山陽新幹線 開業40周年で思い出すこと。
3月10日,山陽新幹線 開業40周年を報道していました。
1975年(昭和50年),岡山ー博多間 約1,100kmの新幹線が開業しました。
その3年前,1972年3月の新大阪ー岡山間の開業,さらに博多までの延長が計画されていた頃の国鉄のキャッチ・コピーは 「ひかりは西へ」でした。
1972年に就職して 広島県呉市に配属された私は,1週間の東京での入社式とオリエンテーションを済ませた後の土曜日の朝(週休2日制がこの年から開始された),東京駅から新幹線で西に向かいました。
4時間(?)かかって できたばかりの新幹線終着駅・岡山に到着,山陽本線に乗り換えて更に西に向かい 三原で下車しました。
三原で呉線に乗り換え,瀬戸内海を左手に眺めながら 1時間半,やっと夕方に呉に到着しました。
呉市の独身寮で生活を始めて 岡山ー博多間の新幹線が開業するまでの3年間,北九州への帰省には苦労しました。
会社には正月,ゴールデン・ウィーク,夏休み(or 盆休み)の3回の長期休暇(最長は9日間)があり,長期休暇期間中(初日と最終日を除く)は 寮の食堂が閉鎖されました。寮生用の調理場所がない寮のため,ここでの生活が ほぼ不可能となり,旅行に出かけるか実家に戻る必要がありました。
呉線による 呉ー広島間は現在も同じですが,広島ー小倉間は 「特急」(名前が思い出せない)しかなく,約3時間かかりました。この時代,正月,ゴールデン・ウィーク,盆の列車の混み方は 現在の比ではなく,自由席で3時間 立って移動するのは若かったといえ苦痛でした。
と,なれば予め指定席券を購入することになりますが,この購入が又,大変でした。
当時,指定席券の発券は コンピュータがなかったのか,あってもデータ・サーバー容量が小さかったのか,まだ民営化されてない国鉄のサービス精神が欠如していたのか,1週間前からで,そのせいもあってか 駅の「みどりの窓口」(当時のその名前かどうか不確か)の行列は異常でした。
繁忙期の指定席券を買うのに 2,3時間 並ぶのは普通でした。
そして,ある時,考えました。
「指定席券を買うのに3時間立って並ぶのと,3時間 特急の通路に立っているのは同じことで,指定席券を買うのに並ぶ 3時間は無駄な時間である。」という結論に至り,並んで指定席券を買うのを止めました。
岡山ー博多間の新幹線が開業して,広島ー小倉間が1時間ちょっととなり,指定席券を買うことは ますます少なくなりました。
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