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2011年4月の30件の記事

2011年4月30日 (土)

10連休の初日は「呉みなと祭」

金曜日からの10連休の初日は 恒例の 「呉みなと祭」です。

雑踏が好きなわけではありませんが,関東にいた15年間の休日に 青山や渋谷に出かける生活をした後,呉市に戻ってきて 人口密度の落差に 若干の寂しさを感じるところあって 人混みに敢えて出かけました。

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蔵本通りは,いつもはどこに隠れているのだろうかと思う人々でいっぱいです。

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今年も 国際村ゾーンの,U.S.ARMY からの出店で 100円のホットドッグ,夫婦で 400円の昼食。

Coke は Made in USA。

Img_9756やがて パレードが始まり,トップの小学生の「トランペット鼓隊」に 「U.S.ARMY 軍楽隊」が続きました。

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いつもの 海上自衛隊 音楽隊(軍隊ではないので 「軍楽隊」とは言わない?)の出場はありませんでした。この時期なので 自粛したのでしょうか。

Img_9743帰り道,明日 閉館する「呉シネマ」の前を通りました。
最後の 上映映画は 「男はつらいよ- 寅次郎 忘れな草」 と 「男たちの大和」,入場料 500円 でした。

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2011年4月29日 (金)

ビンゴゲームは かつて-

最近(?),パーティーなどで企画され,座を盛り上げる ビンゴゲームは 私の若い頃(30~40年前)には 一般的なものではなかったように思います。

但し,パチンコ店が 現れ 増えてくる前の一時期,ビンゴゲーム店が 繁華街にありました。
おそらく,昭和20年代の終わり頃(半世紀以上前)のことだと思います。

「ギャンブル」として存在したのでしょう。
パチンコ店に比べ,少ない資金で開店できたという事情があったのかもしれません。

小学校に入る前で,何の店で,何をしているかは分かりませんでしたが,店の外まで聞こえる スピーカーを通したオバサンの,数字を連呼する声の記憶があり,それが「ビンゴ屋」という名前であることは知っていました。
ちらりと見える内部は,階段教室のように 座席が並んでいました。
前を通る時,何となく胡散臭さを感じました。

あまりいい印象がないためか,今でも 「ビンゴ」(当たり!)という言葉に 若干の抵抗があります。

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2011年4月28日 (木)

春の 紅い花

Img_9737「金魚草」 と 「芍薬」 です。

紅色が鮮やかです。

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2011年4月27日 (水)

復興計画の目的と目標

復興は どのような順序で計画され 実行されるのでしょうか。
一般的に考えれば-

何事をするにも 「目的」と「目標」を明確に定めて,複数の「目標」を満足する最適解を得て,「目的」を達成する計画を決定することが必要です。

「目的決定」→「目標設定」→「計画案検討」→「計画検証」→「計画決定」→「実施計画策定」→「実施」 というプロセスになるでしょう。

「目標」を設定する時,それらを満足することが「目的」を達成することに繋がるか,「目標」にモレはないか,を検証する為に「目的」を明確にしておくことが必要です。
「目的」には 対象とする範囲も必要です。被災地のみとするか,日本全体を考えた復興目的とするかの判断が必要です。

「目標」の設定条件としては-

  • 絶対に満足する必要があるか(満足しない計画は無意味となる目標),満足することが望ましい目標か,を明確にする。
  • 各目標を数値で表して,実施計画検証時に期待数値と比較し,計画の適否判定可能とする。
  • 費用,時間,その他の経済的・人的資源を明確にする。いつまでに,xxx円以下で-など。

が,あるでしょう。

この目標(復興構想)が決まって これらを達成するための復興計画が検討されなければなりません。
目標設定は 困難で重要です。

この計画は 第二次世界大戦後,日本になかった大きさになると思えます。
関係する組織も大きく,参加する人も多数になるでしょう。

復興構想・計画策定の主導は 当然 政府です。
スピードが重要です,が・・・。

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2011年4月26日 (火)

AIDECの昔のBent Wood Chair

AIDECは THONETの輸入代理店として 曲げ木椅子を販売しており,サイトで紹介しています。

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代表的な籐の座面の曲げ木椅子は-

左が No.214,\101,850。
右が No.209,\153,300 で かなり高価です。

手元に 25年前(1986年)の AIDEC “BW Series” のカタログと Price List がありました。

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No.214に相当する A-144,146 が \18,000,No.209に相当する C-629が \28,000 でした。
25年前とはいえ,価格の差がありすぎます。

当時から AIDEC はTHONETの輸入代理店でしたが,このカタログの曲げ木椅子は THONET の製品ではなく,第二次世界大戦後に THONETが手放した チェコ や ポーランドの工場で作られたもののようです。

30年前に購入した 5脚のA-144,1脚の C-629 は何回かの座面張替えを経て,我が家では 現役です。

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2011年4月25日 (月)

「まくわうり」が育つか?

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家人が 農協で 「まくわうり」の苗を 1株 60円で 2株買ってきて,ベランダの発泡スティロールの箱で育て始めました。

さて,うまく育つでしょうか?

