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2011年10月の31件の記事

2011年10月31日 (月)

逝去後 2年経った特集番組で-

2009年10月16日,62歳で自らの命を絶った加藤和彦さんの素顔を描いた特集番組が,2年を経た10月15日夜,NHK BS ハイビジョン特集で 「早過ぎたひと 世紀の伊達男 加藤和彦」 と題して放映されました。

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Img_1223最期まで Cool な人でした。

Blu-ray Disc で保存しておきましょう。   

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2011年10月30日 (日)

South Korea state dinner menu

10月に韓国の李明博大統領が訪米した際の ホワイトハウスでの歓迎晩餐会のメニューが,日本料理だったので 「韓国の自尊心が傷つけられた。大統領夫人が 韓国料理の世界化をプロモートしているので,特に・・・」 という内容の記事が 「サンケイ新聞」にありました。

実際は どんな料理だったのかと野次馬根性で White House のホームページ でメニューを見ました。
詳述していましたが,ここでは 簡潔に示しているワシントン・ポスト掲載のメニューを紹介します。

‘The Washington Post, Lifestyle on 10/13

Here’s the menu released by the White House:

First course: Butternut squash bisque, honey poached cranberries, Virginia cured ham, pumpkin seed praline, crème fraiche.

Second course: Early fall harvest salad on daikon sheets, masago rice pearl crispies, rice wine vinaigrette.

Main course; Texas Wagyu beef, orange-ginger fondue, sauteed kale, roasted kabocha squash.

Dessert: Chocolate malt devil’s food layers with pear and almond brittle.

American wines.’

素材を示す言葉に 日本語起源の単語が4つありましたが,既に英語として使われているinternational の単語と思われ,料理が厳密な日本料理だったと断定するのは 誤報と思われます。

メニューの素材の記述に日本語起源の言葉が混ざっているからといって 日本料理というのは 意図的な 「こじつけ」でしょう。
そもそも あらゆる素材や調味料を 世界のどこででも入手可能になった現代,料理のグローバル化(?),ユニフィケーション化(?)が進んでおり,国名を冠した‘「何」料理’というのは無意味に思えます。

更に ‘The White House Blog’には-

“Tonight’s menu highlights the best of local produce combined with Korean flavors and traditions.”

-とあって,シェフが気を遣っていたことが伺えます。
韓国と日本の区別がつかなかった可能性も考えられますが-。

結局のところ,「韓国人が自尊心を傷つけられる」ような内容の料理ではなく international な料理であって,これで自尊心が傷つくようでは繊細すぎます。
確かに 韓国料理の要素が International な料理に含まれることはないでしょうが-。

韓国人の自尊心を満足させるであろう 「キムチ」 や 「ピビンパ」 がホワイトハウスの晩餐会に出るなど怖くて想像もできません。

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2011年10月29日 (土)

福岡にて

久しぶりに福岡に行きました。

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新しくなった 博多駅ビルの屋上展望デッキから 町を眺めました。
40年前に住んでいた頃,高い場所から眺めた記憶がないので どのように変わったのか分かりませんが,変わっているのでしょう。

ホテルにチェックイン後,キャナル・シティーを訪れ,その後 天神辺りを回って,中洲に戻りました。

夜は 屋台で 長浜ラーメン。

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Img_1210次の日,川端商店街から呉服町を回って博多駅まで歩きました。

「日本一 甘い」 と標榜する 『川端ぜんざい』は,40年前の学生時代,その甘さ故に一杯が限度と言われ,『川端ぜんざい』を 2杯食べると その噂は クラス内で 1ヶ月間絶えることはありませんでした。

Img_1214博多駅から 新幹線で帰路につきました。

但し,写真は 九州新幹線です。

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土産は 地味に 大宰府名物 「梅ヶ枝餅」(冷凍)です。

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2011年10月28日 (金)

福岡の IL PALAZZO に泊まる。

若松での用事を済ませた後,福岡に行き 一泊しました。

宿は 那珂川を挟んで キャナル・シティーの対岸にある ‘IL PALAZZO’,世界に 約520,日本に 5つある SLH(Small Luxury Hotels of the World)加盟ホテルのひとつで,1989年に開業,2009年に 半年間 休業して 改修しています。
今回が 初めての宿泊なので 改修前との比較はできません。

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特徴ある窓のない正面は那珂川を向き,遠慮がちなエントランスは階段を昇った2階にあります。

Img_1188中央通路の奥から エントランスを見ています。

両側に レストラン,ラウンジ,レセプションなどが配置されています。
全館 照明は 抑え気味です。

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部屋は 8階の シアタースイート,バスタブは JAXONの大型です。

