「地上の楽園」は今?
「北朝鮮 総書記の3代目後継者決定」と 盛んに報道されています。
前世紀というより 19世紀以前のような国です。
ふと思い出しました。
50年前,多くの在日朝鮮人とその家族が 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に永住帰国しました。正確には 昭和34年(1959年)から始まり(1950年からが第一期?) 1984年までに 93,340人が北朝鮮に向ったとWikipediaに書いてあります。
「地上の楽園」,「完全就職,生活保障」などと 朝鮮総連が宣伝し,日本で 楽ではない生活をしていた朝鮮人は 新しい土地での生活に希望を持ち,故郷の国に向ったそうです。
このときの北朝鮮と日本政府のねらい・思惑などは よくわかりません。
後から書かれた本を読むとー
北朝鮮政府と 朝鮮総連の宣伝の成果で(?),北朝鮮の人々は 日本を貧しい国と思い,在日朝鮮人は 北朝鮮を それこそ「地上の楽園」と思っていたようでした。
初めての 移住者(帰還者)を乗せた船が 北朝鮮の港に着いた時,出迎えた北朝鮮の人々と 日本からの帰還者は 互いに 互いの身なりを見て驚きました。
北朝鮮の人々は 帰還者の服装の立派さに,帰還者は 北朝鮮の人々の服装の粗末さに驚き,互いに抱いていた思いが見事に消滅した瞬間でした。
昭和30年代前半,(現在の)北九州市で小学3年生か4年生だった私の同級生の男子が,突然,いなくなったことがありました。
担任教師が そのことについて どのように説明したのかの記憶はありませんが,北朝鮮に行った,もしくはその準備に入ったことは理解できました。その説明があったときには 本人は既にいませんでした。
本人は 同級生に何も言わず去って行きました。
小学3,4年生で 自分の意思ではなく,親に付いて行くしかなかった彼は挨拶など しようもなかったのでしょう。
姓は日本人のそれでしたが,名前は 「ショウショク」 君で,字は覚えていませんが 変わった名前だとは思っていました。
勉強も運動も生活態度も 目立たない男子でした。私には 彼が日本人ではない,との意識はなく一緒に遊んでいました。
どのような運命が 彼を待っていて,どのような生活を送ったのでしょうか。
半世紀が 過ぎました。
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