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2011年4月24日 (日)

土曜日の朝,チケット購入がてら-

7月に 呉市文化ホールで開催される高橋真梨子さんのコンサート チケットの一般発売 4月30日に先立ち,主催の呉市文化振興財団・友の会 会員への先行発売が土曜日の8時30分からあって,朝食抜きで 小雨の中を文化ホールに行きました。

Img_97287時40分頃,文化ホールに着くと 既に50~60人が並んでいました。

9時過ぎに購入を終わって帰る頃に 並んでいる人を加えると 累計 250人ほどでした。

個人会員:2枚,グループ会員:5枚,法人会員:15枚 の購入制限枚数で 250名が平均3枚 購入とすれば 一般発売を待たずに ほぼ半分がこの日に売れることになります。

近くの ファミリーレストランで朝食を済ませ,帰路につきました。

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雨は既にあがって 緑が鮮やかでした。
蔵本通りの ピンクのハナミズキです。

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同じく 蔵本通り沿いの 藤棚です。

 

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2011年4月23日 (土)

まるで 日本の新聞の社説のような見出しは-

「日本が友情で応える番だ」 のタイトルの新聞記事があるとするなら,少なくとも 今から5年以上経ったある日の日本の新聞の社説だと 世界中の国の人々は考えるでしょう。

これが,311日から 1ヶ月と少ししか経っておらず,行方不明者が まだ1万人以上いて,復興の緒にも付いてない420日付けの韓国の代表的新聞社の日本語版ネットニュースに掲載された 論説委員の署名入りコラムのタイトルで,さらに応えるべき対象が韓国だとしたら,日本人ならずとも唖然とするでしょう。 

相変わらずの 「中央日報・日本語版」です。

タイトルだけで 内容が推し量れるようなものですが,ざっと読むと,最初の2/3は 台湾の多額の義援金について詳細に書かれています。
論説委員さんの本旨と関係ないようですが,気になる表現として 地震に関する限り台湾と日本は同病相憐れむ立場であるしかない。」とあります。 
第三者としての この発言のニュアンスを,分かって使っているとすると 大胆です。

そう書いておきながら  「 まさかの友は真の友という言葉が合っているなら、台湾は日本の友になる資格がある。 史上最悪の大地震に苦しむ日本を支援するのに最も積極的な国が台湾であるからだ。」 と 高い立場で評価しています。 
ここまで 読むと 日本と台湾の良好な関係について 韓国が これほどまでに書く目的は何だろうか,と疑問を持ちます。

そして どんでん返しの最後の2段に 結論がきます。

東日本大地震後の1カ月間、韓国では588億ウォン(約45億円)の寄付金が集まった。 他国を支援するために集めた寄付では歴代最高額だ。 元日本軍慰安婦女性までも募金に賛同した。 独島(ドクト、日本名・竹島)を日本の領土と記述した日本の歴史教科書問題さえなければ、もっと多くの寄付金が集まっていた可能性が高い。 韓国は台湾のように日本の世話になったこともない。 人の痛みを自分の痛みと考える純粋な人道主義的な同情心以外には説明できない。 

友情を金額で表すことはできない。 重要なのは金額ではなく、その中に込められた気持ちだ。 恩を返す気持ちが大切であるように、苦境に陥った人を助ける純粋な気持ちも大切だ。 韓国と台湾が集めた寄付金それ自体は、実際には日本にとって重要なものではないかもしれない。 なくても変わらないものかもしれない。 日本が心より感謝するべきことは、かつて植民地だった両国の国民が見せた友情だ。 今は日本が友情で応える番だ。 

台湾を一緒にして 両国とするのは 台湾に対して 失礼です。 
感謝を強要する,義援金に込められた友情とは どのようなものでしょうか?

友情を金額で表すことはできない。重要なのは金額ではなく、その中に込められた気持ちだ。」と言えるのは 日本人の感覚なら 義援金を受け取った国,もしくは 国力相応 又は 相応以上の義援金を出した国であって,台湾の何分の一かの義援金で 「他国を支援するために集めた寄付では歴代最高額だ。」と誇っている国ではありません。 

韓国は台湾のように日本の世話になったこともない。」 をどのような意味で書いているのかわかりません。 
「台湾は 日本に世話になったから 多額の義援金を出すのは当然。しかし,韓国は・・・」 となると 「込められた気持ち」が分かりません。

「あれだけ世話したんだから,少し 行儀よくしたら。」などとは,そのことを知っている人にも 知らない(ふりをする)人にも言いませんが,韓国(語)に「品性」と「羞恥心」が存在しないとしても,世界には そういう文化があることに 早く気づいてほしいと願うばかりです。 

因みに 私は キムチを食べないし,仕事を除いて韓国旅行をしたことはなく,将来も行くつもりはありません
これは 単純な趣味・嗜好の理由で,深い意味はありません。

少女時代は いいと思います。

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2011年4月22日 (金)

