記憶に残る昭和の外国人プロレスラー
5月2日付け 朝日新聞・土曜版 「be」に 「記憶に残る昭和のプロレスラー」という記事があり,20位+7人の名前がありました。
選出は 「朝日新聞デジタル会員に登録されている方を対象にウェブサイトで4月上旬にアンケートをとった。回答者数は1378人。昭和の日本プロレス界に参戦した外国人プロレスラーで,知名度の高い55人のリストから,もう一度見たいと思う人名を答えてもらった。」とありました。
1位:アブドーラ・ザ・ブッチャー,2位:ザ・デストロイヤー,3位:スタン・ハンセン,4位:ルー・テーズ,5位:アンドレ・ザ・ジャイアンツ とお馴染み(?)の名前が20位まで並び,番外の7人を加えて 27人が挙がっていましたが,私にとって懐かしいレスラー 3人の名前がありませんでした。
そもそも リストアップされた55人の中に その3人がいたかどうか不明です。
私にとって 最も記憶に残る昭和のプロレスラーは 「ドン・レオ・ジョナサン」と 「ジョニー・バレンド」と 「スカイ・ハイ・リー」の3人です。
この3人は 1958年(昭和33年)に揃って来日し,三菱ダイアモンド・アワー「プロレス中継」で力道山以下日本人レスラーとの対戦が放映されました。
ちょうど 我が家にテレビが来たばかりの時期で,熱中して観ました。小学4年生でした。
中学生以降,ほとんどプロレスを見ることはなく,せいぜい 1980年代に 「アンドレ・ザ・ジャイアンツ」や「(初代) タイガー・マスク」の噂を聞いて見たくらいでした。
記憶に残る3人とはー
ドン・レオ・ジョナサン(‘Don Leo Jonathan’,1931~ ) 6’6”(198cm,日本語版Wikipediaでは 196cm),285~340 lb(129~154kg,日本語版Wikipediaでは 「全盛時 140kg」)。
日本では「モルモンの暗殺者」と呼ばれたとありますが,米国では 単に‘The Mormon Giant’です。
巨体にも拘らず技もあって,強かった,という印象が残っています。
ジョニー・バレンド(‘Johnny Barend’,1929~ ) 6’1”(185cm,日本語版Wikipediaでは 178cm),230lb(104kg,日本語版Wikipediaでは 115kg)。
子供の頃は 「ジャニー・バレント」 と思っていました。
日本対アメリカの 6人タッグマッチの場合は,アメリカ・チームでしたが,時折り,日本チームのメンバーでタッグ・マッチに参加していました。
英語版Wikipediaには ‘Barend usually played the part of the “heel” or bad guy.’とありますが,日本では アマチュア・レスリング出身で技がある‘Babyface’(善玉)としてリングに上がっていました。
スカイ・ハイ・リー (‘Sky Hi Lee’,1921~1973 or 1974)
6’8”(203cm),300 lb (140 kg)。
記憶にあるスカイ・ハイ・リーは長髪かつ金髪(白黒TVなので勝手な思い込み)だったのですが,探し当てた写真は全て短髪,黒髪でした。
技はなく(?),人間離れした異形で売っていました。
試合前にウィスキーをがぶ飲みするなど酒浸り,初来日して熱燗の日本酒を飲んで胃壁を覆っていた脂(?)が熱で溶けてアルコールが一気に吸収されて倒れた,などという話がありました。(この話は アンドレ・ザ・ジャイアンツ?)
金曜夜の試合中継前日に来日外人プロレスラー3人を紹介するTV番組がありました。
この番組で 彼の背中にダーツの矢を投げて刺すというデモンストレーションをやろうとしましたが,アナウンサーかゲストが躊躇したので,一緒に出演していた日本人プロレスラーの誰か(吉村 or 豊登?)が投げて 見事,背中に刺さったことなどを覚えています。
57年経ちました。
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