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2013年12月31日 (火)

「氷の世界 40年」を観て・・・

12月28日 NHK BSプレミアムで 「井上陽水 ドキュメント 『氷の世界 40年』」が放映されました。
サブタイトルは 「日本初のミリオンセラーアルバムの衝撃とその時代」です。

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ポリドール・レコードに移って発売されたアルバム 「断絶」(1972),「陽水Ⅱ・センチメンタル」(1972),「陽水ライブ/もどり道」(1973)に次いで 1973年12月に発売され,アルバム・チャート 113週 連続トップテン入り後,1975年8月 日本初のミリオンセラーアルバム(最終的には130万枚)となった 「氷の世界」誕生の秘話を探る番組で 見応えがありました。

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特に 初めて知った話が いくつかあって興味深いものでした。

Img_6217①井上陽水を世に出したのは森本レオだった。
森本レオが名古屋の東海ラジオで深夜放送のディスク・ジョッキーをやっているとき,井上陽水に興味を持ち,番組の予定を変えて 陽水を招き,1枚目のアルバム「断絶」の2時間特集番組を放送,4曲歌い,さらに「断絶」の全曲を紹介した。
翌日,ヤマハ名古屋店で 70枚売れ,これが全国ヒットに繋がった。

Img_6233②「氷の世界」をロンドン録音したときに黒人女性コーラス3人を頼んだが,来たのは女性2人,不思議な(?)男性1人の白人3人だったと星勝さんが語っています。
今回の番組の目玉のひとつのである,最近 発見された 「氷の世界」を録音した「16 トラック」のテープで コーラス部を再生して 陽水以下 当時の関係者は このコーラス部に満足していました。

③ロンドン録音時のアレンジャーとして 現地のニック・ハリソンを予定していたが,彼は リズム・セクションが得意ではなかったので 急遽,観光気分で同行していた 星勝氏がリズム・セクションを担当することになった。

Img_6218 ④「心もよう」の元のタイトルは 「普通郵便」だった。
プロデューサーの意見で 「心もよう」に変えられた。
歌詞も オリジナルから変わっていた。

氷の世界」が発売された1970年代前半には まだ「カラオケ」は存在しませんでしたが,「カラオケ」が世に出てから 私がもっとも歌った曲は 「心もよう」でした。

Img_6220_2もっとも 重要な歌詞の部分が,「レモンを買いに行くほかは ほとんど毎日 家に居ます」 では 泣けます。

他にも 今まで知らなかった興味深いことを知ることができました。

「氷の世界」が どのくらい伝説的な傑作のアルバムであったか,各氏が語っています。

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1996年に リマスター盤のCDが発売されました。

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オリジナルは A面 7曲,B面 6曲の 13曲ですが,リマスター盤は 14曲です。

オリジナル盤にあった 「自己嫌悪」が,「♪めくらの男・・・」の歌詞を差別用語として自主規制でカットし,ボーナストラックとして 「夢の中へ」と 「いつのまにか少女は」が加わっています。
その後の復刻盤には 「自己嫌悪」が復活しているとのことです。

Img_62371972年に就職した私の初任給は 恐らく 58,000円くらいでした。
氷の世界」がリリースされた翌1973年12月,同期の連中と道後温泉での忘年会に行くフェリー上で,オイル・ショックで 今後,会社はどうなるのだろうかと話をしました。

就職から 41年9ヶ月が経ち,本日 12月31日付で 退職です。

独身寮で 「氷の世界」を聴いていたのが ほんの昨日のように感じます。

因みに,私は井上陽水氏と同年齢,福岡県育ちで 氏が浪人一年目を小倉の予備校で過ごしていた時,私も小倉の別の予備校に通っており,その後,福岡市に住む大学生として RKB毎日放送から流れる 「カンドレ・マンドレ」を聞きました。

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