明朝,並ぶ。

高橋真梨子さんが コンサートツアーで ここ呉市に来演することを知りました。

“FUJITSU Presents MARIKO TAKAHASHI concert vol.35 2011 soirée 6月12日の埼玉を皮切りに 11月23日の東京国際フォーラムまで 44公演,呉市は 7月です。

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呉市では 17年ぶりの公演だそうで,ちょうど17年前に 呉から東京に転勤したので記憶にありません。

「これは 行かねばなるまい。」 とチケットの販売日を確認すると,4月30日。イープラスで買うことになるかな,と思いながら更に 見ると,それより 1週間前の 4月23日に 「友の会」会員に 10%割引で 発売とありました。

     「友の会」とは何ぞや,と調べると 主催団体である「(財)呉市文化振興財団」の会員のようです。

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    「年会費 \2,000,1会員で2枚のチケット購入可能」 ということなので 家人に入会してもらいました。このコンサートのためか,突然,会員が増えたとのことでした。

     明日の朝は 並ぶことになりそうです。こんなことは滅多にないことです。

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2011年4月21日 (木)

団塊の世代は 酒井和歌子(?)

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コマーシャルで 酒井和歌子さんを見ました。

「風邪,イヤネ。」の風邪薬のコマーシャルから もう40年が経っているでしょうか。

1949年生まれの彼女は 団塊世代・高校男児のあこがれでした。
(ほんとにそうか? と問われれば,完璧な自信はありませんが-)

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2011年4月20日 (水)

東京からの 諸々。

先週,家人が用事があって上京し,1週間 ウロウロして日曜に帰って来ました。
着いた月曜日の夕方,銀座の喫茶店で地震に遭い,翌朝,ホテルを出たときに地震があり,乗ろうとした 「ゆりかもめ」が運転休止なったそうです。

買い物に行ったわけではありませんが,いつもどおり,諸々の品物を持って帰りました。

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アップル・シナモンの蝋燭。(@IKEA)

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「グースベリー」と「クラウドベリー」のジャム。(@IKEA)
泡たて器。(@IKEA,79円。)

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「西洋胡麻煎餅(?)」(@DEAN & DELUCA)
「明治屋ダージリン茶マシュマロ」(@どこかの輸入食品店)
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和のねんりん家の「桜の国のマウントバーム」(@多分,松坂屋)
「ブルーベリー茶」(@IKEA)

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「菊芋」(@船橋の農家)
「GABANの黒こしょう」(@どこかの輸入食品店)

その他,省略。
慎ましい主婦の買い物です。

広島に 何もないわけではありません。

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2011年4月19日 (火)

「桜」のあとは 「ハナミズキ」

桜の花が散りました。

そして,近所の家の庭の「ハナミズキ」が満開です。

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2011年4月18日 (月)

「七人の侍」のパンフレットがあった。

Img_9631昭和29年(1954年)に封切されたときの パンフレットでは ありません。当時,パンフレットが存在したかどうか知りませんし,小学校入学前で 観ていません。

これは 昭和50年(1975年),36年前に リバイバル公開されたときのパンフレットで 色褪せています。
映画館でパンフレットを買うことは ほとんどありませんが,特に感動したのか 持っていました。27歳でした。

この時が,「七人の侍」を観た最初でした。
この映画を リメイクしたユル・ブリンナーの西部劇 「荒野の七人」(“The Magnificent Seven”,1961年 日本公開)を 中学生の時に観て,元になった「七人の侍」を観ることを待望していました。

日本映画で 「七人の侍」が 全ての面で 最高の映画だと思っています。

1975年に 映画のビデオが存在していたかどうか,記憶がありませんが,少なくとも 私は観ていませんでした。
最近は DVDもあるし,1,2年前 NHK BSで 黒澤明 特集を放映するなど いつでも 観られるようになりました。

Img_9633リバイバル上映のパンフレットなので 志村喬さんと 津島恵子さんが 20数年前の撮影時の想い出を語っています。

Img_9636七人の侍を演じた七人の役者さんは既に逝ってしまいました。

この映画の紅二点(?)の女優-津島恵子さんと島崎雪子さんは ご存命です。(お二人とも 私の好きな日本の女優 ベスト・テンに入ります。)

また,村から侍を探しに来た農民の前を歩く浪人役で出ていた(クレジットにはない) 仲代達矢さんと 宇津井健さんは お元気のようです。

因みに七人の役者と 公開時の年齢は次のとおりー

  • 志村喬(1905~1982) 49歳
  • 加東大介(1911~1975) 43歳
  • 宮口精二(1913~1985) 41歳
  • 千秋実 (1917~1999) 37歳
  • 三船敏郎(1920~1997) 34歳
  • 稲葉義男(1920~1998) 34歳
  • 木村功 (1923~1981) 31歳

でした。

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2011年4月17日 (日)

「牛たんカレー」は?

