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2015年8月10日 (月)

1945年8月9日,小倉上空が晴れていたらー

1945年8月9日早朝,テニヤン島を,広島型原爆の1.5倍の威力を持つ 「ファットマン」を搭載して離陸したB29が,10時前,第1目標の「小倉造兵廠および市街地」上空に達した後,視界不良で目標点の目視確認に失敗し,第二目標の長崎に向かいました。

視界不良で爆撃航程を繰り返したため,残燃料に余裕がなくなったこと,高射砲からの対空攻撃が激しくなったこと,芦屋基地および築城基地から迎撃戦闘機が緊急発進したことなどが直接理由と言われています。
視界不良については,前日の八幡市空襲の残煙 もしくは 朝靄のためと言われていますが,広島への原爆投下の情報を聞いていた八幡製鉄所の従業員が,爆撃機の少数機編隊が北上している報を聞き,新型爆弾を警戒して 「コールタールを燃やして煙幕を張った」との証言もあるようです。

この日,私の母親は恐らく 現北九州市内にいたと思われます。
投下目標地点から数キロ離れていましたが,原爆が投下された場合,どうなっていたか,その3年後,私が生まれたかどうか分りません。

父親は 宮崎で壕を掘っていたとのことです。

戦争について 両親から多くを聞くことはありませんでしたが,記憶に残る話はいくつかあります。

父親は 徴兵検査を受ける何年か前に大病を患っていたせいかどうか,身長170cmに対して体重 50kgに満たず,「丙種」合格でした。
そのためか,年齢のためか,戦況が激しくなっても召集されず(本人は 「この戦争に行かなければ日本男児として恥ずかしい」と召集を待っていたという話もある。),やっと召集令状が来たときは南方は既に連合軍に抑えられていたため国内での兵役に就きました。

父親の話 「戦争末期に召集された者は,丙種合格者ばかりで,身体か,教育に問題がある者がほとんどだった。新兵教育で 銃の各部名称(例えば 照星,照門,撃針など)を覚えるのに機能を示す漢字が分らず,音だけで覚えなければならないので苦労する者が多かった。その人たちを助けてキツイことは替わってもらっていた。」

母親の話 「面会の前に来た手紙に 『下駄を持って来てくれ』とあった。兵隊に行って(?)下駄が何故要るのか,よく分らないまま持って行って,『下駄を何に使うんですか?』と訊いたら 『風呂上りに履くつもり』と答えた。」

父親の話 「本土決戦が近いということで 宮崎で壕を掘っていて終戦を迎えた。敗戦となっても しばらく除隊とならず,食糧が不足したので近くの川に入って魚を採っていた。そのとき,どこからか現れた年寄りが叫んだ。『鴻池の坊ちゃんでもあるまいに,陛下からお預かりした軍靴のまま川に入るとは何事か!』」
少なくとも明治以降の大財閥に「鴻池」は 既に入ってないと思われますが,「鴻池の坊ちゃんでもあるまいに」には 驚いたそうです。
どう対応したかは聞き漏らしましたが,恐らく 無視したでしょう。

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