学校から引率された貸切映画鑑賞の苦い記憶
子供の頃から 映画が好きでした。
昭和30年代,小学校や中学校の学校行事として 映画館を貸し切っての映画鑑賞があり,一人で好きな映画に行けない環境(許可映画のみ,父兄同伴・・・)の当時,楽しみでした。
これで何を観たかの記憶はほとんどありませんが,おそらく 初めて観た映画は 小学校低学年時の 「ノンちゃん雲に乗る」(1955年,鰐淵晴子主演)だったと思います。
この学校からの映画鑑賞で,今でも 記憶に残る,腹が立ったことがありました。
おそらく 中学校1年生だったと思います。
(その1) 引率する担任教師が映画のタイトルを知らなかった。
その日は映画鑑賞だとは分っていましたが,何の映画を観に行くのか 当日になっても説明がありません。担任教師に訊きましたが 答えられませんでした。
おそらく,映画に何の興味もない教師だったのでしょう。
だとしても,引率する映画のタイトルを生徒に言えない(知らない)教師にどう対するべきか困りました。
(その2) (さらに致命的・不愉快なことに) 映画館(映写技師)がフィルム・リールを飛ばした。
タイトルも分らず引率されて行った映画館で 映画が始まりました。
貸切映画なので, 予告篇や ニュース映画がなくても文句は言えません。
しかし,あろうことか,映画が 途中から上映され始めたのです。
「自由の女神」も「吠えるライオン」も「雪を被った山」も何も出ず,突然,テンガロン・ハットを被った男が英語を喋っていたのです。
意図的であろうが,何であろうが,フィルムの第一巻を抜かして上映したのは間違いありません。映写技師が何かの理由で意図的にやったのかも知れません。
途中で ストップして,やり直すことなく そのまま上映は続きました。
フィルム一巻が何分の上映時間になるのか知りませんが,何とか全体のストーリーは掴めましたが・・・。
観終わっても 映画のタイトルが分りませんでした。
とんでもない 映画鑑賞会でした。
(この費用は 徴収していたのでしょうね。)
その後,この事件(事故?)に対する釈明と,謝罪は 誰からも,どこからもありませんでした。
子供だからと言って 有耶無耶に済ませていいはずがありません。
以来,この時,引率していて 適切な対処を怠った教師全員に,真面に対応し難くなりました。
映画に対して,かつ,子供に対して,侮辱を働いたに等しい教師達を真面な大人ではない,と思うようになりました。
あれは 教師たちの 時間潰しか休憩にしか過ぎなかったのかと,今になって思います。
半世紀前のことです。
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コメント
適切な対処を怠る教員は、半世紀後にもいます。
それにしてもその日ひどい一日でしたね。楽しみにしていたから、相手にも楽しみにしろ!とは言いませんが、教員であるならば、楽しみにしていることを察するのは当然のこと。
投稿: yoko | 2013年6月19日 (水) 12時41分