東日本の大震災で多くの人々が辛い目にあっているときに つまらない心配をして申し訳ないのですが・・・。

Img_9637(株)西木食品さんの 「仙台発 牛たんカレー」です。

西木食品さんの住所は 「宮城県岩沼市」です。
地震と津波の被害にあっているのではないかと ホームページで調べると,やはり 被害を受け 生産が再開できてないようです。

93歳と89歳の 二人暮らしの両親に 何年か前から 時々,食品を送っています。
デパートの食品売り場を見て歩いて 簡単に食べられる食品を探して送っています。
偶々,1年ほど前に この「牛たんカレー」を送ったところ 気に入ったとのことで,近くの店で 纏め買いをして 絶やさないように送るようにしてきました。

個人的事情で恐縮ですが 早い復興を願っています。

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2011年4月16日 (土)

狙いは何?

韓国の 中央日報日本語版がまたしても・・・

4月8日付け 「【世説】日本は永遠の小国になろうとするのか」と題する記事(「世説」の意味は不明,「社説」の翻訳ミス?) で 出来の悪い中学生が書いたような作文を公表していました。

5段の文章で構成され,1段から3段で  朝鮮半島から見た日本の歴史を述べていますが,韓国で教えられている日本と韓国(朝鮮)の歴史がどのようなものかを推察可能な内容で,「荒唐無稽」としか言いようがない,ということで文章の引用は省略します。

4段,5段は 次のとおりです。

『この結果に対して日本だけを恨むものではない。われわれは過去の一時期、遠慮なく日本を無視し蔑視した。その結果長い間の劣等感が醸し出した日本の大国指向的帝国主義はわれわれにブーメランとなって返ってきたのだ。だが、今回の東日本大震災に続くわれわれの態度は、長時間積み重ねられたわれわれの精神文化が光を放つ契機となった。隣国に広がった惨憺とした現実に旧怨を越えてわれわれが見せた患難相恤の精神は自分たちが見ても満足だった。

  しかしわれわれの心とは別に日本の態度は相変らず残念なものだ。代表的なものが領土問題だ。心が痛くて凄然とするほどだ。この数世紀の間、東洋の精神文化に対する疎外が彼らにこんなにまで作用しているのかと思う。独島(トクト、日本名・竹島)がいくらほしくても、隣人の心を得ることほどの価値があるとは考えられない。「領土を得るのはその土地分だけの利益だが、隣人の心を得るのは無尽蔵な時間の利益」という点を忠告したい。』

  • 日本を無視し 蔑視した時期があったそうです。
  • そのため,日本(人)は 長い間,劣等感を持っていたそうです。
    申し訳ないことですが,逆はあったかも知れません。
  • 東日本大震災に対する自国の支援を自らが褒めています。自己満足の為の支援だったことを公にするだけでも精神状態が疑われますが,自らを褒める表現が正気の沙汰とは思われません。これは 韓国人にとっては普通のことなのか,記者 or 論説委員の特異な性格によるものなのか,韓国人との付き合い経験がほとんどないので不明です。
  • 新入りの記者が書いたとしても 大新聞社の組織のチェックを経ているでしょうから 新聞社,あるいは韓国人にとっては違和感のない内容ということでしょうか。
  • 「支援すれば 竹島を譲ってくれるものだと思っていたが,失望した。」ととれる書き方です。

正直と言えば正直な内容で,韓国の大新聞の日本観と 韓国人の隠し立てのない意識・民族性(彼らの‘長時間積み重ねられた 光を放つ精神文化’)が分かって 興味深いのですが,この文章を日本人向けに公表する狙いが理解不能です。忠告するというより,脅迫しているようです。

隣国の教育方針や対日感情を伺うことができる貴重な新聞として 時々 目を通しておきましょう。

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2011年4月15日 (金)

復旧・復興財源は-

この度の東日本大震災の復興費用が 約20兆円前後と試算され,期限付き増税(消費税,煙草/酒税,・・・)案などが浮上しています。
実施も止むを得ない気がします。

が,まずは 小学生が社会科の時間の「こども内閣」で考えたようなレベルのバラマキ4K政策(「こども手当て」,「高速道路無料化」,「高校授業料無償化」,「(農家の)戸別所得補償」)を廃止してからにしてほしいものだと思っています。

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2011年4月14日 (木)

かつて 原子力工学は-

4月12日,福島第一原子力発電所の事故に対して,経済産業省原子力安全・保安院と原子力安全委員会は INES(Internatinal Nuclear Event Scale,国際原子力事象評価尺度)を レベル7に上げたと報じられました。

今回の事故に対して,テレビの各局に出て コメントする原子力工学を専門とする大学の先生の数の多さに 少し驚いています。
北海道から九州まで 次々に新顔の大学教授が現れます。
現在,原子力工学に直接関係する産業が発電プラントしか思いつかないので,原子力発電がなくなったら・・・と他人事(老婆心ながら,「ヒトゴト」)ながら気になるくらいの多さです。

原子力工学関係の学科は 昭和30年代から40年代初めにかけて創設されました。
旧七帝大での関係学科(工学部のみで理学部を除く)を創設順に挙げると-

1958年:京都大学 原子核工学科
1960年:東京大学 原子力工学科
1962年:東北大学 原子核工学科,
           大阪大学 原子力工学科
1966年;名古屋大学 原子核工学科
1967年:北海道大学 原子力工学科,
           九州大学 応用原子核工学科

