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2011年11月 2日 (水)

祖父の記憶-T型フォードと ハーレーダヴィッドソンの話など

何故か,30年ほど前に亡くなった母方の祖父を思い出しました。

祖父は 機械好きでした。

カメラは 70歳を過ぎても尚,孫が驚くような,発売されたばかりのカメラを常に持っている人でした。
自ら 現像・焼き付けもしていました。

銃も好きでした。これは 銃というより 狩猟と言うべきでしょうか。
中学生の頃,夏休みに遊びに行った折,従弟たちと 密かに 祖父の空気銃(散弾銃は持ち出せない。)を風呂敷に包んで(禁猟時期なので?)持ち出して山に行き,的を撃ったことがありました。

車は 関東大震災前から乗っていたようです。

若い頃,祖父に聞いた話です-

山口県の外車(国産車はなかった。)ディーラーに勤めていて,
短気故に 社長の息子とけんかし,東京までの片道切符を買って 汽車に乗りました。
車の運転ができるので 都会で運転手の仕事をしようと考えたようです。

まず,大阪で途中下車し,陸運局で登録されている自動車の台数を調べました。
大阪には数百台しかなく,仕事は期待できないと,東京まで行き,しばらく タクシー(ハイヤー?)の運転手をしたとのことです。

「どんな車に乗った?」 との問いに, 「たとえば フォード,パッカード,ベンツ。」と答えました。
正確には,ベンツを 「ル」にアクセントを置いて 「マルセデス・ベンツ」と言いました。

「T型フォードに乗った?」と尋ねると,「あれは 運転が簡単な いい車だった。後進用のペダルがあるから,ハンドルを切りながら 両足を乗せた二つのペダルを交互に踏んで前進・後進をくり返し,キュッキュッキュッと簡単に縦列駐車できた。」 と手の動きで説明してくれました。

太平洋戦争末期,長男(叔父)が学徒動員で徴兵された後,「博多港から南方に向かう。」という機密情報を 出航時刻と合わせて 密かに入手した 50歳を過ぎていたと思われる祖父は,ハーレーダヴィッドソン(借りたか 自分のものだったか不明)のサイドカーに祖母を乗せて,その頃住んでいた山口から博多港まで(関門海峡はフェリー?)一気に走ったそうです。
何とか出航時刻に間に合って 博多港に着いたところ,船は見えず「叔父を乗せた輸送船は門司から出る。」 という新たな情報で 引き返しましたが,間に合いませんでした。

「あの時の ばあさんの髪は 『アパッチ』のようだった。」 と祖父は笑いました。

叔父の乗った船は沈没し,叔父は帰国しませんでした。

「最後に 一目…」の親心を乗せ,舗装道路など まともな道路がない時代に,西に向かって土煙を立てて突っ走る サイドカー付きハーレーダヴィッドソンが目に浮かぶようです。
祖父の乗った ハーレーは,日本でライセンス生産された 「陸王」だった可能性が高いと思われますが,祖父は 「陸王」とは言わず 「ハーレーダヴィッドソン」 と フルネームで言いました。

70歳半ばで 最後の愛車となったホンダのスーパーカブに乗り換える前は,英国車「ヒルマン・ミンクス」に乗っていました。

スーパーカブについての評価は 「よくできている。」でした。

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