昭和30年代の遊び 「ニクダン」
テレビゲームもパソコンも,カラーテレビもビデオも無かった昭和30年代,子供は身体を使って遊んでいました。
「缶けり」は今でも多くの人が知っているでしょうが,記憶に残る遊びとして 「ニクダン」(おそらく 『肉弾』)がありました。
この遊びが 全国的なものかどうかは分りませんが,北九州では 極めてポピュラーな遊びでした。
昭和40年以後,この遊びの話を聞いたことも,見たこともありません。
遊び場所の 道路(未舗装)か,運動場に右のような陣地を描きます。二つの陣地は点対称であり,遊ぶ人数によって陣地の大きさは変動します。
二つのチームに分かれて遊びます。
チーム分けは 拮抗する身体/体力の者同士がペアでジャンケンし,勝ち or 負け で決めました。
近所で遊ぶ場合は 同学年がペアでジャンケンしました。
方法は簡単,「敵の陣地を占領(陣地内に敵がいない)すれば勝ち」です。
あるいは 「自陣に置いた 『宝』を敵に踏まれたら/蹴られたら負け」 もあったかも知れないし,「どちらかが全滅するまで」 もあったかも知れません。
各チーム,自陣に揃ってから遊びは開始されます。
チームのリーダーは 誰を攻撃隊とし,誰を自陣の守備隊に残すかの作戦を立て実行します。
通路,陣地内では両足を着いて行動し,相手を押し出します。
陣地外では 「ケンケン」で移動し,敵を倒します。
陣地外で両足を着くと負け(戦死?)です。
通路を移動中にルート外で敵陣に引っ張り込まれたり,ルート外に突き出されても戦死です。(突き出された場合,ケンケンすればセーフ?)
時間はあっという間に過ぎていきました。
陣地には 簡略化した “S字”がありましたが,上図が 記憶に残る正式な陣地図で,何か名前があったような気もしますが,覚えていません。
このような遊びが多く見られたのは,我々 団塊の世代が小学校を卒業した昭和30年代半ばまでだったような気がします。
【追記】
その後,「ひまわりニクダン」というのもあったと思い出しました。
これは 攻撃と守備に分れて行う遊びで ニクダンの変形といえるでしょう。
陣地は 「ひまわり」の形をしていました。
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コメント
初めまして!にくだんを検索したらこのブログにたどり着きました!ルールは全く同じでした!昭和40年生まれ私も新潟県で長岡市の隣です!小学生時代 休み時間に普通にやってました!時には先生と一緒に…今の時代 考えられませんが… ゲームなどなかったあの時代 とても懐かしくいい時代でした!
投稿: 人なり | 2019年10月 1日 (火) 21時51分
初めまして!にくだんを検索したらたどり着きました!昭和40年生まれ新潟県長岡市の隣です!小学生時代 休み時間に普通にやってました!時には先生と一緒に…今の時代 考えられませんが… ゲームなどなかったあの時代 とても懐かしくいい時代でした!
投稿: 人なり | 2019年10月 1日 (火) 21時37分
こんにちは。
肉弾は、昭和50~60年代に、新潟(長岡市)でも遊ばれていました。長岡では、「宝」を「肉」と、「陣地外」を「宇宙」と呼んでいました。それ以外は同じです。
投稿: 三平太 | 2018年7月30日 (月) 19時00分
詠人さん,コメント,情報 ありがとうございます。
発祥の地方や 伝播の経緯がわかるとおもしろいですね。
詠人さんのサイトの陣地図を見ました。
私の チラシの裏にボールペンで描いたのとは違い,完璧でした。
投稿: 管理人 | 2017年2月22日 (水) 08時12分
初めまして。
ネット検索でこちらのページにたどり着きました。
というのも、私の幼少期(私は団塊ジュニア世代です)も、この「にくだん」がかなり流行ってたんですが、私がブログを書いた時期(2012年)に周囲の人間に聞いても、知らなかったり、知ってても私の遊んだ陣地図とは違うものばかりでした。
今回、初めて、自分の遊んでた陣地図と同じ記事を拝見し、感激して思わずコメント書き込んでしまいました(笑)。
北九州でもポピュラーだったんですね、私は本州の中部地方ですので、時期のズレはあれど、それなりに全国的に流行っていた遊びだったのかもしれませんね。
投稿: 詠人 | 2017年2月18日 (土) 01時50分