となり,この10年間で 全ての旧七帝大に揃いました。
専門家が多いはずです。

40~50年前,原子力(核)工学は 先端学科で,将来の産業に重要な分野と考えられていました。
1970年頃,工学部(原子力とは直接関係ない学科)の学生だった私も 「原子炉工学概論」を必修単位として履修しました。

その後,1980年代から志望学生が減少し,1990年代から 学科名から 「原子力(核)」が消え,「エネルギー量子工学」,「システム量子工学」などに変わっているようです。

ところで,現在 進行中の原発事故を収束させる方策は 日本の最高の技術レベルのチームが取り組んでいるのでしょうね,「東電さん」と「原子力安全・保安院」の技術レベルを疑うわけではありませんが,テレビの記者会見を見ていると 少し気になります。

          

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2011年4月13日 (水)

45年を経て とうとう 買ってしまった “TAKE IVY”

2010年8月,アメリカの出版社(powerHouse Books,NY)から1冊の本が出版されました。

Img_95931965年に 婦人画報社から出版された写真集 “TAKE IVY” の英語版です。45年を経て,アメリカで復刻されました。

出版1年前の2009年6月17日に,The New York TimesFashion & Styleに,‘The All-American Back From Japan’というタイトルの記事が掲載されました。
日本語にすると,「日本から戻ってきた真にアメリカ的なモノ」(?),スッキリしないですが,そんな意味でしょう。

この中で,「“preppy style” のルーツがアメリカにあることは確かだが,今日の “prep moments” の「精神(spirit)」,「厳密さ(rigor)」 そして 「完成度(execution)」は Sony と同様に 日本によるものである。」と述べられています。
「1965年に東部の大学構内で T.Hayashidaによって撮られた,魅力的な日本の写真集 “TAKE IVY” をパラパラめくるだけで この趣旨が分かる。」と続きます。
更に 「“TAKE IVY” は アメリカでは常に希少で,ファッション関係者の貴重品(treasure)として eBayや 古本屋で 1,000ドル以上の値が付いている。」とあります。
この記事がきっかけで 更に値段が上がり,アメリカでの re-print に繋がった,ということでしょう(か?)。

2010年7月23日,出版前に またしても The New York TimesFashion & StyleThe Look(新書紹介?)で “TAKE IVY” が取り上げられていました。
ここでは 「・・・online で 数千ドルで “TAKE IVY” が取引されていた。・・・ 来週からは 誰でも 24.95ドルで “TAKE IVY”の odd influence(何と訳すべきか?) を経験できるようになり ・・・」などとありました。

Img_9595今回 出版された “TAKE IVY”のカバーの裏には The New York Times,2009年6月17日の記事の文章が引用され ‘Described by The New York Times as,“a treasure of fashion insiders,” Take Ivy was originary published in Japan in 1965,・・・’と書かれています。

1965年にオリジナル版が出版された時,私は高校2年生。その後,1973年と 2006年に日本で復刻版が出ましたが,買いませんでした。

今回,初めて 英語版を手にして写真を眺め,ほとんどの写真に見覚えがあることに驚きました。
1968年~1972年の学生時代,毎月買っていた 婦人画報社の‘MEN’S CLUB’に 幾度も掲載されていた写真を見ていたからのようです。

先週,東京出張の折り 立ち寄った WNE LABEL for SHIPS 銀座店(銀座1丁目)で積んであったのを見かけて買いました。
オリジナルが45年前の日本の写真集とは思えない出来栄えです。

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2011年4月12日 (火)

「想定外」の意味は?

『想定外』は 今回の震災で よく聞く言葉です。

「東北地方太平洋地震」は 宮城県から茨城県沖で予想されていた4つの大地震の想定震源域が連動して動いて巨大地震につながったもので,地震調査委員会の阿部勝征委員長(東京大学名誉教授)は 記者会見で 「4つの想定域が連動するとは想定できなかった。地震研究の限界だ」と述べました。

要するに 地震自体は 『想定外』だったようです。

一方,防潮堤を乗り越えた津波に対して,『想定外』の高さだったと言われています。

この二つの『想定外』は意味が違うように思えます。

地震学者は 純粋に学問的に想定しており,如何なる制約も受けずに想定することが可能だったが,想定できなかった,という意味での 『想定外』と思えます。

防潮堤(堤防)に対する津波高さの『想定外』は,設計条件に対する想定外で,数百年に一度の津波より大きかった,という意味であって,考えが及ばなかったという意味ではないでしょう。
千年,二千年に一度の津波の高さを想定して設計してなかった,という意味での適用設計条件に対する『想定外』です。想定できなかったのではなく,「想定しなかった」のです。

自然(風,雨,地震,波,気温,・・・)を外部条件として ある構造を設計・施工する時,人命に関わる構造であっても,「費用対効果」(経済性)の制約があります。
例えば,文明が発生してから現在までの約1万年の間に 人類が経験した あらゆる最大規模の自然現象を想定して,災害から命と財産を守るという設計条件を適用することは まず有り得ないことでしょう。

