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2011年10月27日 (木)

若松から戸畑へ,洞海湾を渡る。

Img_1137北九州市若松区から 洞海湾を隔てて 戸畑区を望む風景です。
左にかすかに見える茶色の建物が 「日本水産 戸畑ビル」です。

Img_11651936年(昭和11年)に 「共同漁業」ビルとして竣工し,翌1937年に 「日本水産」に社名変更,1966年(昭和41年)に 東京に移るまで このビルが本社でした。
現在は 日本水産の営業所が入っています。

何年か前,「いいちこ」のTVコマーシャルに,このビルが使われていた記憶があります。

Img_1140船で洞海湾を渡ります。

戸畑側から 渡船が来ました。
船名は 「くき丸」,私が 50年前の子供の頃 乗った船と同じ名前(?)でした。否,ひょっとすると 「くき丸」は 小倉の「藍ノ島」への連絡船の名前だったのかも知れません。

若戸渡船の乗船時間は 3分間で,料金は 100円です。

1962年(昭和37年),若戸大橋の完成と同時に 渡船は廃止される予定でしたが,49年経った今も存続しています。
若戸大橋には 歩道があり,バスも通っていましたが,渡船の便利さには敵いませんでした。
現在,歩道は廃止され,完成時の片側 1車線が 2車線に変更されています。
若松区に工場が進出して 若戸大橋は産業道路の様相を呈して飽和状態となり,現在 若戸トンネル(?)が工事中とのことです。

Img_1144ほぼ 若戸大橋沿いに 渡船は走ります。

洞海湾は 私が小学校に入る 1955年(昭和30年)頃までは かすかに魚も蟹もいた記憶があります。
その後,高度経済発展-急速な工業の発展-により 沿岸の重化学工場からの無規制の排水に伴って 1965年(昭和40年)頃には 「死の海」と呼ばれるようになり,海水の自浄能力が失われ 汚染は進行するのみでした。

最悪時の汚染は,嘘か真か 「船のプロペラ溶解」,「大腸菌も生息不能」といわれるくらいの状況でした。

1970年代になって さまざまな対策-工場排水の浄化,海底の汚泥の浚渫など-を実施して,水質は改善され,今は 魚介類の生息が確認されています。

 

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