« 結んだ「おみくじ」ではなく 「コブシ」の花。 | トップページ | 桜満開で 近所を散歩。 »

2016年4月 2日 (土)

北九州市で,「一本松」と 「若草山」を探したが・・・。

3月末日,北九州市の施設にいる母親を訪ね,翌日,ほぼ満開の桜を眺めながら子供の頃(高校卒業まで),歩き回った場所を歩いてみました。

まともに歩くのは ほぼ50年ぶりで,景色の変貌を楽しみました。

Img_0156
Img_0155Img_0154

戸畑区夜宮公園の戦没者慰霊搭です。
高校卒業アルバムのクラス集合写真を,校内で撮るのは面白くないとのクラス全員(ほぼ)の意見で,ここまで出かけて撮りました。
当時,桜の木の記憶はないし,これほど大きな広場はありませんでした。階段も立派です。

さらに歩いて 戸畑バイパスを越え,金比羅山に向かいました。

金比羅山の北側に 「一本松」と呼ばれた小高い丘があったのですが,変わりすぎて どこか 「一本松」だったかわかりませんでした。
「一本松」は中学生の頃,雪が降った時の 「雪中行軍」(昭和30年代,このような言葉が学校行事として残っていました。)の目的地でした。

Img_0157Img_0159

おそらく この辺りだったと思います。

Img_0162
金比羅山(写真右側)には登らず,かつての面影のない整備された「金比羅池」の周りを歩きました。
この池を 子供の頃は 「新池」と呼んでいました。
池の向こうに見えるのは 「北九州市立総合体育館」(私が福岡県を離れた後,1973年竣工)のようです。
体育館が建っている丘を 子供の頃は「若草山」と呼んでいた記憶があります。
木は生えてなく,草だけのなだらかな丘でした。
もともと 北九州五市が合併し(1963年),北九州市となるとき 市庁舎建設が予定された地帯です。当時,五市のうち 面積・人口の割に,大企業 -八幡製鐵,日本水産,明治製菓,東洋製缶,旭硝子,日立金属などー が多く,その税収から最も裕福であり,唯一の国立大学があった戸畑市は 市庁舎の場所をこの場所にすることを合併条件として挙げましたが,ほぼ騙された形で小倉に市庁舎が出来たことで,今日の戸畑の衰退(合併時の人口 11万人弱が現在 6万人弱)があるとの意見があります。私の意見ですが ・・・。

前日乗った,地元育ち,ほぼ同年齢と思われるのタクシー運転手に訊いても 「若草山」を知らないと言うので,付近を散歩していた高齢者 6,7人に,怪しい恰好で,突然話しかけて警戒されながら,尋ねましたが 誰一人 「若草山」は聞いたことがないとのことで 不安になりました。私が行った高校の「お別れ遠足(全学年による年度末遠足)」は 「若草山」に決まっていた記憶があります。
(どなたか 「若草山」を知っている方,教えて戴きたい。もしくは確認お願いしたい。ネットで検索しても1件もヒットしない。)

Img_0166_2この写真は 「金比羅池」の排水口(北側)です。
現在は,ここから流れ出た水は しばらく暗渠を通り 戸畑区と小倉区の区境の 「境川」として現れます。
昔は,暗渠部はなく,池から かなりの傾斜を流れ落ちていて,その下で ドジョウを捕ったりしていました。

出遭って尋ねた人が 誰も知らなかった 「一本松」と 「若草山」で,50年の年月を感じました。
地元で育った人は他所に行き,今住んでいる人の多くは成人後 他所から来た,とも考えられます。

九州からの帰り,駅までのタクシーの運転手が 偶々,同じ小学校の同学年,2クラス隣だったことが分り,すぐに 「一本松」と「若草山」を訊きましたが 彼も,どちらも知りませんでした。

高々 50年ほどで,かつての自然に近い地形・風景に因んだ地名(通称)が,人間の手が加えられ,整備されるにつれて忘れ去られることに,大袈裟に言えば この世の無常を感じました。

|

« 結んだ「おみくじ」ではなく 「コブシ」の花。 | トップページ | 桜満開で 近所を散歩。 »

散歩・風景」カテゴリの記事

コメント

はじめまして、若草山で検索していてこちらのブログを拝見致しました。私の幼い頃(32、3年前)に若草山とは牧山にある都島展望公園のことを言っていました。もしかしたら何ヵ所かそのような通称があったのかと思います。当時は初音保育所の園児でした。金比羅池のボート乗り場で青のりのついた煎餅をよく買っていました、確か千坊にある鈴木?というお店の煎餅でした。戸畑の景色が少しずつ変わっていくのは寂しいです。

投稿: 南 | 2020年1月 5日 (日) 08時46分

岩ケ鼻公園の市民プールは私の高校生時代,既に存在し,その南の戸畑バイパスを越えて「一本松」に登った記憶があり,もっとも可能性があるのは 現在の「金比羅キャンプ場」。
但し,現在,木が茂っていて周りの景色が見えず,昔,見下ろした風景の記憶で同じ場所かどうかを確認できません。
「若草山」の名前が存在したことを確認できて安心しました。

投稿: 管理人 | 2016年4月 2日 (土) 16時48分

一本松は赤い地面の大地の上に松?の生えた盛土状の小山があった。地名からいって今の岩ケ鼻公園あたり?削平されてよくわからんが、金毘羅公園の北側のキャンプ地では金比羅山に近すぎる感じ?それにしても金比羅山のほぼ下を新幹線が通っているのに驚いた。

投稿: hirosuke | 2016年4月 2日 (土) 11時54分

貴君の記憶で正しいと思います。一本松はもしかしたら三本松だったかもしれませんが、小生との学年の差で松が二本枯れたか当方の記憶違いか?当時、牛も飼われていた。雪中行軍、楽しいような厳しいような。私も散策したが今や場所ははっきりしなかった。若草山は遠足の定番の場所でした。

投稿: hirosuke | 2016年4月 2日 (土) 09時55分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 結んだ「おみくじ」ではなく 「コブシ」の花。 | トップページ | 桜満開で 近所を散歩。 »