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2017年7月30日 (日)

呉市の「戦艦 大和」 マンホールの蓋

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ローカル・テレビ放送で 「7月28日,観光振興を目的に 『社団法人・街のフタ協会』が大和をモチーフとしたマンホール(の蓋)を作成するプロジェクトを行い,賛同した地元企業8社が呉市にマンホール(の蓋)8種類を贈呈しました。戦艦 『大和』 の竣工時から最後の出撃までが描かれています。
呉市の『美術館通り』や 旧海軍墓地のある長迫公園付近に午後から設置される予定です。」 との報道がありました。
(*文中 ‘(の蓋)’は管理者補記。‘マンホール’は あくまで 「孔」なので贈呈するわけがない。「マンホール」と 「マンホールの蓋」を混同しているが,「マンホール」≠「マンホールの蓋」。メディアのこのような誤った言葉の遣い方は気になる以上に 不愉快になります。)

その日の午後,自宅近くの 長迫公園までに行くと,長迫公園をやや過ぎた本通り寄り,長迫小学校の前辺りで 2枚の蓋を見つけました。

1枚目の写真に,撮影者の スニーカー ‘Jack Purcell’の爪先が入りました。

この蓋に描かれた 艦尾からの戦艦大和のイラストは珍しく,カタパルトがそれとは理解しにくいと言えます。

Img_2675翌29日,「美術館通り」を歩いて マンホールの蓋を見ました。

この通りに 8枚の 戦艦大和をデザインした蓋がありました。
前日の2枚を加えると 10枚になるので,おそらく この通りの 8枚のうちの2枚は 以前に設置されたものと思われます。

下に8枚の蓋を呉駅側から国立病院に向かう順番に示します。

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最後の3枚の上甲板平面配置図は興味深いものです。

竣工時(1941年)にあった煙突横上甲板の15.5cm 3連装副砲が, 「捷一号」作戦時(1944年10月)には撤去されて12.7cm 高角砲が左右舷各3基(6門),および25mm,13mm機銃が増設されており,最期の出撃となった 「菊水一号」作戦(1945年4月)時には,更に防空兵装(機銃)が増設されているのがよく分ります。いくら増やしても 護衛戦闘機なしに 自身のみで戦闘爆撃機からの攻撃から身を守ることは適いませんでした。

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