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窓から,那珂川越しに グランド・ハイアットが見えます。

スタッフは 若い人ばかりでした。

建物同様に 備品のデザインにも気を配っていました。

特に 問題は ありませんでしたが,ひとつ気になったことを挙げるとすると,朝食時に 布ナプキン(紙ナプキンも)がなかったこと。

純ビジネスホテルではないホテルで,食事中,食事後に口を拭うのに ハンカチを使ったのは 初めてでした。
部屋のバスタオル 4枚を 2枚にしても,布ナプキンがある方がまともだと思います。
バスタオルを持って 食事には行けません。

因みに 日本の SLH 加盟ホテルは次の5つです。

・ホテル ラ・スイート 神戸 : 70部屋(去年の12月に泊まりました。)
・登大路ホテル (奈良) : 12部屋
・星のや 京都 : 25部屋
・星のや 軽井沢 : 77部屋
・ホテル イル・パラッツォ(福岡) : 62部屋

‘Through its “Caring Luxury” initiative,Small Luxury Hotels of the World encourages its hotels to adopt responsible environmental,economic and social practices,which at the same time provide enriching and rewarding experiences for hotel guests’

-だそうです。

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2011年10月27日 (木)

若松から戸畑へ,洞海湾を渡る。

Img_1137北九州市若松区から 洞海湾を隔てて 戸畑区を望む風景です。
左にかすかに見える茶色の建物が 「日本水産 戸畑ビル」です。

Img_11651936年(昭和11年)に 「共同漁業」ビルとして竣工し,翌1937年に 「日本水産」に社名変更,1966年(昭和41年)に 東京に移るまで このビルが本社でした。
現在は 日本水産の営業所が入っています。

何年か前,「いいちこ」のTVコマーシャルに,このビルが使われていた記憶があります。

Img_1140船で洞海湾を渡ります。

戸畑側から 渡船が来ました。
船名は 「くき丸」,私が 50年前の子供の頃 乗った船と同じ名前(?)でした。否,ひょっとすると 「くき丸」は 小倉の「藍ノ島」への連絡船の名前だったのかも知れません。

若戸渡船の乗船時間は 3分間で,料金は 100円です。

1962年(昭和37年),若戸大橋の完成と同時に 渡船は廃止される予定でしたが,49年経った今も存続しています。
若戸大橋には 歩道があり,バスも通っていましたが,渡船の便利さには敵いませんでした。
現在,歩道は廃止され,完成時の片側 1車線が 2車線に変更されています。
若松区に工場が進出して 若戸大橋は産業道路の様相を呈して飽和状態となり,現在 若戸トンネル(?)が工事中とのことです。

Img_1144ほぼ 若戸大橋沿いに 渡船は走ります。

洞海湾は 私が小学校に入る 1955年(昭和30年)頃までは かすかに魚も蟹もいた記憶があります。
その後,高度経済発展-急速な工業の発展-により 沿岸の重化学工場からの無規制の排水に伴って 1965年(昭和40年)頃には 「死の海」と呼ばれるようになり,海水の自浄能力が失われ 汚染は進行するのみでした。

最悪時の汚染は,嘘か真か 「船のプロペラ溶解」,「大腸菌も生息不能」といわれるくらいの状況でした。

1970年代になって さまざまな対策-工場排水の浄化,海底の汚泥の浚渫など-を実施して,水質は改善され,今は 魚介類の生息が確認されています。

 

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2011年10月26日 (水)

若松にて

土曜,日曜,所用があって 北九州市若松区に行きました。
高校生以後 おそらく 若松に行ったことはないと思われるので 約50年ぶりです。

Img_1120往きは タクシーで若戸大橋を渡り,復りは 徒歩で 渡船場に行き 渡船で洞海湾を戸畑に渡りました。

渡船場のある「若松南海岸通り」沿いには,石炭積出港として栄えた頃の古い建物が残っていました。

芥川賞作家・火野葦平さんの 「花と竜」 の時代ですね。
-と書いても,分かるのは 団塊世代まででしょうか。

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上野ビル(旧三菱合資会社若松支店,1913年竣工。倉庫の壁に三菱のマークが残っています。)』 と 『旧古河鉱業若松ビル』。

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石炭会館』 と 『旧ごんぞう小屋(石炭積み降ろし労働者の小屋)』。

