100年経って 未だに「個人主義」の定義が・・・
2014年2月24日の朝日新聞・天声人語を読んで,驚きました。
夏目漱石が没して あと 2年で100年になろうとしているのに,未だに 「個人主義」を理解してない人がいることにーです。
天声人語はー
「・・・憲法十三条は 『すべて国民は,個人として尊重される』 とうたう。自民党の改憲草案は 『人として』 に変える。『個』 をなぜ削るのか。草案づくりに携わった磯崎陽輔・首相補佐官のホームページには,当該条文が 『個人主義を助長してきた嫌いがあるので』 改めたとある。
・・・いまの日本社会に利己主義をはびこらせ,『家』を壊してきた元凶,という議論だ。 ・・・」と述べています。
「個人主義」を助長して何が問題なの?と一瞬思いますが,どうも違うようです。
前段部分で 「・・・(夏目漱石は)『私の個人主義』と題する講演で語っている。わがまま勝手にふるまうのではない。自分を尊重する以上,他人も尊重しなければならないというのが漱石の考えだった。個人主義を退治しなければ国家が滅びるなどと唱える者があるが,そんな馬鹿なことはあるはずがない,と。・・・」 と書いています。
どうも 磯崎さんは 個人主義を,利己主義と混同しているようです。
民主主義の基盤が「個人主義」にあることが理解されてない。
「個人主義」を尊重せずして 「民主主義」が成立し得ないことが判ってない。
個人が蔑ろにされる「民主主義」などあり得ない。
「個人主義」の対義語が 「全体主義」であることが判ってない。
首相補佐官が この程度では,「個人主義」が 国民にどのように解釈されているのかと考えると心許ないものになります。
「・・・というのが漱石の考えだった。」というのも厳密ではなく,「個人主義」の定義がそうであって,誰の考えーというものではありません。
改憲草案作成時の議論が,個人の勝手な解釈の言葉で行われては,国民は不幸です。
漱石先生が生きていらしたら,言葉の定義に無知な人間が憲法改正の草案作りに携わっている日本を嘆くことでしょう。
(追記)
現代日本においては 「個人主義」は「利己主義」と同義で用いられているとすると, ‘individualism’に対応する日本語が存在しないことになって,‘democracy’が危うくなります。
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