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2013年6月26日 (水)

昔から?

日本を訪れた外国人の共通の感想に街の清潔さがあります。
「ゴミ箱の数が少ないし,清掃人の姿もないのに 道にゴミが落ちてない。」と言います。

この清潔さは いつからなのか?いつの記録が残っているのか?
ーと気になります。

かつて(16世紀から19世紀にかけて) 日本を訪れ,滞在した西欧人も 現在とほぼ同様の感想を残しています。

「日本人の家屋は,板や藁で覆われた木造で,はなはだ清潔でゆとりがあり,技術は精巧である。屋内にはどこもコルクのような畳が敷かれているので,きわめて清潔であり,調和が保たれている。」
   
ヴァリニャーノ(松田毅一他訳)『日本巡察記』,イタリアの宣教師で、イエズス会の巡察師として日本を三度(1579,1590,1598)訪れた。

「街路は淸潔にして何人も之を蹈まずと思はるゝ程なり。」
   
ドン・ロドリゴ『日本見聞録』,メキシコの政治家で、江戸初期に日本に漂着し見聞記を残した。(1609~1610)

「この国民は絶えず清潔を心がけており,家でも旅先でも自分の体を洗わずに過ごす日はない。そのため、あらゆる町や村のすべての宿屋や個人の家には,常に小さな風呂小屋が備えられ,旅人その他の便宜をはかっている。」
「その国のきれいさと快適さにおいて,かつてこんなにも気持ち良い旅ができたのはオランダ以外にはなかった。また人口の豊かさ,よく開墾された土地の様子は,言葉では言い尽くせないほどである。国中見渡す限り,道の両側には肥沃な田畑以外の何物もない。」
「清潔さは,彼らの身体や衣服,家,飲食物,容器等から一目瞭然である。彼らが風呂に入って身体を洗うのは,週一回などというものではなく,毎日熱い湯に入るのである。その湯はそれぞれの家に用意されており,また旅人のためにどの宿屋にも安い料金で用意されている。」

   
C・P・ツュンベリー(高橋文訳)『江戸参府随行記』ス,ウェーデンの医学者・植物学者(1775 訪日)

「日本家屋の最上の装飾であり,最も賞賛すべき装飾と認むべきものは,上下を通じて守られてゐる小ざつぱりと清潔なところであらう。」
   
ゴロヴニン(井上満訳)『日本幽囚記』,ロシアの海軍軍人で、1811(文化8)年に国後島で捕虜となり、二年二ヶ月にわたって函館および松前に幽閉された。

「函館はあらゆる日本町と同じやうに著しく淸潔で,街路は排水に適するやうにつくられ,絶えず水を撒いたり掃いたりして何時でもさつぱりと健康によい状態に保たれてある。」
   
土屋喬夫・玉城肇訳『ペルリ提督日本遠征記』,1854年函館視察。

「まづ眼につくのは,中庭や,茣蓙を敷いた木造の階段や,それから當の日本人のなみはづれた淸潔さである。この點は全く感服せざるを得ぬ。彼らは身體も,衣服も,淸潔でこざつぱりとしてゐる。」
   
ゴンチャロフ(井上満訳)『日本渡航記』,ロシアの作家(1852~1955滞在)

「世界のあらゆる國で貧乏に何時も附き物になっている不潔さというものが,少しも見られない。彼らの家屋は,必要なだけの淸潔さを保っている。土地は一吋もあまさず開墾されている。」
「日本人は淸潔な國民である。誰でも毎日沐浴する。職人,日雇の勞働者,あらゆる男女,老若は,自分の勞働を終ってから,毎日入浴する。」

   
ハリス(坂田精一訳)『日本滞在期』,米国の外交官(1856~1858 滞在)

「よく手入れされた街路は,あちこちに乞食がいるということをのぞけば,きわめて清潔であって,汚物が積み重ねられて通行をさまたげるというようなことはない - これはわたしがかつて訪れたアジア各地やヨーロッパの多くの都市と,不思議ではあるが気持ちのよい対照をなしている。」
「すべて清潔ということにかけては,日本人は他の東洋民族より大いにまさっており,とくに中国人にはまさっている。中国の街路といえば,見る目と嗅ぐ鼻をもっている人ならだれでも,悪寒を感じないわけにはゆかない。」
「自分の農地を整然と保っていることにかけては,世界中で日本の農民にかなうものはないであろう。田畑は,念入りに除草されているばかりか,他の点でも目に見えて整然と手入れされていて,まことに気持ちがよい。」

   
オールコック(山口光朔訳)『大君の都-幕末日本滞在記』,英国の外交官 (1859~1862 滞在)

「日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。どんなに貧しい人でも,少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている。」
   
ハインリッヒ・シュリーマン(石井和子訳)『シュリーマン旅行記 清国・日本』,ドイツの考古学者(1865 訪日)

「日本人は石鹸を表す言葉を知らないし,今日になってもそれを使ったことがない。にもかかわらず,どのアジア人よりも身なりも住居も清潔である。」
   
グリフィス(山下英一訳)『明治日本体験記』,米国の牧師・東洋学者(187074 滞在)

「日本人の清潔さは驚く程である。家は清潔で木の床は磨き込まれ,周囲は綺麗に掃き清められているが,それにも係らず,田舎の下層民の子供達はきたない顔をしている。」
   
E・S・モース(石川欣一訳)『日本その日その日』,米国の動物学者(1877,1878)

欧米人の紀行文には必ずと言っていいほど,日本の,日本人の清潔さに関する記述がありました。
まるで 現在の日本(人)を上回る清潔さであったような印象さえ受けます。
ひょっとすると,彼等は 同時に立ち寄っている東洋の他国のあまりの酷さにショックを受けて,相対的に,極端な表現になったのかもしれません。
ただ,畑の「肥やし」の臭いには閉口した,という記録は何人かが残しているようです。

いずれにせよ,日本人の清潔さは 昨日今日のことではないようです。

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