上野ビルは 98年を経た今も いくつかの会社の事務所が入っている現役で,さらに いくつかの店が入っていました。

Img_1124Img_11593階建ての内部,中央は 2,3階部分が吹き抜けで回廊沿いに各部屋の入り口が配置されています。

天井及び 1階の天井部分は ガラス張りの格子で明かりが入ります。
天窓のガラスには 装飾が施されています。

必要最小限の補修のみで 改修をしておらず,建築当時 そのままと思えます。
回廊部分の柱上部のブラケットのデザインにまで拘りを感じます。

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2階の オーダー家具の店 ‘heritage’です。

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3階の カフェ ‘ASA cafe’です。

イームズの椅子など 備品に 拘りがあります。

ゆっくりと 洞海湾の船を眺めるには よい場所です。

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旧ごんぞう小屋』前から 渡船場方向を見ると 背景に「若戸大橋」が 望めます。

 

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2011年10月25日 (火)

辻和金網さんの「焼き網」

Img_1055広島の三越デパートで 京都 「辻和金網」さんの製品を売っていました。

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ガスコンロにかける 「焼き網」を買いました。

ガスの炎が直接当たらず,炎を 一旦遮って 熱を平準化・広域化する 細かい網が付いていて,これを五徳に載せます。

焼くものを載せる網の脚は角度を変えて 高さの調節が可能です。

Img_1054_2収納時は 脚を折りたたんでフラットにします。

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2011年10月24日 (月)

広島市の風景,ふたつ。

広島市で見た風景,ふたつ。

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広島駅,新幹線口前の広場にありました。
初めて見ました。

昭和50年(1975年)3月10日に 岡山-博多間の新幹線が開通したことを思い出させてくれます。
それ以前,九州に帰省する時は 特急で3時間かかり,盆・正月の帰省シーズンは 駅で1週間前(?)に指定席を購入するのに3時間以上並ぶ必要があり,乗っている時間より長いことに気が付いて 並んで買うのを止めました。

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並木通り付近を歩いて 見かけました。
潔い看板です。
歩いていて 虫歯が痛んだら すぐ飛び込めます。

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2011年10月23日 (日)

秋の夜に 「ボルシチ」を-

Img_1077ビーツが安かったと,家人が買って来ました。

ビーツ と言えば この季節(ちょっと早いか),「ボルシチ」しかないと,家人に オーダーしました。

Img_1082で,ボルシチです。

「本場のと比べて 味はどう?」と聞かれました。

10数年前,仕事で サンクトペテルブルクに5週間滞在した時,「ボルシチ」(英語では ‘Borsch’,発音は ほぼ「ボーシュ」。ロシア語は分かりません。)を何度か食べました。
しかし,残念ながら どんな味だったかの記憶はなく,比べられませんでした。

うまくできていました。

ついでながら,日本人が ロシアの食べ物として,「ボルシチ」と共に 必ず思い浮かべる「ピロシキ」は ロシアに5週間いて 一度も食べていません。
おそらく 家庭料理で 外国人向けロシア料理店のメニューにはないのでしょう。

又,日本のロシア料理店のメニューに必ずある,紅茶にジャムを入れる 「ロシアンティー」は ,レストランでオーダーしても通じなかったし,仕事場の通訳(露-英)の女性に尋ねましたが,そのような飲み方はしない,とのことでした。
 

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2011年10月22日 (土)

洗濯物ではなく「渋柿」を干す。

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Img_1064先日, 「柿渋」を作るために友人からもらった「渋柿」の残りを 家人が干し始めました。 

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2011年10月21日 (金)

BEL AMER の フォンダンショコラ

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先々週,東京に行った家人が 知人に戴いて持ち帰った BEL AMER の フォンダンショコラ( Fondant au Chocolat)です。

Img_1069説明書に従って 電子レンジで 30秒 温めました。

Img_1073内部の オレンジ風味リキュール ‘マンダリン・ナポレオン’で香り付けした 「ガナッシュ」が 溶けています。

大人のチョコレート菓子です。

 

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2011年10月20日 (木)

クラスで選んだ Best/Worst 3 の記憶

約45年前(昭和40年/1965年頃),高校の男子ばかりのクラスで 「何でも Best or Worst 3」 投票が 流行り,しばらく続いたことがありました。

「我が校のマドンナ Best 3」 あたりから始まって,受験勉強の息抜きのため 不定期に続けられて テーマは森羅万象(?)に拡がりました。

実際の テーマや,選出された 3人(個)の記憶は ほとんどありませんが,ひとつだけ 覚えているのは 「日本を危うくする三人」で,選ばれたのは 次の三氏でした。

・槙枝元文さん(1921~2010) 当時,日教組 書記長,後に 日教組委員長。

・富塚三夫さん(1929~      ) 当時,おそらく 国労書記長。

・武見太郎さん(1904~1983) 当時,日本医師会会長。

特に 槙枝さんは,単に「踵の高い靴を履いているのが気に入らない」からではなく 「『ゆとり教育』を推進し」,「『大韓航空機爆破事件』などで,『地上の楽園』から『テロ国家』の馬脚を とっくに現していた北朝鮮からの勲章を受け」,「最も尊敬する人物が 金日成」 が,後に明らかになった方で,その立場を考えれば 的確な選出だったと言えるでしょう。

