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2012年2月の29件の記事

2012年2月29日 (水)

驚きの レーズンパン

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アンパンではありません。
餡のように レーズンが固まって入ったレーズンパンです。

そうとは知らず 二つに割って驚きました。

小倉駅前 「ベーカリー シロヤ」の製品です。

九州に日帰りで行った帰り,私が切符を買っている間に 家人が 「シロヤ」に走り,目当てのパンが売り切れだったので 代わりとして,初めて買ったそうです。
家人も このようなパンとは知らなかったとのことでした。

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2012年2月28日 (火)

ルイ・ヴィトンの鞄で爪皮を作った話。

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Img_1945「再び女たちよ!」(文芸春秋社)は 伊丹十三の 「ヨーロッパ退屈日記」,「女たちよ」に次ぐ三冊目のエッセイ集です。
40年前の昭和47年(1972年)の第一刷を 就職した年に買っていました。
これは 雑誌「ミセス」(文化出版局)に連載していたイラスト入りのエッセイ「のぞきめがね」(後に「私の博物図鑑」)を主にまとめたものです。

Img_1939この「再び女たちよ!」の中の 「キザ」の項に,自分のキザの話として 「ルイ・ヴィトンの鞄の新品をばらして,下駄の爪皮を作った。」と言う話があり,ずっと気になっていました。

まず「ルイ・ヴィトン」という高級そうな鞄がどんなものか気になりました。
その時までに 見たことも 聞いたこともありませんでした。

20年前頃には 新幹線に乗れば 1両に必ず1個,多ければ 3,4個 「ルイ・ヴィトン」のボストンバッグが荷物棚に載っていましたが,40年前の日本には「ルイ・ヴィトン」の店は存在しませんでした。(日本進出は 1978年で 6店舗,銀座の直営店がオープンしたのは1981年。)

しかも 1972年は まだ固定相場制で 308円/ドル(1971年までは 360円/ドル,変動相場制は 1973年から)で,外国製品は 単純には 現在の 3倍の価格だったのです。

更に,この頃,パスポート取得手続きに「預金通帳」(海外旅行可能な資金の証明)もしくは 会社の「出張命令書」(パスポート取得に時間がかかって 急な出張に間に合わないことがあるため,新入社員の私は出張予定が無いにもかかわらず,出張命令書を作ってもらって広島県庁に行った。)が必要で,一般人が「ちょっとパリに買い物に。」 という時代ではありませんでした。

つまり,この頃,「ルイ・ヴィトン」のバッグは 日本では 一般には出回ってなかったのです。
「再び女たちよ!」には 「鞄の値段は書かぬ。」 と書かれており,高価さが想像できます。
さらに 「この爪皮は死んでも雨の日には使わないつもりだ。」 と書かれているので,きっと残っているはずだと思っていました。

2007年,松山に 「伊丹十三記念館」ができ,毎年の開館記念日には 展示室に置ききれない品物をしまっている「収蔵庫」のツアー(参加は抽選)が行われることを知って,2009年と2010年に「ルイ・ヴィトンの爪皮」を探しに「収蔵庫ツアー」に参加しました。
「ルイ・ヴィトン」の鞄はありましたが 「爪皮」を見つけることはできませんでした。

開館記念日には 館長の宮本信子さんが出勤しているので,2010年の収蔵庫見学を終えて 宮本館長に 「ルイ・ヴィトンの爪皮」のその後を尋ねました。

「あれは 創作ですよ。作るのを引き受けてくれる人が見つからなかったんですよ。」
とのことでした。
写実的イラストは 想像図でした。

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2012年2月27日 (月)

ドライフルーツ アソート

Img_1837戴き物の ドライフルーツ詰め合わせです。

いちじく(イラン),リンゴ(中国),アプリコット(トルコ),キウイ(中国),クランベリー(アメリカ),いちご(中国)。

DVDの映画を観ながら 摘まむのに最適です。

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2012年2月26日 (日)

逝去後15年たって伊丹十三を。

Img_1916先週 木曜,金曜の二夜にわたり ,NHKBSプレミアムで 『こだわり男とマルサの女』と題して,没後15年を迎えた伊丹十三の特集番組が放映されました。
録画予約していましたが,二日とも 放送時に観ました。

Img_1926Img_1928中学生で観た映画「北京の55日」(1963年)で 俳優としての伊丹十三(当時は 一三)を,高校生で読んだ 「ヨーロッパ退屈日記」(1965年)で エッセイストとしての伊丹十三を知り,その後 TV「遠くに行きたい」の「親子丼珍道中」,そして 「お葬式」で始まった一連の監督映画を観続け,没後は 松山 「伊丹十三記念館」の2回の訪問-と 50年近い伊丹十三フリークを自認するわたくしとしては これを見逃せませんでした。

NHKの番組紹介文によると-

こだわり男とマルサの女(1) 『宮本信子 天才との日々
「妻」であり「主演女優」でもあった宮本信子の視点から,伊丹一家の暮らしをドラマで再現する。「先生と生徒」のような関係から始まり,「夫婦」,そして「父と母」,やがて共に映画を創る「パートナー」として成長してゆく2人を,実際に家族が暮らし,初監督映画「お葬式」の撮影舞台となった湯河原の邸宅を舞台に撮影。夫婦で築いた創造の日々,人生の機微を描く。
【出演】伊丹十三,宮本信子,平岳大,近衛はな,伊丹万平,佐藤蛾次郎