自然現象に対する設計条件を決めるのは,特に 公共の構造物に対しては 法律などの規定であって,その条件を遵守して 設計・施工している場合の『想定外』は 規則に対して言っています。

何れにせよ,自然は人智では計り知れないものと覚悟するしかないような気がします。

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2011年4月11日 (月)

Baracuta G35,Windcheater

Baracuta (英国)から “Spring Sale Now On! Don't Hang About!!” の件名でMailが来ました。

Hang About’が よく分かりませんでしたが,サイトを覘いて New Arrival の ‘G35 “Dean” Windcheater’ というのを見つけ,欲しかったタイプだったので注文しました。

何のデザインもないシンプルなジャンパーです。英語では 単に ‘Jacket’ です。
サイトに示された Spec.には-

Concealed full zip.
Straight edge to cuffs.
Elasticated bottom hem.
Front pockets.
Unlined.
2 Way Zip Puller, Baracuta Buttons & Concertina Pin Badge.
Fabric Composition:100% Cotton Canvas 

-とありました。

Img_9597Unlined’ というのは ,「ライナー」の ‘line’で 「裏地無し」ですね。

英国では Spring & Summer 用でしょうが,日本では 春・秋用です。
Khaki’ と ‘Dark Red’の2色のうち ‘Dark Red’ を選びました。
Windcheater’は 日本語では ウィンド・ブレーカー の意味と思われます。

日本のサイトでは G35 は見当たらないので 輸入されてないようです。

Img_95986,7年前に買った,これもマイナーな Baracuta G19と並べると,Dark Red と言うより むしろ Bright Red の明るさです。

Img_9604Img_9602折り襟にネックタブ付きで ラグランスリーブ,裾は spec. の ‘Elasticated bottom hem’通り 全周にシャーリングが入って絞っています。
最近ありがちの,事務服に見える裾を絞らないタイプではありません。

値段は £99(サイトでは Was と表示) が,Sale の2割引で £79(Now),VAT を引いて(英国民ではないので) £65.83 が商品価格,これに商品価格の1/2以上の送料 £35(by DHL。安いRoyal Mail でよかったのだけど,決まっているようで。) を加えて 合計 £100.83 になり,清算時のレートが \139.25/£で \14,041 でした。

名前の‘Dean’は ジェームズ・ディーンの ‘Dean’でしょう。
但し,彼が「理由なき反抗」で着ていたのは McGREGORDrizzler でした。

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2011年4月10日 (日)

桜を見ながら呉市散歩

4月に入って昼間の気温が急に上がって 桜が一気に満開になりました。
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Img_9607金曜日に雨が降り続き,散ったのではないかと心配しながら土曜日に呉市を歩きました。
まずは 自宅から徒歩3分の寺本公園に。

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寺本公園から本通りに下りました。
本通りを横切って しばらく歩いて 又,本通りに戻りました。

Img_9616本通り2丁目と3丁目の間(四ツ道路)の角が 駐車場とマンションの案内所(モデルルーム?)になっています。
かつて この場所に 阪急ホテルと商工会議所が入ったビルがありました。
このビルは,私が就職して呉に来た1972年,呉市では一番立派なビルでした。

今や,商業区域で 空き地になった後は,残念ながら 「駐車場」か「マンション」か「パチンコ店」の選択肢しか 地主さんは持ってないように思えます。

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四ツ道路から坂を上り,亀山神社を通り抜けて帰宅しました。

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2011年4月 9日 (土)

初めて受け取った電報は-

昭和30年代半ば(1960年頃)以前の,各家庭に電話がなかった時代,「慶弔事」に限らず,急な連絡には「電報」が使われていました。

電文の例としてよく聞いたのは 「チチキトク スグカエレ,ハハ」だったり,「カネ オクレ,タロー」(学生が実家に)であって,このような緊急時に電報が使われていました。

固定電話が 4,50年前から普及し,さらに個人が電話を持ち歩くようになって 10年余り,連絡を電報で行なうことなど考えられない時代になった,と思っていました。

ところが,今週木曜日の夕方,我が家に電報がきました。
家人は インターフォンの「電報です。」に驚いて, 「あて先」の確認をしたそうです。
答えは 「xxx」(姓)のみ,住所の番地・号 は間違いなく,受け取りました。

発信人は DHL Japan の関西空港事務所で,内容は 「確認したいことがあるので,電話願う。」でした。
火曜日に,英国のBaracuta社から 「注文のJacket(ジャンパー)を DHL で発送した。」というMail を受け取っていたので,このことだと分かりました。

電話すると 「通関に フルネームが必要なので 教えてくれ。」とのこと。Baracuta 社からの Mail には DHL に渡したデータとして フルネーム も 電話番号も e-Mail アドレスもありましたが,どこかで 消えてしまったようです。

フルネームと電話番号は分からないけれど,住所と姓が分かっている場合のコンタクトに 電報が有効なことがわかりました。

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2011年4月 8日 (金)