左右偏りなく,バランスの取れた選出です。

政治家は 入っていませんでした。
因みに 当時の総理大臣は 佐藤栄作さん(在職期間:約8年)でした。

さて,現代の高校生が 同じテーマで選ぶのは 誰でしょうか?
1年間モタナイ総理大臣では 選ぶのに躊躇するかも知れません。

TPP(交渉参加)に反対している農水族・農水官僚を代表して,山田正彦前農水相は選出されるでしょうか。

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2011年10月19日 (水)

IL PALAZZO を予約した。

週末に北九州に行くついでに,久しぶりに福岡市まで足を延ばし 1泊する予定です。
二人とも学生時代を福岡市で過ごし(私は4年間住み,家人は北九州市から4年間通学),地理はわかっていますが 40年の変化は大きいものです。

福岡市の,当時の最新・最大のホテルは 天神の「西鉄グランドホテル」でした。
卒業後 少しして 「博多全日空ホテル」が開業し,その後 「日航」,「ニューオータニ」,「オークラ」,「ハイアット・リージェンシー」,「グランド・ハイアット」,「ロイヤルパーク」(これは今年)などが 次々に開業しました。

福岡で それなりのホテルに泊まったことが ほとんどない(出張で泊まるときは 出張日当に見合ったビジネスホテル)ので,大した選択根拠はありませんが,「グランド・ハイアット」と「イル・パラッツォ(IL PALAZZO)」を候補とし,「一休」で検索して 「イル・パラッツォ」の Grande Floor の suite(61㎡)が Rack Rate \73,500 の60%割引 だったので,ここを予約しました。

「イル・パラッツォ」は 1989年のバブル絶頂期に,デザイナーズ・ホテルの奔りとして開業し,20年以上経っていますが 2年前にリニューアルしたとのことです。
1989年の開業当時は 建築雑誌や旅行雑誌に 盛んに取り上げられ,「窓のない建物正面」が載った旅行雑誌の表紙の記憶があります。

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2005年発行,東京カレンダーMOOK ‘The WONDER HOTEL’ に-

「デザインホテル-そんな言葉を人々が意識しはじめる以前の ’89年。博多の運河のほとりに,あるホテルが竣工した。『イル・パラッツォ』。日本が誇るインテリアデザイナー内田繁,イタリア建築界の巨匠アルド・ロッジらが創り上げた。それは奇跡のホテル,デザインの王宮だ。・・・ 日本のデザインホテルの原点にして極点。出発点にして到達点。15年を経た今も,その美しい引力が弱まることは,ない。」

-と紹介されています。

20年を経た今は どうでしょうか。

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2011年10月18日 (火)

「ハマチ」の値段

広島のデパートの地下食品売り場を歩いていて 魚屋で 「天然ハマチ」を見ました。
「ハマチ」 は長じて 「ブリ」 になりますが,地方によって 呼び方が異なり,関東では 「ハマチ」と呼ばれることはなく,「ハマチ」から 直接 「ブリ」 になるのは 山陰地方のようです。

『一尾:980円,半身:600円』と書いていました。
大きさは 約55cm,目測重さ:3kg ほどで,100g あたり どんなに高くても 40円 というところでした。

「これは安い,買わねば。」 と 「半身」を買って 頭を付けてもらいました。

Img_1051「ブリ大根」 ならぬ 「ハマチ大根」 と刺身 です。

身は まだ 半分 残っています。

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2011年10月17日 (月)

「猿の惑星」,これが最後。

映画 「猿の惑星:創世記」(‘Rise of the Planet of the Apes’)を観に行きました。

Planet_of_the_apes大学1年生のとき観た 「猿の惑星」(‘Planet of the Apes’,1968) における猿 (Monkey ではなく Ape)の進化の起源を43年の時を経て描いた映画です。

「猿の惑星」シリーズは次の5作品です。

猿の惑星(‘Planet of the Apes’, 1968)
続・猿の惑星(‘Beneath of Planet of the Apes’,1970)
新・猿の惑星(‘Escape from the Planet of the Apes’,1971)
猿の惑星・征服(‘Conquest of the Apes’,1972)
最後の猿の惑星(‘Battle for the Planet of Apes’,1973)