こだわり男とマルサの女(2) 『伊丹十三 「お葬式」への道
俳優,エッセイスト,テレビ企画,映画監督などマルチクリエーターの先駆けとして活躍した伊丹十三。しかし、監督デビューは51歳だった。なぜ遅咲きだったのか?著名な映画人・伊丹万作のもとに生まれついて,どんな思いで日本の敗戦,経済成長至上主義の日本社会を見つめていたのか。多才にして鬼才監督の創造の秘密に迫る,初の伊丹十三・本格ドキュメンタリー。
【出演】伊丹十三,宮本信子,津川雅彦,周防正行,大根仁,浅井慎平,岸田秀,平岳大

Img_1921Img_1923俳優になる前,デザイナーとして本の装丁をイラストを含めて手掛けていた彼は,当然 自分のエッセイの装丁を行なっています。

Img_1918

「お葬式」のポスターの絵を小学生だった次男・万平君に描かせ,これはビジネスだからと 1人分 500円,絵に8人いるので合計 4,000円 払ったという話など 今まで 知らなかったエピソードがあって,興味深い番組でした。

Img_1919Img_1933 

Img_1936ブルーレイ ディスクにダビングして保存します。

ラベルは 番組中の写真から,「北京の55日」出演のギャラで買ったという「ロータス・エラン」と 30歳前後と思われる伊丹一三,地味に残しましょう。

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2012年2月25日 (土)

3年前に買った鞄は,今・・・。

3年前の定年退職(そのまま再雇用)記念に 諸々の理由で個人輸入した三つの鞄を 飽きずに使っており,おそらく可能性は低いものの,これらを買い替えようとしたら 同じものを入手できるだろうかと 調べてみました。

Monmouth_2  ・Brady - Monmouth bag : 3年前は日本の店(ネットショップを含む)では売っておらず,製造元・英国の Brady社は日本からの注文は受け付けてなかったので(今も),英国の ネットショップで購入しました。
3年前 購入する少し前までは 日本の代理店(神戸)が輸入しており,この鞄の存在を知ったサイトの新宿にある店で 6万円強で売られていたようですが,代理店が いつからか輸入を止めていました。
現在,日本のいくつかのネットショップで 3万円強で売られているようです。直接,英国から仕入れているのでしょうか。
Brady社のホームページを見ると 最新のタイプはデザイン変更があり,フラップが留められる二つのサブ・コンパートメントのジッパーが無くなっています。
パスポートなどの貴重品を入れるのに使っている者としては 改悪です。

NorfolkBrady - Norfolk bag : もともと日本では売られておらず,Monmouth と同じ英国のネットショップで購入しました。
現在は Brady社のホームページにもありません。
生産されてないようなので,幻のbagになりました。

小型なのに収容力があるショルダーバッグで,休日の外出に重宝しています。

Weekend_travellerBarnsby(Jabez Cliff)- Weekend Traveller : 3年前,日本では 約16万円で売られていましたが,価格が高すぎるので 製造元・英国Barnsby社に直接 注文して ほぼ半額で購入しました。その直後,日本からの注文を受け付けないようになりました。(Belt も同様)
今でも,10万円強で売っている日本のネットショップがありますが,Barnsby社のホーム・ページからは消えていました。製造中止したのだと思われます。
ひょっとすると 日本の代理店が特別に注文して作っている可能性もあります。
もともと 旅客機登場時代に開発され,「エア・キャリー」 もしくは 「フライトバッグ」 と言われたbag の復刻版だったので,再度 復刻される可能性はゼロではないでしょう。
かなり レアものと言えます,使いにくい鞄ですが。

3年経って,三つとも それぞれ状況が変わっていることが分かりました。

(追記)2014年6月,Barnsby社(Jabez Cliff)は倒産しました。よって 幻のバッグになりました。

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2012年2月24日 (金)

趣味がいいとは言えない灰皿

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「小倉市 解散記念 昭和38年(1963年)2月9日」とあります。

49年前の1963年2月10日に 北九州の5市(門司市,小倉市,戸畑市,若松市,八幡市)が合併し,北九州市が発足した前日の日付です。
恐らく 前日に 小倉市の解散式が行なわれ,その出席者に配られた記念品と思われます。
私は 中学2年生でした。
Img_1715 「分福茶釜」風の灰皿です。
「分福茶釜」が 小倉市と何の関係があるか不明です。

家人の友人の嫁ぎ先から出てきたものです。

あまり よい趣味とは言えないので 残っているのは僅かでしょう。

戸畑市と若松市をむすぶ「若戸大橋」が完成したのが その前年,東京オリンピックの開会式が その翌年 1964年の10月10日でした。

思えば 遠くに来たものです。

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2012年2月23日 (木)

殺意あり,反省なし。

2月20日,最高裁第1小法廷 差し戻し上告審判決で,これを棄却,死刑判決。

判決骨子は-

 ① 甚だ悪質な犯行で,動機や経緯に酌量すべき点は全くない。
  ② 落ち度のない被害者の尊厳を踏みにじり,冷酷,残虐,非人間的で,結果も極めて重大だ。
  ③ 遺族の被害感情は峻烈を極めている。不合理な弁解を述べ,真摯な反省の情はうかがえない。
  ④ 犯行時少年だったことなどを十分考慮しても刑事責任はあまりに重大。死刑はやむを得ない。
  ⑤ 「精神的成熟度の審理尽くせ」と裁判官1人が差し戻しの反対意見。

