 生きていくことになりそうです。
ところで, 上述の傾向が事実なら 小学校の「花壇の水やり当番」 は 「花壇の水あげ当番」 になるのだろうかと 試しに検索してみると,既に 旧来の規範から離れて 「花壇の水あげ当番」 としている学校がありました。
根がついている花を どのように 「水あげ」 してやるのでしょうか?
更に,「水やり当番」としているサイトでも 動詞として 「水をやる。」と記述しているのは ほとんどなく,「水をあげる。」 でした。花もえらくなりました。
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