見出しに見る「勘違い」(その230)
「滅びる運命だった1860年代の 『ヘル朝鮮』 …今も韓国は」/「【噴水台】国が傾くとき=韓国」 2016/11/23 中央日報・日本語版
‘ドイツ商人エルンスト・オッペルト(1832~1903)は 1860年代に3回朝鮮を訪問した時に見聞したことを本(『禁断の国 朝鮮への船旅』)に残した。
彼は本で 既に接した中国・日本と朝鮮を比較したりもしたが,「朝鮮人の産業技術と技量はアジアの他の民族に比べてはるかに劣る。こうなった決定的理由は抑圧的政治体制に起因する。・・・ 現在の政治体制が変わらなければいかなる発展も成し遂げられない」と酷評した。
彼は「朝鮮には寵臣(特に寵愛を受ける臣下)という興味深い存在があり彼らの影響力は王に匹敵する」 として特定勢力の国政壟断を指摘した。・・・ オッペルトは「諫官(王に直言し批判を加える存在と本に描写されている)という官職は単に名目上だけで存在する」と書いた。彼が見たものは40余年後に滅びる運命に置かれた「ヘル朝鮮」だった。
チョン・ビョンソク前コリアテック総長は10月に出した著書 『朝鮮はなぜ崩れたのか』で両班(ヤンバン)の特権独占,権威的行政,搾取的租税制度を朝鮮末期の核心問題と指摘した。最近金鍾仁 議員が雑誌のインタビューで官僚社会の硬直性,大企業の貪欲,政界の無能を国家危機の根本理由に挙げたのと似た脈絡だ。
チョン前総長は「科挙制度は ・・・ 試験が過度に観念的な哲学中心であり,実用的な教育ができなかったことで人的資源が浪費される結果を招いた」と診断した。彼は倭乱当時に日本に連れて行かれた「被虜人」のうち,平民・賎民はほとんどが朝鮮に戻ることを嫌がったと説明し,日本では技術者として待遇され,働ける機会を得て安定した生活が可能だったためだと分析した。「蔑視され衣食住の保障もない朝鮮にあえて戻る理由はなかった」ということだった。実際に10万人前後と推定される倭乱被虜人のうち帰還した人は数千人にすぎなかった。
チョン前総長は本のあとがきでこのように問いかける。「国家存亡の危機を迎えても責任を問うたり反省をせず根本的革新をできなかった朝鮮の伝統はいまでも続いているということなのだろうか」。 イ・サンオン社会2部副デスク’と書いています。
「倭乱」とは 「文禄・慶長の役」です。
現在の在日韓国人が かつての「被虜人」と同じということはないでしょうが,恩を認識できない民族であり,反省しない朝鮮の伝統は よく分っているので,韓国が亡びつつあっても日本が手を差し伸べることは二度とないものと知っておくことが必要です。
「『カネの力で自己主張』 日本がユネスコ分担金支払い拒否」 2016/11/26 朝鮮日報・日本語版
拒否しているのではなく 「不透明で,政治を持ち込む異常な選考制度の改善が実行されるまで保留」が正しい表現です。
分担金額が1位,2位のアメリカ(22%),日本(10%)が支払いを保留しなければならない状態では,ユネスコも少しは反省するかも知れません。
他国のことより自国のことを真面目に考えましょう。
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