TVで,初めてポルトガル,セトゥーバルを見た。
3月8日,NHK BSプレミアム 「2度目のリスボン」で リスボンの南東の町,セトゥーバル(Setubal)が紹介されていました。
旅番組のポルトガルで紹介されるのは,リスボン,ポルト,コインブラが主で,セトゥーバルが紹介されたのは記憶に残る限り初めてです。
セトゥーバルは 私の初めての海外出張(=海外旅行)の目的地で,思い出のある町です。
39年前の1978年5月,入社6年目の私は 本来なら開港している予定だった成田空港ではなく 羽田空港からアンカレッジ経由ロンドン行の便で初めての海外一人旅(出張)に発ちました。
ソ連時代は 大圏コース(最短距離)であるソ連領空を飛べなかたため 給油が必要で,ヨーロッパ便はアンカレッジで給油していました。
日本からリスボン直行便がないのは現在も同様です。
成田空港は成田空港反対派による管制塔占拠,計器破壊等により開港が遅れていました。
ロンドン・ヒースロー空港で何とか ドメスティック・ターミナル(ヨーロッパ域内への便はここから)に移動,ブリティッシュ・エアウエイ便に乗り換えてリスボンに向かいました。
ここで 日本人は私一人になりました。
‘Air Ticket’と ‘Boarding Pass’の違いも判らない心細い旅でした。
ーで,番組では
リスボンから車で1時間ほどの セトゥーバルの市場が 「ポルトガルで一番品揃えがよく,安い。リスボンから買い物に行く人もいる。」と言うおじさんの勧めで セトゥーバルに行きます。
市場は 1876年開設の ‘Mercado do Livramento’です。
ポルトガル語が分らないので ‘Livramento’が 商品の何かを指しているのか,地名なのか,分りません。
番組で紹介されたのは 残念ながら,海岸の風景が少しと,市場内の様子だけでした。
威勢のいい魚屋のおばさんがいました。
私は この町に2週間以上滞在し,尚且つ,最初の1週間は 客の都合で 仕事ができなかったので,一人で町中を歩き回り,飽きてリスボンに遊びに行ったりしていたのですが,不思議なことに この市場を訪れた記憶がありません。
地図(Google Earth)で 位置を確認するとー
右上の円が市場で,左下の円が 泊まっていたホテルです。
市場は 緑が多い大通りに面し,何度も歩いた気がします。
ホテルから町への降りる道は人家も人通りもなく,怖かったので 夜はタクシーに乗りましたが,昼間は歩いていました。
泊まったのは 右のように典型的西洋の城の形であり,そのとおり,丘の上に建つ城跡を利用したホテルでした。(-と言っても 泊まっているときは このような外形をしているとは気が付かなかった。)
地図上では ‘Setubal Historic Hotel / Pousada Setubal’と示されています。
私が泊まったときは シンプルに ‘Pousada Sao Filipe’でした。かつて 「サン・フィリッペ城」 だったのでしょう。
下の色褪せた写真は,当時 撮影した ホテルの様子で,最初の写真に,丘の上の城跡のホテルが写っています。
最後の写真は,ホテル(城)のエントランスで 石落としの開口があります。
今年 放送された 「関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅」 のポルトガル編で,関口さんが 「この国には 大人を感じる。」と言っていました。
ポルトガル人が,かつての栄光の時代を懐かしむことなく,しかし,しっかりした文化の基礎と誇りを持ち,淡々と,そして 明るく生きているということでしょうか。
このときの出張は
往き : (羽田)JAL → ロンドン乗り換え → BA(リスボン)
復り : (リスボン)KLM → アムステルダム乗り換え → KLM (成田)でした。
帰国時,成田空港は開港していました。
20歳代に行ったときは 食べ物に,さほど感動しませんでしたが,今回の放送では 各種 食べたくなる料理の紹介があって,元気なうちに もう一度 訪れたくなりました。
(参考)
‘POUSADA’(ポザーダ)とは :
城や修道院,貴族の館などを改修したり,景勝地に地方特有の建築様式を生かして建てられたポルトガル特有の宿泊施設で,1942年に国の援助により最初のポザーダがオープンして以来,ポルトガル全土に展開。
現在では全29軒(2014年3月時点)を数える。当初は国営だったが,現在は ‘GRUPO PESTANA’が運営するホテルチェーンとなっている。
ポザーダは,それ自体が優れた観光素材として評価を得ている。歴史的な建造物を利用したポザーダでも近代的な設備を整えており,新しく建築されたポザーダでもポルトガルの伝統的な建築芸術が活かされているところが魅力。
次の4タイプに分けられる。
‘HISTORIC POUSADA’,‘HISTORIC DESIGN POUSADA’,‘NATURE POUSADA’,‘CHARM POUSADA’
私が泊まったのは ‘HISTORIC POUSADA’で 当時は国営だったのか,その性格から,長期滞在は困難で,1週間経ったとき,町なかのホテルに移ってくれと言われました。
ビデ(洗濯に使っていた。洗剤と一緒につけたままにしていたので掃除スタッフは驚いたと思う。正しい使い方を知らないわけではなかった。)があるのにシャワーだけの部屋でしたが,昼までホテル内で仕事をしていて 空腹になったとき,ダイニング・ルームは閉まっているので,石垣の上で雑談をしていた裸足の女性達に 何か食べ物はないかというと,シンプルなビーフ・サンドイッチを作ってもらったり,朝食は パンと カフェ・オ・レだけの完全なコンティネンタル・スタイルで淋しかったので シンプル・オムレッツを付けてくれと頼んだら,それ以来 黙っていてもサービスしてくれたり,家庭的で 気に入っていたので,何とか頼み込んで泊めてもらいました。
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