リタイア後の会話
リタイアして未だ1年経たず,家人との会話にゆとりを持たそうと意識しています。
現役時代,短気な性格故か,仕事上の会話における 質問と回答のアンマッチングにイライラすることがありました。
答える立場であれば,質問に対して 必要十分で無駄のない回答を心掛けました。
「やったか?」と訊かれれば 「やりました。」か「やっていません。」のどちらかしか答えませんでした。
「やっていません。」と答えて,「何故?」と訊かれれば やってない理由を説明しました。
訊かれる前から,理由や経過の説明をすることはありませんでした。
それが 互いの時間を尊重する仕事のルールだと思っていました。
質問する立場になって,「やったか?」と訊いて やったか,やってないかを答えず,状況説明を始める部下には困りました。「そんなことは訊いてない。」と言いそうになって我慢していましたが,結局 「やってないんだね。」と話を遮ることが多かった気がします。
「何故?」と訊いてないのに 「何故なら・・・」 と喋り始める人間が理解できませんでした。
但し,業務指示を受ける場合,指示が全ての条件を満たしているとは限らないので,不足部分を自分の判断で補って指示者に確認することが必要です。
例えば フレデリック・フォーサイスのスリラー小説 「コブラ」で,米大統領が 麻薬取締局長官に 「コカインに関する基本的事実の報告書」の作成を指示したとき,長官は次のように確認します。
「新しい報告書を作成します。一万語,文章のみ,極秘。期限は六日後で如何でしょうか,大統領。」 完璧な確認です。
期限についての指示をしてなかった大統領は,これに対して 「三日後にほしい。」と修正します。無駄のない業務会話です。
サラリーマン時代,このような会話者でありたいと心がけていました。
そのような時代,仕事を離れた会話をしていても 話が長く,話の先がなかなか見えないと,話の腰を折って 「ところで その話の結論は?」 とか 「話の途中だけど,その話にオチはあるの?」などと言っていました。
時には 「オチのない話をしたらいけないの?」 などと言い返されることもありました。
昨年暮れ リタイアして,家人と過ごす時間が長くなり,徐々に このような傾向を是正するよう努めています。
しかし,TVの ニュース・ショー(報道型バラエティ番組)を観ていて,司会者の質問に対して,その質問内容に的確に答えないコメンテーター,評論家,専門家などに腹を立てています。時には 的確でない回答に対して 追加・確認質問しない司会者にも腹を立てています。
ぼつぼつ 気を長くしましょう。
関係ありませんが,NHKの報道番組で アナウンサーが台本通りの質問をし,解説委員と称する人が 学芸会での台本の棒読みのように答えるのに辟易しています。
自分で書いた台本にしても 読まないで,自分の言葉で語ってほしいものです。
特に 巷では人気があるらしい ロシア問題担当の I氏 が登場した場合,解説の内容以前に話し方で 遠慮させてもらっています。
解説委員による台本ができているなら,フリートークが真面にできない解説委員が顔を出す必要はなく,アナウンサー一人で充分です。
それに比べ,例えば 「ひるおび」で,恵さんが 一般市民感覚で知りたいことを質問し,専門家が答え,その答えに対して更に確認・質問する方が好感が持てます。
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コメント
リタイアして 時間はたっぷりあるのですが,それでも 論点がずれた,あるいは 論点が不明な長い話に付き合うのはつらいものです。
投稿: 管理人 | 2014年10月 9日 (木) 10時54分
リタイアして自治会の担当になった時にしこたま感じました。会社レベルでは話も感情も共感できないし、常識レベルが大いに異なる方が沢山いらっしゃることを。
投稿: hirosuke | 2014年10月 9日 (木) 07時13分