おそるおそる 東京に

3月2~4日に東京出張に行き,その1週間後に東日本大震災が起こりました。
その後 首都圏で計画停電があり,余震が時折り 報道されます。

3月末までに 東京に行くのが望ましい仕事がありましたが,エレベータに乗っているとき 地震があって 閉じ込められたら-などと考えると気が重く,延ばしていました。

が,いつまでも延ばしていても 仕方ない,と 今週 5,6日に意を決して 1ヶ月ぶりに東京に向かいました。

Img_95784月から 呉-広島空港連絡バスが 廃止になったので,どうせ広島駅に出るならと 新幹線にしました。
出張で 広島-東京間を新幹線で往復するのは 十数年ぶりでしょうか。

流れる春爛漫の風景を眺め,富士山を過ぎます。

昼頃 品川に到着,山手線の電車に乗ると 車内が薄暗く 照明を切っていました。
新橋駅でも エスカレータは動いておらず 節電が続いています。
汐留のホテルも照明を落としており,客室に上がるエレベータ・ホールの,普段は 部屋のカード・キーで開けるドアは開きっ放しでした。

Img_95802日目の昼前に仕事が終わりそうだったので 娘を呼び出して,汐留で待ち合わせて 昼食をとりました。

高い所から東京を見下ろしてみようと 選んだのは 汐留シティーセンタービル 最上階(42F)のSky View Restaurant The OREGON Bar & Grill’。

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スカイ・ツリーが かすんで見えました。
昼間の東京は いつもと変わりありません。

Img_9590食後,新幹線に乗るまで時間があったので 銀座に出て 1丁目までを往復しました。

並木通りの街路樹の新緑が鮮やかでした。

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2011年4月 7日 (木)

1年間に何枚のシャツ?

ポリエステル混紡のシャツは 長く着ても(何回も洗濯しても)買ったときの風合いは それほど変化しませんが,綿の(ドレス)シャツは 洗濯する度に確実に風合いが劣化します。さらに 長く着ると カラーの辺りが 擦り切れることもあります。

1回着て処分する裕福 かつ お洒落な人が 世の中にはいるようですが,慎ましく生活している私には無縁なことで 着る度に 家人が洗濯し,プレスして 何回も着ます。

主観的な許容劣化程度から 綿のシャツの耐用着用(=洗濯)回数は 理想的には 50回程度と思っています。

例えば 20枚のシャツを持っていれば 1枚について ほぼ月1回の着用・洗濯ですが,それほど満遍なくは着られないので 月2回として年24回,2年で48回となって ほぼ私の考える耐用回数になり,処分対象になります。

完全に 順番を守って着れば 1枚のシャツは 4年間 存在し続けることになります。

1年に何枚のシャツを買う必要があるかを考えると,保有枚数に関係なく(連続着用による劣化促進は考慮せず), 1枚のシャツを考えればよいことで, 20回/月 着て 2.5ヶ月で 50回となって 買い替えとなり,12ヶ月/2.5ヶ月≒5 で 年5枚買うことになります。

すなわち,「着用頻度:20回/月」,「50回の着用(洗濯)を限度」の条件で 「保有枚数維持」するためには 年5枚の処分・補充が必要です。

1枚のシャツを 80回 着用すれば 3枚/年 の新調で保有枚数を維持できます。

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2011年4月 6日 (水)

×白い恋人××

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出張で大阪に行った者が,土産に買ってきました。

Img_9439GOFLATE がよく分かりませんが,中身にオチは ないようです。

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2011年4月 5日 (火)

呉市 「アレイからすこじま」付近まで。

土曜日に 呉市昭和町付近をポタリング,海上自衛隊の潜水艦基地がある 「アレイからすこじま」まで行きました。

Img_9572途中,全通飛行甲板のある大型護衛艦が見えました。

平成18年度予算で建造され “18DDH” と呼ばれる ヘリコプター搭載護衛艦 「いせ」のようです。
基準排水量 13,500トン,全長 197m で 海上自衛隊最大の「ひゅうが型護衛艦」の2番艦で先月中旬に完工・就役したホヤホヤの護衛艦です。
(艦載ヘリコプター 3機,最大積載機数 11機)

「ヘリコプター空母」とは言いませんね。
私が子供のころ(昭和30年代),自衛隊は 「戦車」 を あくまで「特車」と言い張っていましたが,いつからか 「戦車」 になりました。

1番艦 “16DDH” 「ひゅうが」は 横須賀から 東北地方に出動しているようです。
積載能力,ヘリコプターの発着艦能力から 災害出動に このタイプは最適です。

後方に 組み立てをほぼ終わった「第2音戸大橋」のブロックが見えます。

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潜水艦基地前,「アレイからすこじま」に着きました。
ここからも 「いせ」が見えます。

潜水艦基地前の道を隔てた場所にあるコンビニの2階に,その名も “サブマリン” というレストラン・カフェが 15年間 呉を留守にした間にできていて,一度 寄ってみたいと思っていたので 今回 行ってみました。

Img_95702階に上がる階段に閉店の掲示がありました。

自衛隊基地と並んで 米軍施設があるためか,頑張って 英語の掲示もありました。

文章に,頑張った雰囲気が出ていますが,肝心の店の名前が ミススペリング?
固有名詞なので これでいい?