全作 観ていますが,1作目の印象が強く,2作目は何とか観られましたが,3作目以降はストーリーの記憶もほとんどありません。

今作では Ape の進化の原因と共に,人類滅亡の原因も描かれています。今まで「核戦争」と思い込んでいた人類滅亡が,違う原因になっていました。

この映画で 第一作の全てが納得できたと言いたいところですが,未だに分からないのは,人類の知能退化が合理的か,というところです。
支配-被支配の関係が変わると 支配種の知能は 更に進化し,被支配種の知能は退化するものか,疑問です。

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2011年10月16日 (日)

東京の地味な土産,2種。

先々週から東京に行っていた家人が帰宅しました。

先ずは 地味な土産,2種。

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Dean & Deluca のオリーブ,‘Fresh Green Olives’と ‘Mixed Olives’。

銀座・鹿の子 の 「冷し御膳しるこ」。

どちらも “当たり” です。

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2011年10月15日 (土)

スーパーで 「米ぬか」を注文したら-

家人が 掃除や食器洗いに使う 「米ぬか」 を,以前 買ったことがある近くのスーパーに買いに行きましたが,売っておらず 店の主人に 尋ねたら 「本店に確認しておきます。何キロ必要ですか?」 と言われ,「2キロくらい」 と答えておいたそうです。

Img_1045しばらくして 店に行ったとき,呼び止められ 「『ぬか』が入りました。」 とのことで,3kg の「ぬか」が入った袋を 無料でもらったとのことです。

「ぬか」 が売り物ではなくなって サービス品になっていました。

先ずは 「ぬか雑巾」が できるのでしょう。

50年以上前の小学生の頃,学校に 「ぬか雑巾」を持って行かされたことを思い出しました。
それを使って 廊下を磨いたことは覚えていません。

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2011年10月14日 (金)

大西洋の海水から作った塩は どうだろう。

ヨーロッパの塩は,ほとんどが岩塩だと思っていました。
しかし,塩田による海水からの塩もあるようです。

イギリスとフランスの海塩を手に入れました。

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Img_1034Pure flakey sea salt produced by Malden Crystal Salt Company Ltd.,Malden,Essex England’。
エセックスの Malden という所で作られているようです。
Flakeの写真は うまく撮れませんでした。

箱の裏の絵では テーブルの上で作業しています。

Img_1041これは フランスの塩です。

Sel Marin de Guerande’(ゲランドの(あら)塩)で ブルターニュ半島 ゲランドの塩田で作られているようです。

袋の絵では 瀬戸内にある(あった?)塩田の天日による製法と同じです。

両方 舐めてみて,大西洋の海水から作られた塩であることを確認しました。
-と書けるほど繊細な味覚は持ち合わせていません。

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2011年10月13日 (木)

Tea Warmer

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Img_1015ハリオグラス(株)の ‘Tea Warmer’です。

ろうそくの火で お茶(Tea Pot) を保温します。

「耐熱ガラス」 と 「ステンレス・スティール」素材のシャープなデザインです。
ガラス部側面に 2個の空気取り入れ口があります。

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2011年10月12日 (水)

「宅配便追跡システム」の疑問

ネットで商品を購入すると,出荷時に 業者から「出荷案内」のメールで 「宅配便業者名」 と 「伝票No.」が連絡され,宅配便業者の 「追跡システム」 により,配送状況をチェックすることが可能です。

先日の場合の追跡状況は 次のようになっていました。

『⇒ 2011年10月02日 11:26 配達は終了致しました。
↑ 2011年10月02日 呉店から配達に出発致しました。
↑ 2011年09月30日 20:30 千代田店を出発致しました。
↑ お荷物をお預かり致しました。』

通常,「出荷案内」のメールの次の日か,二日後に配達されるので 追跡する必要もありませんが,留守をするので,ちょっと気になって チェックしていました。

東京を 9月30日の夜,出発したことが分かりました。
この時点で 広島県呉市の配達店に10月1日中に着くと思われ,10月1日の夜に配達される可能性があると考えました。
ところが,翌10月1日の昼頃から何回かチェックしましたが,この宅配業者のシステムに 呉の配達店への到着は表示されませんでした。
すなわち 10月1日の状況は 不明でした。