事件発生から 13年経っての,やっとの結審です。
とくに 差し戻し控訴審判決から 3年半以上も経っているのが長すぎて 不思議です。
そして,予想したとおりの判決でした。

改めて亡くなられたおふたりの冥福を祈ると同時に,本村氏が 今後の人生を,ふつうの市井人として ふつうに送られることを切に祈ります。

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2012年2月22日 (水)

倉敷・平翠軒での買い物。

先週末 訪れた 倉敷の「平翠軒」で 家人が購入した食品です。

隣の 森田酒造の社長が 全国各地のマイナーなメーカーの優れた食品を探して販売しています。
家人は 原料が国産なので買ったそうです。

Img_1909「白玉粉」は 新潟県見附市・たかい食品(株),原料 もち米の産地を示していませんが,当然 新潟でしょうね。

「赤きくらげ」は 福岡県みやま市・八女茶業本舗(株),原料は熊本県産。

「はるさめ」は 奈良県桜井市・奈良食品(株),原料は 南九州産甘藷でん粉 と 北海道産馬鈴薯でん粉。

「アップルパイ」は ? (既に食べてしまって 袋を捨てたので不明)。

 

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2012年2月21日 (火)

週末に倉敷のアウトレットパークに。

Img_1907かつて 倉敷駅の北側にあった チボリ公園の跡地に 昨年末できた 「三井アウトレットパーク倉敷」に,倉敷の美観地区に一泊した後,行ってみました。

1997年から2008年暮れ(正確には 2009年1月1日 閉園)までの11年間,この地に チボリ公園がありました。

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駅から出ると 恐らく チボリ公園時代に作られたと思われる塔があり,その先に ショッピング・モール ‘Ario’が見え,さらにその向こうに「三井アウトレットパーク倉敷」がありました。

Img_1910アウトレットモールに来るのは ほぼ初めてなので 建物(店)の配置が 一般的かどうかは分かりませんが,ほぼ矩形の建物の 外側と 内側の間に広いスペースがあって,外側と内側の店を見ながら順に2周回れば 店を見落とすことがない うまい配置です。

自分の意思で入った店は ‘Brooks Brothers’, ‘BEAMS’, ‘Eddie Bauwer’, ‘BARACUTA’, ‘Ray-Ban’, ‘mont-bell’など。

BARACUTA’の店に初めて入りましたが,G9 が \31,000 ほどで 英国に直接注文すれば 現在の為替では 送料を含めて \20,000 程度なので購入せず。

Brooks Brothers’で シャツが \6,000程度で安かったので 買おうとしましたが,ネック・サイズに対して袖長さが固定されたアウトレット用に作られたものだったので これも購入せず。

結局,目ぼしいものが なく手ぶらで帰りました。

Img_1903敷地内は撮影禁止です。
中国語,ハングル文字の表示はありません。
その他の表示も同様なので 騒々しくないことが想像できます。 ( トイレのセンサー部にだけは ありました。)

撮影禁止なので 敷地外からズームで Caution Plate を 撮りました。

喫煙場所は 1F,2F とも それぞれ1ヶ所ありますが,2F ‘SEIKO’裏を発見できず,1F は カフェテリアの奥にあるのを見つけました。

尚,駅寄りの ‘Ario’に ドーナッツの ‘Krispy Kreme’の店がありました。
帰りに 食べようとしましたが,5,60人の行列ができていました。
家人が 「新宿か 渋谷の店は ‘To Go’ と ‘Here’は 別々のカウンターだったから ここも大丈夫よ。」 と言いましたが,この店は分けられておらず 諦めました。

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2012年2月20日 (月)

週末に倉敷に。

Img_1857 昨年暮れに 倉敷に 「三井アウトレットパーク」が出来たと聞き,更に 先日,倉敷を舞台にしたNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」を観て,倉敷に行こうと思い,週末 行ってみました。

Img_1852商店街を歩いて美観地区に向かいました。

美観地区に近づくと 人通りが少なくなりましたが,赴きある商店街でした。

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前回 ここに来たのは ほぼ30年前です。

付近を ウロウロしました。

Img_1866Img_1872 

Img_1890_2泊まったのは美観地区の端にある「倉敷アイビースクエア」。
倉敷紡績の工場跡地に工場建屋を再利用して開業したのが 1973年なので 40年近く前になります。

ビジネスホテルクラスのホテルです。

Img_1891夜,夕食のため町に出ました。

特に 店を決めず,中央通りを駅に向かって歩きながら適当に店を探して,中央通り沿いにある イタリア料理のレストランに入りました。
20席ほどの店は 他に客は一組もおらず,「大丈夫かな?」と思いながら 2時間ほど前に 「ぜんざい」を食べていたので,もっとも安いコースを注文,メインを 「仔牛頬肉の煮込み」としました。

「ワインリストなし,ナプキンは紙」というカジュアルな店でしたが,オードブル 二品,「牛蒡のスープ」,「茸とベーコンのトマトソースのパスタ」,デザートに(材料を失念した)プディングとアイスクリーム,さらに 生キャラメルとメレンゲ など充分な品数と量,味もよく,真面目に調理された料理でした。
特に パスタは 茸の味が良く出て 感心しました。

