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2016年8月 6日 (土)

渥美清 没後20年,NHK BS でー

Img_07198月3日 放送,NHK BSプレミアム の “アナザーストーリーズ ~運命の分岐点~” で 『映画 “男はつらいよ”~寅さん誕生 知られざるドラマ~』 を観ました。

映画 「男はつらいよ」 に関わる裏話が,「男はつらいよ」と 渥美清さん(1928 ~ 1996)を知る人々(山田洋二監督を筆頭に,松竹宣伝部,フジテレビの関係者など)のインタビューを挟みながら紹介されました。

興味深かったのは 映画「男はつらいよ」の最終作(第48作) 「寅次郎 紅の花」(平成7年-1995年12月公開)の撮影中,NHKが 渥美清自身の許可を得て ドキュメント番組を撮影していたことで,これは 高倉健さん主演の 「あなたへ」(2012)の撮影中に NHKが 「プロフェッショナル/仕事の流儀」の 「高倉健インタビュースペシャル」での密着撮影と重なり,偶然にも 二人の遺作撮影現場をNHKが取材していました。(NHKの番組2本とも観ました。)

Img_0720映画 「男はつらいよ」は1969年(昭和44年)から 1995年(平成7年)まで作られましたが,映画化される直前,1968年8月から1969年3月にかけて 2クール,フジテレビで作られ放映されていました。

その前に,渥美清さんは 同じフジテレビの 「おもろい夫婦」(1966~1968)に出ており,視聴率 30%を誇っていました。

Img_0722次の作品として 渥美清さんが 「夫婦もの」を嫌ったため,フジテレビの企画担当は 苦労して 「『愚兄賢妹』+『無法松・マドンナ』」の企画を考え,その脚本を松竹の山田洋二監督に頼みましたが,一度 断られました。
更に 依頼を続け 渥美清さんと話をしたいという山田監督の要望により 渥美さんは山田監督に会いに行き,2日間に亘り 話をしたとのことです。

この席で 渥美さんが,生まれ育った上野付近で覚えた テキヤの数々の口上を披露し,企画に則った設定で,主人公を 「テキヤ」にすることが決まったそうです。
これが 「車寅次郎」誕生のいきさつでした。

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第1話の放送は 1968年8月3日,木曜日の午後10時から 45分間の放送でした。

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そして 翌1969年3月27日,第26話で最終回となりました。

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Img_0729最終回に,フジテレビも 山田監督も,寅さんを殺して終わらすしかないと一致し,ハブに咬まれて死にます。

放送後,フジテレビの電話は鳴り続け,その内容は「何故 殺すんだ。」という 若い男からのクレームが大多数で,中には (泣きながら)「xx 組のモノだが,今から放送局に行くから待っておれ。」というものもあって 担当者は慌てて退社した,という話もありました。

そして 松竹での映画化が決まり,フジテレビでの設定,小道具までが引き継がれました。

私は 映画館で 「男はつらいよ」を観た記憶はありません。
(一度 併映の作品を観るときに観たことがあるかも知れない。)

しかし,テレビの 「男はつらいよ」を観た記憶はあります。
放送時,大学1年生で,TVのない生活をしていたので,観たのは実家に帰っていた夏休み,冬休み,春休みの限られた回のみだったと思います。

印象に残っているのは (恐らく)セールスマンに扮した金内 吉男さん(1933~1992,TV ドラマ「怪傑ゾロ」のガイ・ウイリアムスの吹き替えなどで有名)との絡みで,渥美さんの台詞(アドリブ?)が面白すぎて,金内さんが笑いを堪えるのに必死で台詞がまともに言えなかったシーンでした。
当時,まだ白黒放送でしたが,既に生放送からビデオに変わっていたにも拘らず,NG-撮り直しにしなかったのが不思議でした。

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