10月2日朝, 「呉店から配達に出発致しました。」 の表示を確認すると,すぐに配達されました。
10月1日に呉店に到着していたものと思われます。

「(配達店に)出発」が示されるなら,「配達店に到着」が示されると考えるのが 普通でしょう。
でなければ あまり意味のない追跡になります。

「配達店到着」 の表示をしないのが 業者の標準かどうか気になるので,質問のメールを 宅配業者のホームページ 「お問い合わせ」のページから送りましたが,1週間以上たって,未回答です。

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2011年10月11日 (火)

「ハウスダスト発見」が消えなくて-。

家人が1週間近く留守をしている間,掃除をしておらず,帰る日に 掃除機をかけました。
掃除機の置き場所は わかりました。

初めて使うのではありませんが,「ハウスダスト検知ランプ」が気になり,このランプが消えるのを目標に掃除を実行しました。

Img_1009フローリングは 同じ箇所を一往復すれば 大体 消えますが,カーペットは 数往復しても ランプが消えません。

どの位の大きさの塵を検知しているのか分かりませんが,かなり 繊細な検知装置です。

苦労して 1ラウンド終了した後,最初に掃除したダイニング・ルームに戻ってフローリングを試してみると 又,ランプがつきました。

これは キリがない,と終了にしましたが,狭小住宅を掃除するのに 1時間かかりました。
時間をかけ過ぎました。
物事は程度をわきまえることが重要です。

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2011年10月10日 (月)

部分的に色落ちしたデニムのシャツを再生する。

4,5年前に買った Brooks Brothers のデニムシャツの襟の縫い目付近のインディゴ・ブルーが色落ちして,ほとんど白になりました。汚れ易い部分なので 洗濯の度に ブラシで擦っているためと思われます。
少々の色落ちは 味があるというものですが,気になる色落ちです。

もともと薄いブルーでしたが,周りの色と差があり過ぎて これは廃棄だろう,と思っていたら家人が再生を試みました。
染めるのではなく,襟を裏返して付け直すという方法です。

これが 完成状態です。

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首の裏部分が 色落ちしています。

これだけ色が違います。

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襟の裏です。

この面が 再生加工前の表でした。

さて,あと何年着られるでしょうか。
大切にしましょう。

 

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2011年10月 9日 (日)

祭りの前に

Img_0983行動予定なしで迎えた三連休の初日の正午過ぎ,床屋に行った帰り,道沿いに 縄飾り(正式名 不明)が張られているのを見かけました。

呉市亀山神社の秋祭りです。

今夕から明日にかけての祭りです。
そのまま帰宅せず,亀山神社を回って帰ることにしました。

Img_0984Img_0980Img_0986Img_1003_2 

Img_0988本通の植え込みの小さな花を眺めながら 海に向かって歩くと 本通二丁目に 「国道185号起点」の標識があります。

何故か,交差点でもない本通二丁目の道の途中が 国道の起点です。

この先を左折して坂道を登ると 亀山神社です。

Img_0990 今夕から この坂道は車両通行禁止となり,両側に出店が並びます。

出店の骨組みの組み立てが始まっていました。

10月というのに 向日葵が咲いています。

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亀山神社に着きました。

静かです。

数時間後には 歩くのが難しいほどの人混みができます。

Img_1000境内には 恒例の(?) お化け屋敷小屋ができていました。

   

   

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2011年10月 8日 (土)

捻じ曲がったプライドは-

世の中には 理解できないプライド(?)を持った人がいます。

そういう人間だと気がついたら できるだけ接触しないようにします。
精神衛生上よくないし,無駄な時間を使うことに なるからです。

若いころ,会社で それまでほとんど接触のなかった同年齢の男に仕事の指示をしたことがありました。

彼の仕事の経験,知識・能力など ほとんど知りませんでしたが,新入社員に対するような説明をしなくともできるだろう(説明を省略した部分も 合理的思考・判断ができれば可能と考えて),疑問があれば 確認に来るだろうと簡単に指示を終え,彼は仕事を始めました。

一度も 質問・確認に来ることなく,従って 「なかなか デキルな。順調にやってくれているな。」と思いつつ 時間は流れ 彼は アウトプットを持って来ました。
期待したものと 相当違っていました。

「このやり方は おかしいので やり直して-」と 修正するように言ったところ,「言われた通りにやった。そのような指示は受けてない。やり直すつもりはない。」
-との答えでした。話を聞くと 指示されてない部分は,自身の裁量に任されているので とやかく言われる筋合いはない,との考えのようでした。

しばらくして 彼は 広島から 東京の本社に転勤することになり,打ち合わせのため 本社に出張しました。

人から聞いた話です。
彼は,東京駅丸の内正面玄関から 赤信号にかからなければ徒歩3分以内の本社まで,東京駅からタクシーに乗って行ったそうです。
理由は 「住所は知っていたが,場所を知らなかったから。」だそうです。
改めて 一緒に仕事をしたくない人間だと思いました。