ハーフ・ボトルのワインを頼みましたが,フル・ボトルしか置いておらず そのハーフ・ボトル分を戴きました。
注文時に そう言ってもらえれば フル・ボトルでもよかったのですが,栓を抜いた後に これからハーフボトル分を-と言われて,そのままとしました。

8時過ぎに店を出るときも 他に客はおらず,金曜の夜,中央通りに面していて,それなりの料理を出している,イタリア料理店に 何故  客がいないのか- 倉敷市民は何をしているのか-不思議でした。

美観地区を通り抜けて ホテルに帰りました。
所々に飲食店があって 営業中でしたが,通りにほとんど人通りがなく静かで,提灯が欲しくなる不思議な雰囲気でした。

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2012年2月19日 (日)

手作りの「しおり」

久し振りに 本を読み始めて 「しおり」が欲しくなりました。

家人に「『しおり』がないかな?」 と尋ねると,何故か 「明日まで 待って。」

Bookmark_aBookmark_b

次の日,「しおり」 を渡されました。

上野公園のそばにあって 2006年,10年足らずで 営業を終了し,今はない,奇抜な外形だったフランス系のホテル ‘Sofitel 東京’から持って帰った 葉書で作ったようです。

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2012年2月18日 (土)

傍らで聞いて不愉快な軽口

広島の靴屋に,修理に出していた家人の靴が戻ったので 受け取りに行きました。

女性スタッフに,スエードの靴のクリーニングをやってもらっている還暦前後の年齢と思われる男性がいました。
その男性が 女性スタッフに言いました。
「時給の高い人に こんなことをやってもらって申し訳ない。」

この人が,いつも言っている紋切り型の軽口のようで,同じようなことを何回か言いました。

彼女が 時給で働いているかどうかを知らないし,そうだとしても 時給を高いと思っているのか,安いと思っているのか知りませんが(高いと思っている人は少ないでしょう),この軽口は 感謝の表現とはならず,彼女が自分の賃金を どのように思っているかに拘わらず,傍らで聞いていて 思わず 「余計なことを言うのを止めたら・・・」 と声を掛けたくなりほど 不愉快に感じました。

このような言葉を言い勝ちな この年齢の男性が世の中にはいますが,相手の賃金のことを冗談めかしで言うのは 余計な軽口で,品性を疑います。

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2012年2月17日 (金)

40年間 履き続けて-

Img_17771950年に登場し,日本では1964年に発売開始された Clarks の Desert Boot を,1972年から 絶えることなく履き続けて40年,現在 保有しているものを並べてみました。勿論,40年前の靴はありません。

家人の3足と Desert Khan を加えて 8足です。
このうち 2足のクレープ・ソールを張り替えています。
高価な靴ではないので(40年前は 初任給の1/3以上で高価でした), ソール張り替えをせず,買い換えますが 買い換えようとした時,同じ色(材質)が製造休止(停止)していて 張り替えたものが2足です。

Clarks の Desert Boot の世界販売累計は 1995年に 1,000万足を越え,現在は 1,200万足と言われています。
一つの会社の一つのデザインの靴としては 世界で最も売れた靴でしょう。
2009年に,60周年記念として発売された,オリジナルの復刻版サンドスエード(写真の7時位置)は,材質が やや厚めですが,形に他との違いはありません。
60年以上 同じデザインを保っている稀有の存在に感心します。

甲革もクレープソールも スニーカー並みの柔らかさで 足に負担を強いることなく履け,スポーツコートのカジュアル・スタイルに合わせられる靴を 他に知りません。

蛇足-
Img_4606Img_4607現在の Clarks のホームページ(日本版も UK版も )には Desert Boot の発売開始は 1950年と示されています。
ところが 2009年の復刻版 の箱に入っていた 英文小冊子には 1949年 発売開始になっていました。
1950年 発売開始だと 2009年は 60 years anniversary にはならないと思いますが・・・。

まあ,昔のことなので 1年くらいは 誤差の範囲ということで-。

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2012年2月16日 (木)

外国語間での一対一の対応は・・・

50年前に 英語を習い始めて,そのうち 外国語の難しさを感じるようになりました。

難しさの要素は 色々ありますが,難しさの基本的な要素として,言葉(単語)として 一対一で対応してないことがあります。
異なる風土,生活での言語の成り立ちの違いから 当然のことですが,習い始める時,そのようなことを知らないし,意識しないため ‘water’は 「水」,‘go’は「行く」で ‘come’は 「来る」と覚え,日本語で作った文章を,覚えた対応する英単語そのままに英語にしてしまう過ちを犯しがちです。

「水」も 「湯」も ‘water’であり,「そっちに すぐ行くよ。」 は ‘I'm coming soon.’であって,離れている人に ‘I'm going soon.’と言うと,言われた人は 「おやっ? まだ来てないのに,もう帰るの?」 となります。
「いや,そのような場合,私は ‘I'm on my way.’と言う。」 のレベルの人は この話は関係ないでしょう。

