意味が違う。
世の中で,本来の意味とは違う使い方をされている言葉が気になることがあります。
還暦を過ぎて,相手が間違った意味で使っていることを察して 会話に乗る優しさが身に付きましたが(?),若いころは 話が合わない場合,相手に定義を確認していました。
【号泣】
単なる大泣きのことではありません。ましてや 単に涙を流すことではありません。
「大声をあげて,ワーワー泣くこと」 が 「号泣」です。
現在は 半分以上の人が (どちらかと言えば激しく)泣くこととして使っているようです。
(間違った定義が 未だに理解できない。どのような泣き方を‘号泣’だと思っているのだろう。)
泣き声も聞こえないのに 「号泣しています。」と言われると,どこで?と思います。
【ダイエット】
健康,美容(痩身)目的に食事を制限すること(食餌療法)です。
ダイエットのために運動を やっていると言われると 「それは違うだろう。」と言いたくなります。
「ダイエット食」はありますが,「ダイエット運動」はありません。
「ダイエットに何かやっていますか?」という質問は 存在し得ません。
「痩せるために何かやっていますか?」に対して 「はい,ダイエットをやっています。」が正しい会話です。
【同級(生)】
同じクラスの生徒のことです。
単に学齢が同じであることを 同級(生)と言う人がいます。
よくわかりません。
同じ学校の同学年でクラスが違う生徒は 「同期生」です。
【個人主義】
「民主主義」の基礎である「個人主義」を,「利己主義」と同義だと思っている人,あるいは混同している人がいて,時々 困惑します。
「個人主義」の対義語は 「全体主義」あるいは「集団主義」であり,全て 元は西洋の思想・言葉であって その訳語も原義に忠実であるべきです。
「個人主義」は高度な知性と自己統制を要する生き方です。
「『日本的個人主義』は・・・ 」 などと言われると理解できなくなります。「個人主義」に 日本的も,ヨーロッパ的もありません。
「私的個人主義」と訳される ‘privatism’とは違い,あくまで ‘individualism’です。
【バタ臭い(顔)】
これは既に 死語ですがー。
「バター臭い」,すなわち ‘洋風の(顔)’という意味であって,私は ニュートラルに捉えていました。
昭和時代,「洋風」とは関係ない単なる 「貶し」言葉と認識して使っている人がいました。
昭和40年(1965年)頃,その10年前の映画 「ノンちゃん雲に乗る」の頃から 私が 日本一の美女だと思い続けていた鰐淵晴子さんは,ハプスブルク家の血を引くオーストリア人が母親なので 当たり前ながら バタ臭い顔をしていました。
敢えて,我慢して今風(?)に言うなら,「ソース顔」と ほぼ同義と思われますが,これは男だけ?
違う定義(もしくは定義の認識がない)の言葉を使って会話をしても 詮無きこと,と若い頃はキッパリと思っていました。
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コメント
私は、自らがど真ん中にいる時の言葉の変化にはとても違和感を感じます。
ただ、言葉は変化するものだということは重々承知しているつもりです。
過去に変化したものには、良い印象を持ってしまったりするのですが:/
【ダイエット】は、もう新しく日本語として成り立っていくのではないでしょうか。英語を学び、あなたと会話をして生きてきた私は、度々ダイエットの本来の意味を、間違って使う人々に伝えてきました。しかしここ何年かで、これ以上広めるのはもう無理だと思うようになりました。
残念ながら、そうなっていくのではないかと思うのです。
投稿: yoko | 2013年3月24日 (日) 23時07分