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2011年6月25日 (土)

食糧難時代に学生だった先輩の話。

終戦後,食糧難の時代がありました。
と,言っても 私自身は幼かったので ひもじい思いをした記憶はありません。

昭和30年頃に 学生時代を過ごした大学の先輩から聞いた話です。
飲みの席の話で,真偽は不明ですが,どちらにしても 良い子は 真似をしてはいけない話です。

最近の学生は ワンルーム・マンションなどで暮らすようですが,かつて 自宅通学できない学生は 「下宿」か「間借り」か「寮」で生活していました。
特に,2食付の「下宿」は 当時,かなりあったようです。因みに,私は「間借り」で 食事は 主に大学の食堂で済ませていました。

先輩は 食糧難時代に「下宿」住まいでした。
食事は かなり質素で,時に 動物性たんぱく質の摂取を身体が求めることがあったそうです。
その下宿屋は 養鶏場を営んでいましたが,商売ものの鶏肉を学生の食事に出すことは滅多にありませんでした。
しかし,身体が動物性たんぱく質をもとめる時,先輩は ある作戦を決行しました。

大学に行く前に 塩を適当な大きさに固めた粒を鶏小屋に投げ込みます。
それまで 知らなかったことですが,鶏は塩を食べて絶命するらしいのです。
大学で講義を受けている間に 運悪く 塩の粒を食べた鶏は絶命し,下宿屋にして養鶏場の親父さんと女将さんは 何かの病気ではないかと 少し気にしながら,水炊きなどにして下宿生の夕食とするのでした。

先輩は 女将さんの顔色を伺いながら,決して笑みを浮かべず,神妙な顔をして食事をしたそうです。

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