特に 日本語になっている英単語は 誤り勝ちで,例えば ‘chance’は 「チャンス=好機」 にだけ使ってしまいます。
chance’は 「危険性」 という逆の意味でも使われ,そこまでいかなくても 「可能性」や「偶然」 というニュートラルの意味もあります。
chance of error ’(エラーの可能性・危険性)とも言うし, ‘chance of success’(成功のチャンス)とも言い,結局 ‘chance’ を 一語で表す日本語は存在しないということです。
「エラーのチャンス」は 日本語としてはおかしな表現です。

chance’の意味を英語として理解していなければ,「失敗の可能性」を英語で言おうとして,‘chance of failure’ が出て来ず, ‘probability of failure’ などと 口語には似つかわしくない硬い表現を使いがちです。

このことを 英語を習い始める中学生に理解させるのは かなり難しく,ある程度 英語学習をし,周辺知識を身につけた高校生くらいで 納得させておく教育が必要と思えます。

最近 読んだ米国人が書いた文章に 「日本語の 『多分』は ‘yes’に近いが,英語の 『多分』は ‘no’に近い。」 とありました。
日本語の 「多分」 と訳す英語には 確信度の高い順に (この順序は 辞書・参考書によって若干 異なる。) ‘probably’,‘maybe’,‘perhaps’,‘possibly’ などがあり,米国人にとっては 異なる意味の副詞と思われます。これらを 全て 「多分」と訳すのは 真面目に考えれば 乱暴なことです。
前述の米国人は ‘possibly’のことを言いたかったのでしょうか。

上記の副詞を 正確に使いこなし,更に 聞き分けられる日本人は 英語の達人でしょう。

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2012年2月15日 (水)

バレンタイン・デイ に チョコレート・ケーキを-

Img_1848家人が チョコレート・ケーキを作りました。

ネットで探したサイトのレシピの分量で作り,レシピに示された焼き型が15cmとあるのを,手持ちの18cmで焼いたので 薄めになったそうです。

Img_1851戴きます。 

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2012年2月14日 (火)

「おでん」 に 「グリューワイン」はどうだろう。

この季節は 「おでん」 です。Img_1840

ヨーロッパ(ドイツ,オーストリアあたり)では,この季節,「グリューワイン」です。(-と,勝手に思っています。)

そこで( 因果関係はありませんが) 「おでん」 に 「グリューワイン」 という高度な(?)組み合わせを試みました。

Img_1842グリューワインは 赤ワインに 「砂糖」,「シナモン」,「クローブ」,「レモン」,「オレンジ」,「コケモモ」などを加えて作られ,温めて飲みます。

以前,オーストリア・ザルツブルグのプレ・クリスマスの雪の中の屋台で飲んだ グリューワインは 香辛料が強く 濃い味でしたが,このボトル(ドイツ製か,オーストリア製か不明)は ほどよい香辛料・香味料の効き方で 「おでん」 が食べられました。

悪くない組み合わせでした。

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2012年2月13日 (月)

40年前,「別れの朝」を-

No_reason高橋真梨子さんの “No Reason Tour '09” のDISC1で 久しぶりに 「別れの朝」を聴きました。

ある歌を聴いて その歌が流れていた時代,その時,自分が何をしていたか,を思い出すことは 誰にでもあることでしょう。
私にとっては 「別れの歌」が その歌です。

ペドロ&カプリシャスの メジャーデビュー・シングル「別れの朝」がリリースされたのは 40年前,1971年10月でした。
リリース直後からヒットして 4週連続 ヒットチャート1位を占めました。

その頃,卒業研究に追われていた私は,実験場にラジオを持ち込み どちらかと言えば肉体労働の実験準備をしながら,ひっきりなしに流れる「別れの朝」を聞き,ある時は 口ずさんでいました。

その頃の ペドロ&カプリシャスのボーカルは 初代の前野曜子さんでしたが,今聴くと高橋真梨子さんとの区別はつきません。

厳しいコメント・質問をする教授が入院していたことが幸いして,めでたく論文審査を通過し,卒業式前の学科30数人によるパーティーで 「別れの朝」を歌ったような気がします。

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2012年2月12日 (日)

久し振りの晴天に,呉市中央公園で。

土曜日の昼頃,呉市中通の海産物店「川口屋」でいつものように 家人が「いりこ」を買うと,「もう,牡蠣祭りに行きましたか?」と言われました。

Img_1831それでは行ってみようと 蔵本通りに出ましたが,やっている気配なく,中央公園に行くと人で一杯でした。

Img_1828入り口で貰ったちらしを見ると 「呉水産祭り」とありました。

14漁協が加盟する呉漁業協同組合連絡協議会の主催です。

牡蠣のむき身生産量は呉市が 3年連続 日本一と書いています。

2005年に 安芸郡と豊田郡に属した周辺の町が呉市に編入,特に 倉橋島の 音戸町と倉橋町が呉市に加わったことが 牡蠣生産量の増大に繋がったと思われます。
因みに 同ちらしには 「牡蠣むき身生産量」は 呉市に次いで 2位:江田島市,3位:広島市,4位:廿日市市 とここまでが 広島県で 全国生産量の70%を占めているようです。

Img_1830それでは 「牡蠣を食べよう。」 と 会場を歩きましたが,牡蠣を扱っているテントは全て行列が出来ていて,「餓死の虞がある時を除いて,食べ物のために並んではいけない。」の家訓に従って食べるのを諦めました。

