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2011年2月 3日 (木)

「自爆テロ」で 思うこと。

ロシアの空港で 35人が死亡した自爆テロがありました。

いつの間にか 「自爆」が 異常に感じられない世の中になっていました。
かつて 自爆と言えば 上海事変の「肉弾(爆弾)三勇士」,第二次世界大戦中の「神風特別攻撃隊」,「回天」で  日本の究極の非人間的人間兵器でした。
第二次世界大戦後, 3~40年間 「自爆」は忘れられていました。

1970年代,ハイジャックが頻発し,その対策として 乗客と機内持ち込み手荷物に対する凶器(銃,刃物など)を対象とする保安検査が厳しく行なわれていましたが,爆発物に対する検査は,特に 受託手荷物に対しては行なわれていませんでした。

そもそも 「自爆」は想定外で,預託手荷物に時限装置付き爆発物を入れて 自分が乗っている飛行機を爆破するなど有り得ないとの考えだったのでしょう。

1987年,金賢姫 他1名の北朝鮮工作員(いまだに,異論が存在するようですが)による「大韓航空機爆破事件」が,機内に持ち込まれたトランジスタ・ラジオに仕込まれた時限装置付きプラスティック爆弾と酒瓶に入れた液体爆弾によって起こされました。
この大韓航空機は バクダートを出発し,アブダビ,バンコクを経由してソウルに向かう便で,金賢姫 他1名は バクダードで搭乗し,持ち込んだ トランジスタ・ラジオと酒瓶を入れた鞄を 八ットラックに残したまま アブダビで降り,バンコクに到着する前に時限装置で爆発したと言われています。
経由地で降りる乗客の持ち込み手荷物の放置を厳密に防止するのは 現代でも かなり困難と思われます。

1980年代後半から 飛行機に限らず 自爆テロが発生するようになり,徐々に 航空会社の判断で 持ち込み手荷物に加えて 受託手荷物の爆発物を対象とする検査が行なわれ始め,成田空港では 1990年から 受託手荷物の全数検査の実施が始まりました。

今や 国内便でも 預託手荷物内を含み ライター 1個のみです。

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