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2011年4月 4日 (月)

呉市昭和町辺り,ポタリング。

Img_9546_2土曜日,組み立てほぼ完了の「第2音戸大橋」中央部ブロックを見学した後,クロスバイクで 昭和町地区に向かいました。

海上自衛隊教育隊横の道の「こぶし」並木の花が満開です。

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昭和町に着きました。
「歴史の見える丘」から (株)アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド(IHIMU) 呉工場昭和地区の造船所が見えます。
呉湾を隔てて対岸に 新宮地区で組み立て中の「第2音戸大橋」のブロックもかすかに見えます。

ドックでは 「ばら積み船」が建造中です。
左の建屋の位置が,海軍工廠時代,戦艦 「大和」を建造した船渠(ドック)があった場所です。現在は 船渠は埋められて 組立場に使われています。

Img_9560 建屋の道路側の 一段高い部分は 「大和」建造時に,機密保持の目的で造られた大屋根で 昭和10年代のものと思われます。

壁や屋根は 張り替えられているでしょうが,骨組みは その構造様式から 当時のままと推定され,約70年が経過しています。

鉄骨は 無塗装で 黒錆に覆われています。

Img_9550_2海岸付近の塩分による腐食対策のため,最近は 耐食鋼が開発されていますが,70年前の鋼材に 特殊な合金元素が添加されていたとは思えず,たまたま 含まれていた何かの成分が 幸いして 表面を黒錆が覆って 内部の腐食進行を防いだのでしょう。

Img_9554この丘に 昭和44年(1969年)に建てられた「 噫戦艦大和塔」があります。

基礎台は 「大和」船体の中央断面区画を模っているようです。

前面 両側に 主砲徹甲弾が置かれ,向かって左は何故か「長門」のものです。写真範囲外の右は「大和」のものです。

Img_9556「大和」主砲徹甲弾に付けられていた銘板です。

最大射程 42km,地球の自転による「コリオリの力」まで 計算して発射したそうです。

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2011年4月 3日 (日)

第2音戸大橋見学会

広島県呉市の本土と倉橋島を隔てる音戸の瀬戸を跨ぐ「音戸大橋」(1961年 開通)が慢性的渋滞状態になっているのを解消する為,4車線の「第2音戸大橋」の施工が進んでいます。 Img_9517

4月2日,(株)アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド(IHIMU) 呉工場 新宮地区で組み立てていた第2音戸大橋の中央部ブロックが,今月下旬の一括架設を控え,ほぼ完成状態になり 見学会が開催されたので 行ってきました。

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アーチ・タイプの橋で,アーチ部と桁部で荷重を分担するローゼ橋,さらに アーチ部と桁部を繋ぐワイアが斜めに張っているので 「ニールセン・ローゼ橋」 というようです。

片側2箇所ずつ配置されている アーチ部と桁部を繋ぐV字型のボックス型ブレースは,バージでの運搬時に,桁をバージ上の台で支えるので  架設後には生じない力が桁に働き,桁だけでは強度を保てないので アーチの引っ張り強度に助けてもらうため 支持点上部に設けたテンポラリー部材です。吊り上げ時にも有効と思えます。
組み立て時 および 架設時には,完成状態(荷重条件,支持条件)とは異なる条件となるので 何らかの補強部材が必要です。
架設終了後,撤去されると思われます。

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長さ:192m,重さ:3,500ton のブロックは 深田サルベージ建設(株)の 3,700ton 海上クレーンで 架設されます。

Img_9535陸上部と接合するアーチと桁に配置されたボルト孔です。
気温の変化による熱膨張に対して ボルト孔位置をどのように調整するのか,聞き忘れました。

鋼の線膨張率:12.1×10^-6,長さ:192mでは 1℃ で 2.3mm,5℃で 11.6mm 変化します。

櫛の歯状のアソビを設けると 曲げに対しても 圧縮に対しても力を伝えることはできないし-
この部分が この架設工事の要ですね。

素人の心配でしょう。

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2011年4月 2日 (土)

2ヶ月遅れのクリスマスローズ

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先月から クリスマスローズが咲き始めました。

家人が9鉢 栽培しています。

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例年なら 1月頃から咲き始めるのが 今年は 全ての鉢が2ヶ月遅れで咲いています。

理由は不明です。

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2011年4月 1日 (金)

桜の花-ではなく

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平成22年度の最終日の3月31日,有給休暇が切り替わるので 駆け込みで 休暇をとって広島に出かけました。
それでも 残休暇は昨年度分の持ち越しを入れて 29日,まだまだ休みのとり方が足らないようです。

並木通りで 家人が チノパンを買って 裾直しをする間,煙草を吸える場所を教えてもらい, 近くの公園に行きました。

Img_9493公園で 満開に近い桜だと思って 近寄って見ると 幹が桜と違うようです。
「プルーン(西洋スモモ)」の札が下がっていました。

初めて見ました。

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