間違えました,家訓ではなく 単なる個人的行動の主義です。

Img_1835で,代わりに 蒲刈の 「じゃこ天」(雑魚のてんぷら)を 齧りました。

 

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2012年2月11日 (土)

珍しいシャツの破れ方。

Img_1822シャツの襟の裏側(襟腰)上部が,縫い目の部分から 破れているのが 洗濯後 見つかりました。
何の予兆もなく 突然でした。

高校,大学時代の記憶はありませんが,就職して以来 40年間 綿100%のドレスシャツを着ていて 初めて見る破れ方です。

襟の先端や付け根の部分の繊維が切れて廃棄するのが通常だったので驚きました。

Img_1819Img_1824   

シャツは 米国製 Brooks Brothers のオックスフォードです。
(米国では 売られているsleeve のmin.は 32”と思われますが,31”の米国製もあるようです。)

調べると(ワードローブ購入リストから),このシャツは 2007年10月の購入で 4年余り経っており,月 1~2回の着用として 70回余りの着用(洗濯)となるので 破損モードは異常ですが,寿命とみなしましょう。
が,元々の品質に やや疑問が残りました。

尚,クリーニング店にシャツを出すことはなく,独身時代は自分で,結婚後は家人が 洗濯・プレスしています。

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2012年2月10日 (金)

外国で食事するのは難しい。

若い頃から 何度か海外出張に行き,単独行が多く 一人でレストランで食事をする度に 注文する難しさを感じました。

英会話の Lowest Level を ‘Survival Level’と言い, 「海外でホテルに泊まって 食事をするだけ。仕事するには力不足。」 と若い頃 聞きましたが,そうでなくとも スマートに食事をするのは難しいものです。

簡単なのは ファスト・フード店や フード・コートですが,それでも ロシアの,Subway のような店(Subway は日本でも 注文の仕方がよく分かりませんが・・・)で 言葉が分からず(ロシア語だから),‘Full’ か ‘Half’ かを尋ねていることを理解するのに苦労したことがあります。

食事の習慣,注文のシステムに対する知識と それに基づく想像力が重要です。

記憶に残っている 食事に関する失敗,あるいは 理解できなかったことが二つあります。
いずれも 夜,空港に着いて,そのまま ホテルにチェックインし,外に出るのが面倒で ホテルのレストランで食事をしたときのことです。

(その1)オランダのホテルで
肉料理を注文すると,‘side dish’をどうするか,と聞かれ 「温野菜」を頼みました。
そして,どう考えても 私一人のために(他に誰もいなかった。)運ばれてきたのが,立食パーティーでオードブルを供するような 長径 50cmのオーバル皿に山盛りの「温野菜」でした。
これに対する注文主の 正しい処理の方法が 今もって分かりません。
あれは 何だったのでしょうか。

(その2)オーストラリアのホテルで
魚料理と肉料理から 一品ずつ注文しました。
注文は 英語のメニューで理解できるものから,魚料理は 唯一分かった 「生牡蠣」,肉料理は 「ビーフストロガノフ」としました。
そして 運ばれてきた 「生牡蠣」に参りました。
今まで 日本で見たことがない巨大な牡蠣が1ダースでした。
メニューには ‘1 dozen’,‘Half dozen’の選択肢はありませんでした。あったとしても 大きさが分からないので 選択は困難でした。
Half dozen でギブ・アップ,気分が悪くなりました。

教訓:分からなければ,あるいは不安なら尋ねる,もし言葉が通じれば。

オーストラリアのパースに,移動中継地として一泊したことがありました。
このとき,仕事先会社が手を回して 現地支社労働課スタッフが奥さんと一緒に夕食に連れて行ってくれました。
レストランのメニューを 料理の内容わからず眺めている私のために,奥さんが メニューを読んでくれました。
彼女としては 「料理名を聞けば 料理内容が分かる。」 と思ったのでしょう。
料理名を読む(発音する)ことができても 内容がわからない人間がいる,というのが分からなかったようでした。

(蛇足)
5,6年前,ロス・アンジェルス空港の JAL ビジネス・クラスのラウンジで,私の隣のテーブルにいた60歳代と思われる日本人夫婦のご主人が チーズを食べようとしていました。
名前は知りませんが,紅いワックスでコーティングした丸いものでした。
ご主人は 包装を剥いで そのまま口に運び,声を掛ける間もなく 齧り付きました。
その時,私と同じように 心配しながら その様子を見ていたと思われる アメリカ人の婦人が 駆けつけ 「ワックスを取らないと!」(恐らく そのような意味)と声を掛けました。
ご主人は 言われた英語の意味が分からなくても,味で分かったようで 吐き出しました。

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2012年2月 9日 (木)

糠袋

Img_1728かなり前に,近くのスーパーマーケットで貰った「米糠」を入れて,私の廃却したドレスシャツの生地で 家人が 「糠袋」を作りました。

食器を洗うのに使うとのことです。

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2012年2月 8日 (水)

推定無罪は正義?