尋ねられなければ 本社への行き方の説明(歩いて行ける距離にあるのだよ。)をしてやるような親切な人も会社にはいません。第一,「彼が本社に行くのが初めて」など 誰もわからないことです。

「分からなければ 聞けばいいじゃない。」
という感覚がなく,自分のやり方に何の疑いも持たない男でした。

おそらく この種類の性格は長く直らないものでしょう。

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2011年10月 7日 (金)

‘corners of a box’の発明者,逝く。

9月6日の New York Times,net版に 次の文章で始まる記事が掲載されていました。

Nearly six decades ago,Keith W. Tantlinger built a box - or,more accurately,the corners of a box.It was a seemingly small invention,but a vital one:it set in motion a chain of events that changed the way people buy and sell things,transformed the means by which nations do business and ultimately gave rise to the present-day global economy.

ここまでで タントリンガーさんの 「みかけは小さいが,偉大な発明」 が何か分かる人は少ないでしょう。

タイトルは ‘Keith Tantlinger,Builder of Cargo Container,Dies at 92’です。

Cargo Container’です。

貨物を 発送元から 発送先まで 陸上,海上を 一貫して運び,経済のグローバル化に大きく貢献したコンテナです。

この運輸システムは 「トレーラー」,「鉄道台車」,「船」,「港のクレーン」等のハードが重要ですが,肝心なのは 「コンテナ」自身です。
コンテナ運搬時のLashing(固縛)と段積み時のコンテナ間の結合を 如何に簡単に(短時間に),安全に,確実に行なうかが このシステムの要です。
タントリンガーさんが,コンテナの4隅(底面,頂面)の金具を発明することにより これが実現されました。

現在の コンテナ輸送システムを発明したのは 1950年代,船会社 ‘Sea-Land’(現 Maersk Line)の社長 Malcom McLean と知られていますが,タントリンガーさんが マクリーンさんの下で ハードとしてのコンテナを開発していたということです。
初めて 知りました。

身近なところでは,子供の頃は 知らなかった トロピカル・フルーツを日本で食べられるようになったのは 彼のお陰です。
冷凍コンテナが いつ開発されたのか知りませんが・・・。

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2011年10月 6日 (木)

Brady の ベルトはどうだろう。

こげ茶色の カジュアル・ベルトが欲しくなりました。

ネットで買うなら 国内でも海外からでも手間は同じで,海外の方が明らかに安いので 外国のサイトから買うことにしました。

Jabez Cliff’ のベルトが 間違いないのですが,‘Jabez Cliff’社は 私が約3年前に ベルトと鞄を購入した直後,日本の個人客には売らなくなり,その商品を扱っている海外のサイトを見つけることが出来ないので,それならばと,キャンバスのバッグで有名な ‘Brady’のベルトにしました。(日本では 売ってないようです。)
と,言っても ‘Brady’社も 以前から 日本の個人客には売ってくれません。先月,デザインが変更されたサイトで 確認しましたが,発送先リストに Japan は相変わらずありませんでした。

そこで 3年前,Brady Bag の,日本には輸入されてない ‘Monmouth’と,今は製造してないと思われる ‘Norfolk’を買ったサイトで ‘Brady’ のベルトを発注しました。
Brady社での £48 が 7割以下の£31.9 (何れもVATを含む)でした。

商品は ‘Brady Hand Stiched West End Leather Belt,made from the highest quality bridle leather.1-1/4" wide with a classic stirrup buckle.’。
bridle’は 「馬勒」(くつわ,たづな など),‘stirrup’は 「鐙(あぶみ)」 で 何れも 馬具に使われる 皮革と金具を意味します。‘west end’が何を意味するのか分かりません。
色は 黒と 2種類の茶の計3種類あり,チロリアン・シューズ(Dolomite の 茶色Cortina)に合わせる計画で,こげ茶色の ‘Australian Nut’を選びました。

Colour_choices_2皮革の色を表す英語には 辞書にも載ってない単語が多く,判別が難しいものです。

Brady のベルトの茶色の2種類には ‘Australian Nut’と ‘Newmarket’の名前が付いていますが,日本人でこれらの色が分かる人は少ないでしょう。
Newmarket’が色を示すとは思えません。

幅は 1-1/4”(≒32mm)の1種類のみです。
因みに Jabez Cliff のベルト幅は Casual が 1-1/2”(38mm),Dress が 1-1/8”(28mm)の2種類です。

