ルイ・ヴィトンの鞄で爪皮を作った話。
「再び女たちよ!」(文芸春秋社)は 伊丹十三の 「ヨーロッパ退屈日記」,「女たちよ」に次ぐ三冊目のエッセイ集です。
40年前の昭和47年(1972年)の第一刷を 就職した年に買っていました。
これは 雑誌「ミセス」(文化出版局)に連載していたイラスト入りのエッセイ「のぞきめがね」(後に「私の博物図鑑」)を主にまとめたものです。
この「再び女たちよ!」の中の 「キザ」の項に,自分のキザの話として 「ルイ・ヴィトンの鞄の新品をばらして,下駄の爪皮を作った。」と言う話があり,ずっと気になっていました。
まず「ルイ・ヴィトン」という高級そうな鞄がどんなものか気になりました。
その時までに 見たことも 聞いたこともありませんでした。
20年前頃には 新幹線に乗れば 1両に必ず1個,多ければ 3,4個 「ルイ・ヴィトン」のボストンバッグが荷物棚に載っていましたが,40年前の日本には「ルイ・ヴィトン」の店は存在しませんでした。(日本進出は 1978年で 6店舗,銀座の直営店がオープンしたのは1981年。)
しかも 1972年は まだ固定相場制で 308円/ドル(1971年までは 360円/ドル,変動相場制は 1973年から)で,外国製品は 単純には 現在の 3倍の価格だったのです。
更に,この頃,パスポート取得手続きに「預金通帳」(海外旅行可能な資金の証明)もしくは 会社の「出張命令書」(パスポート取得に時間がかかって 急な出張に間に合わないことがあるため,新入社員の私は出張予定が無いにもかかわらず,出張命令書を作ってもらって広島県庁に行った。)が必要で,一般人が「ちょっとパリに買い物に。」 という時代ではありませんでした。
つまり,この頃,「ルイ・ヴィトン」のバッグは 日本では 一般には出回ってなかったのです。
「再び女たちよ!」には 「鞄の値段は書かぬ。」 と書かれており,高価さが想像できます。
さらに 「この爪皮は死んでも雨の日には使わないつもりだ。」 と書かれているので,きっと残っているはずだと思っていました。
2007年,松山に 「伊丹十三記念館」ができ,毎年の開館記念日には 展示室に置ききれない品物をしまっている「収蔵庫」のツアー(参加は抽選)が行われることを知って,2009年と2010年に「ルイ・ヴィトンの爪皮」を探しに「収蔵庫ツアー」に参加しました。
「ルイ・ヴィトン」の鞄はありましたが 「爪皮」を見つけることはできませんでした。
開館記念日には 館長の宮本信子さんが出勤しているので,2010年の収蔵庫見学を終えて 宮本館長に 「ルイ・ヴィトンの爪皮」のその後を尋ねました。
「あれは 創作ですよ。作るのを引き受けてくれる人が見つからなかったんですよ。」
とのことでした。
写実的イラストは 想像図でした。
| 固定リンク | 0
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- トム・ハンクスは小説家でもある。(2023.06.12)
- アガサ・クリスティの小説改訂版で原文が修正されている。(2023.04.10)
- 廃品回収の整理に行って 持って帰った ・・・ 。(2023.02.13)
- ハリー王子の回顧録 “Spare”,翻訳された言語と出版された国は-(2023.01.16)
- 「ロビンソン・クルーソー」の原題を訳してみた。(2022.12.31)
コメント