刑事事件に野次馬的関心を抱くのは下品なことだと思いつつ,最近の「首都圏連続不審死」事件の裁判報道を 密かに注視しています。

かつての,そして現在 冤罪疑惑で問題になっている「東電OL殺人事件」に対する関心は 被害者の人生に対するものでしたが,今回の事件は 容疑者の人生に興味はなく,裁判そのもの,特に 無罪を主張する弁護士と 100日間拘束される裁判で 多くの辞退者が出た末に選出された裁判員の審議結果に興味があります。

裁判員ではない私には 状況証拠から 3件が有罪としか思えませんが,「必然の事件」 として 3件をまとめて敢えて審理を請求した検察に対して,弁護側は 「偶然の可能性」を主張しているようです。

その主張とは-
「使用された練炭も,コンロも,睡眠薬も 世間では無数に(?)売られている種類のもので,この全てを使って,偽名・偽学生などを騙って同じ方法で知り合い,同様なプロセスで容疑者と付き合いがあった三人の被害者が,容疑者が被害者の金を入手した順番に,容疑者とコンタクトがあった日 あるいはその前後に,同じ原因で死亡したとしても,自殺 あるいは 過失死である可能性は否定できない。」 とするものです。

すなわち 刑事裁判の原則 「疑わしきは 被告人の利益に」 に沿った主張のようです。
被害者が3人ではなく,5人 あるいは10人であっても この主張は変わらないのでしょうか?

初期の事件を担当した警察官が 「自殺と誤って判断しなければ 後の事件は防げた。」と言っています。
他方,弁護士は,何人犠牲になっていれば 無罪の主張を引っ込めることができるのでしょうか?

裁判を 統計的確率で審理してはならないでしょうが,上述の事象は 偶然では「ほとんど」起こりえない確率に思えます。
弁護士は この「ほとんど」を論拠として,「ほとんど」は 100% ではないのだから,「100% 立証できなければ 有罪としてはならない。」と主張しているように思えます。

最近の 痴漢冤罪事件判決にみられる,満員電車通勤の紳士諸氏には恐怖の「推定有罪」傾向からすれば,驚きの,裁判の原則に厳密に則った主張です。

弁護士さんは それが仕事でしょうが,「人間の倫理」と 「仕事の倫理」 の葛藤で悩むことはないのでしょうかと他人事ながら気になります。
「無罪とは思ってないが,『推定有罪』はいけない。『推定無罪』が正義だ。」というところで折り合いをつけるのでしょうか。
門外漢には理解できない精神構造を必要とする職業です。

理論後付け直観派の私は 裁判員には不向きのようです。

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2012年2月 7日 (火)

映画,オンライン予約の支払いは現金で-

2年前に,15年ぶりに広島に戻ると,昔 行っていた町の中の映画館がなくなって シネコンが中心になっていました。
そして 府中の 「広島バルト11」が行きつけの(?)映画館になりました。

その「広島バルト11」が 最近(今年から?),オンライン予約ができるようになり 便利になって利用しています。
好きな席を 2日前から予約できます。

この予約システム(KINEZO) がいいのは 支払いが 現金でも可能なところです。

関東にいたときは,六本木の「TOHOシネマ」に ネット予約して行っていましたが,ここの支払いは クレジットカードで,予約完了時点で 支払いが完了します。
その後に 都合が悪くなったり,トラブルで行けなくなっても 変更や キャンセルによる払い戻しは不可能です。

「KINEZO」で 現金支払いを選択すると,上映開始 30分前までに自動発券機で 支払い・発券する必要がありますが,都合が悪くなった場合,ほおっておけば 上映30分前に 予約が無効となるだけで 何のロスもありません。
その場合,映画館側としては 30分前からキャンセルされた切符を売る必要があって 空席が出るリスクが高くなりますが,利用者にとっては好都合で,クレジットカード支払いに比べ,顧客重視のシステムで 好感が持てます。

さらに 還暦過ぎ夫婦に対して,今や 映画館の入場料(鑑賞料)は 「夫婦どちらか50歳以上割引」や「60歳以上割引」があって 1,000円です。
2004年から始まった(当初,1年間の時限制度と思われたが 継続中)「夫婦50割引」は開始時から重宝しています。
それまで 指定席だと 二人で 6,000円だったのが,2日前に自宅から席を予約できて 2,000円というのは隔世の感があります。

6,000円払った最後の記憶は 1998年に有楽町の映画館で観た「L.A.コンフィデンシャル」で,切符購入に並ぶ人の数に驚いて 指定席券を買って観ました。
今でも 好きな映画 Best 10 に入る映画だったので 悪い記憶ではありません。

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2012年2月 6日 (月)

折角の熊手ですが・・・

家人が 「はたき」を作ろうとして まず,「柄」にする材料を探したそうです。
最近の出来合いの「はたき」は プラスティックの柄が多いようです。

「しなり」 と 「美しさ」 を求めて,柄にすることができる適当な太さの竹を ホームセンターなどで探しましたが 見つからず,結局,‘100円均一ショップ’で 「あるもの」 を見つけて買いました。

Img_1735Img_1736

「ミニ熊手」です。
中国産とはいえ 驚きの 100円です。

製品として 100円なら 柄の材料費は 只のようなものでしょうから,それだけを販売するのは無理ですね。

Img_1737柄の長さは約60cmです。

折角の熊手ですが,この柄を「はたき」に流用するとのことです。

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2012年2月 5日 (日)

時には ベトナム料理のランチを-

広島に買い物に出て 昼食に,珍しく ベトナム料理店に入りました。

Img_1661紙屋町の「そごう」 と 「リーガロイヤル・ホテル」に挟まれた ショッピングモール 「パセーラ(Pacela)」6階にある 「ミス ホア(miss hoa)」です。