値段(Euro圏外なのでVATなし):£26.58,送料(by Royal Mail):£9.22 で合計:£35.80,為替:\122.3/£ で \4,378 でした。

Img_0961Img_0963届いてみると,思っていたより 濃く,ほとんど黒に近い茶色でした。

Img_0965Img_0979

1-1/8”のJabez Cliff と並べてみました。
Brass Buckle のデザインなど ほとんど同じで,Bridle Leather の厚さもほぼ同じです。
Jabez Cliff (Barnsby) も Bradyも,同じ有名な皮革産業の町(Walsall)に工場があるようなので 金具は 同じメーカーの製品かも知れません。

ウェスト・サイズが変わらなければ 長持ちしそうです。

 

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2011年10月 5日 (水)

歳を感じるとき-

年齢を感じるのは,心身の衰えによるものがほとんどですが,他人との関係で感じることもあります。

その一つに 外で接する人-例えば,役所の職員,駅員,警察官など-に自分より若いと思われる人が増えてきた時があります。
30歳代で そのように感じ始めて,年齢が増えるにつれて 徐々に 自分より若い人の方が多くなり 加速度的に強く加齢を感じました。

還暦を過ぎた今は,自分より年上の職業人に外で接することは ほとんどなくなり,それが当然となって 年齢を感じることはなくなりました。

しかし,自分より若い人が 総理大臣になった時には 急に歳を感じます。

今まで 私より若い総理大臣は,おそらく二人-安倍晋三さん(1954年生),そして 野田佳彦さん(1957年生)です。 

思えば 遠くに来たものです。

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2011年10月 4日 (火)

2足目の チロリアン・シューズ

Img_0951オフの雨の日に履いていた ‘Clarks,Air Wallabee’ を破損のため廃棄したので,代替として ‘Dolomite,Cortina’ を購入しました。

Paraboot,Michael’ に次いで チロリアン・シューズの2足目です。

色は 黒と茶の2種類から茶色を選びました。
カジュアルなスタイルで黒い靴を履くことは記憶の届く範囲で,皆無です。
やや濃い目の茶色です。

Vibram Rugged Sole のがっしりした靴底です。

Img_09453年前に買った ミカエル(仏) と コルチナ(伊)を並べてみました。
基本デザインは チロリアン・シューズですが,細部のデザインは異なっています。

甲乙付け難いデザインです。
カジュアルでは,薄い茶色の ミカエルの方が,履き易いでしょう。

Img_0956箱に ‘(DOLOMITE)TAKING YOU UP THE MOUNTAINS SINCE 1897’ と印刷しています。

もともと 山歩き用の靴ですが,スポーツ・コートや コットン・スーツまで合わせられるので,リタイア後には All-Purpose で履けるでしょう。

これで ‘Danner,Tirolean Shoes’(米)が加われば 世界三大(?)チロリアン・シューズが 揃います。

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2011年10月 3日 (月)

秋の道端の花,など。

Img_0936

白い彼岸花です。鉢植えは珍しい。

Img_0938

Img_0937_2

この季節に,よく見る花ですが,名前が分かりません。

Img_0939

これも名前が分かりません。通りがかった老婦人に尋ねると 「エビラン」と答えがありました。それらしい名前でしたが,帰宅後,検索しても この名前の確認はできませんでした。

Img_0942これは 花ではありません,豚です。

会社の秋祭りでの 子豚の丸焼きの様子です。
遠火で 1時間かけて焼いていました。

 

 

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2011年10月 2日 (日)

今年も 「あけびの皮」を食する。

過日 買った「あけび」の皮を 今年も料理に使いました。

Img_0926去年は 味噌味で 蒸し焼きにしました。

今年は 「合い挽きミンチ,舞茸,白葱」に 「味噌,醤油,味醂」で 味付けし,ローストしました。(そうです。)

去年よりは おいしく戴きました。

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2011年10月 1日 (土)

緑色の渋柿で・・・

家人が 知人に頼んで 渋柿を貰いました。

「この大量の渋柿で 何をするのか?」 と問えば,「『柿渋』を作る。」 とのこと。
「『柿渋』で何をするのか?番傘に塗るのか,それとも団扇か?」 と問えば,「防腐剤として,対象を問わず・・・。」

Img_0933-ということで,渋柿から抽出したジュースです。

これから 1年がかりで 「発酵」,「熟成」させるとのことです。

これは 残った渋柿です。

Img_0930既に 色付いていて 柿渋を採るのに適してないので 使わなかったそうです。

もう少し色付けば,干し柿でしょうね。

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