漢文を日本語で読むと-
台湾の「中央社日文新聞」の 「フォーカス台湾 NEWS CHANNEL」に
『所変われば品変わる』 というコラムがあって,主に 漢字の,台湾(中国)と日本の意味の違いなどを書いていて,中国に行く気はありません(台湾には行く気があります。)が,勉強になります。
2011年7月19日の ‘その(5)’は 次の文でした。
「戦前,漢文が中学校では,『国漢』 の一部で格別重要な学科であった。それだけではなく,高等文官試験では応募者が漢文の試験を受けた。その上,中国の歴史は 『東洋史』 として教えられたものである。
ところが,中国人は日本人を 『東洋鬼(トンヤンクェイ)』と蔑んだ。中国人にとって,東洋は日本のことである。
さて,高文の試験であるが,応募者は 『十八史略』 などをガリ勉して受験したのである。
その 『十八史』 は中国の十八朝の歴史であり,日本の歴史ではない。
『風簫簫として,易水寒し,壮士ひとたび去って,又帰らず』 という荊軻が秦の始皇帝を暗殺に赴く前のシーンを描いた名文がある。日本語で読んだ場合,壮士の悲壮な心持は漢文で読むよりもっとその悲壮さを感じる。
『人生意気に感ずれば,功名また誰か論ぜんや』 という句も,日本語で読むと,『意気に感じたら,功名なんて,全く考えない』 という 『意気軒昂』さが漢文で読むより,しみじみと心に沁みる。しかし,その句の漢文は 『人生感意気,功名誰復論』である。日本人で漢文が中国語で読める人は,一度試しに両方ともそれぞれ日本語と中国語で読んでくだされば,その違いが分かるはずである。」
この筆者はどのような方でしょうか。
戦前(1945年までに),台湾で日本語教育を受けた方であれば 一番納得できますが,既に終戦から 66年経っており,終戦時 18歳として 84歳となり,現役とは思えません。
しかし,日本語を 語感認識を含めて母国語のように操ることは間違いありません。
文章全体から,親日の情が伝わってきます。
その地の文化を蔑ろにしなかった統治政府の方針がわかります。
朝鮮においても 統治政府はハングル語の教科書を発行していたそうですが・・・。
【追記】
中国語が読めないので 比較はできませんが,高校生の時,漢詩の「書き下し文」を読みました。
無駄がなく,勢いがあって cool でした。
声を出して読んだ漢詩のいくつかを 45年経った今でも覚えています。
特に好きなのは 王維の七言絶句 「送元二使安西」(元二の安西に使いするを送る)
渭城朝雨浥輕塵
客舍青青柳色新
勸君更盡一杯酒
西出陽關無故人
これを読むと-
渭城の朝雨 軽塵を潤し
客舎 青青(として) 柳色新たなり
君に勧む 更に尽くせ一杯の酒
西のかた 陽関を出づれば(出でなば)故人無からん
( )は 私が記憶している書き下し文。
最後の「故人無からん」 の後に「無からん,無からん,故人無からん,西のかた 陽関を出づれば(出でなば)故人無からん」 と繰り返して言うとかっこいい,と漢文教師に教わりましたが,私は それほど大げさにせず,繰り返し無しで すっきり終わった方が cool だと思っていました。
行ったこともない中国の情景が目に浮かびます。
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