初めて 入った店です。

ランチ・メニューだけの時間帯でした。

Img_1656家人は 「鶏肉入りの フォー」,サイド・ディッシュとして 「生春巻」,「鯖(?)の天麩羅/甘酢餡かけ」,「混ぜご飯」。

Img_1659Img_1657

私は 「焼きフォー」(これが 本当にベトナムにあるかどうか,行ったことがないので分かりません。),サイド・ディッシュは 「トマトベースのスープ」 外2品は同じ。

注文するとき,大抵のベトナム料理店と同様に 「香草が入っていますが,大丈夫ですか?」 と言われましたが,物足りないほど抑えた香りでした。
さらに 薄味が 何とも好みです。
韓国料理を除けば どのアジア料理店にも入ります。

 

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2012年2月 4日 (土)

魚 詰め合わせ 198円。

Img_1740近所の魚屋で 買った198円の「お買い得」(?)パックです。

「鯖×1」,「コチ×1」,「シャコ×2」,「ハゼ×4」。
ほぼ全て,生きていました。

まとめて煮て 食べました。

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2012年2月 3日 (金)

K-20 のロケ地 (その2) 九州大学

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2008年に公開された ‘K-20 怪人二十面相・伝’ のエンドロール「ロケ地協力」のトップに九州大学が 他より 若干大きいフォントと ロゴマーク(学章?)入りで示されています。

それなりの合理的な理由があるとはいえ,時代の趨勢に逆らって(今や 大学は 町の中にあるのが流行り),箱崎キャンパスの工学部(など?)が 移転し,建物がそのままなので 映画の撮影に使うには好都合だったのでしょう。

撮影に使われた建物は 全て 明治から昭和初期にかけて建てられたものです。

Img_1750Img_1789

帝国大学として設立された 1911年(明治44年)に作られた 福岡市・九州大学(箱崎)の正門です。
映画では 「陸軍省情報研究所」の門として 使われています。

門の奥に見える建物も映画で使われていました。40年前は 中に図書室があったような気がしますが,ほとんど足を踏み入れたことがないので 確かではありません。

Img_17531921年(大正10年)に建てられた旧造船学教室の実験棟です。
この横で 兵士が 一斉射撃しました。

今はない 旧造船学教室本館外壁は 実験棟と同じ赤煉瓦で,その煉瓦は イギリスから1個ずつ梱包されて運ばれたものだったそうです。
欧米先進国に追いつくために高等教育施設に予算を注いだ当時の国家の意思を感じます。

凝った装飾を施すなど 現代では考えらない実験室の建物です。

Img_1755映画に もっとも多く登場したのが 1927年(昭和2年)建設の「旧応用化学教室」です。

工学部本館ほど大きくなく,4階建ての まとまりのいい タイル貼りの建物です。

屋内の追跡劇も おそらくこの内部で撮影されたものでしょう。

Img_1790Img_1758既に 現役を退いているのと,画面に新しい建物が入らないので この地が選ばれたようですが,最後に 屋上から オートジャイロ(?)からの縄梯子に飛び移るシーンに 何故か 昭和40年代のアパート風の長い建物が 見えます。

おそらく 理学部棟だと思います。やや残念です。

この映画の時代設定は,第二次世界大戦がなかったパラレルワールドの1949年で,北九州市も撮影に多く使われています。
北九州市は 昭和の風景を必要とする映画のロケ地として 多く使われているようです。
(昭和30年代の「三丁目の夕日」,昭和50年代の「おっぱいバレー」など)

よく言えば 「インフラを大事にしている。」,悪く言えば 「進歩がなく 町が廃れている。」 ということで 昭和の風景が残っている所が多く,それらの場所が近距離内にあるので 効率的に撮影できるところが 選ばれる理由のようです。

この地で育った身としては 複雑な心境です。   

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2012年2月 2日 (木)

K-20 のロケ地 (その1) 上野海運ビル

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3年前に公開された ‘K-20 怪人二十面相・伝’ の「ロケ地協力」部分エンドロールです。

当時,盛んにテレビで宣伝されていましたが,映画館で観るほどのことはなし,DVDで そのうち観ようと思っていて やっと最近,観ました。

就職するまで生活した福岡県が,撮影ロケ地になっていたことを知ったからです。

Img_1816戸畑から洞海湾を隔てて 若松を望んでいます。

写真の左にある 茶色のビルが ロケ地の一つ,「上野海運ビル」 です。
DVDを観た後,若松に行く用があったので 寄ってみました。

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Img_1802怪人二十面相の立っている後にあるドアは,ビル手前の 平屋の前のドアのようです。

Img_1781Img_1806

ヒロインが逃げているのは,この辺りだろうと
想像しながら 敷地内に入って ビルの周りを歩いてみました。

Img_1809ついでに ビル内のカフェで 昼食を摂って帰りました。

   

 

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2012年2月 1日 (水)

北九州市の食べ物,二種。

先日,北九州市に行った折の 二人の義妹からの もらい物です。

Img_1722Img_1724

三度目の登場,八幡西区 「洋菓子のカワグチ」さんの 「アップルパイ」。
食べ甲斐があります。

Img_1726同じく 八幡西区 「(株)かば田食品」さんの『昆布しめさば』。
「おぼろ昆布」が特徴です。

イケマス。 

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