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2017年8月 4日 (金)

‘Take Ivy’と ‘VAN’ などに関する 2015年の ‘The New Yorker’の記事(その1)

The New Yorker’(newyorker.com)が December 1,2015 付けで ‘Stalking the Wild Madras Wearers of the Ivy League ’(アイヴィーリーグのワイルド・マドラス着用者を追いかけて)の見出しの記事を掲載していました。

写真集 ‘Take Ivy’と アパレル・ブランド ‘VAN ジャケット’を中心に 日本の1960年代のファッションと現在のファッションについて書いています。

半世紀前の話で,団塊世代にとっては懐かしい内容であり,初めて知ることもあって興味深い記事なので読んでみました。

長文なので 2回に分けて 訳文のみ紹介します。
(訳文に疑問があれば原文を確認してください)

翻訳転載。(その1)
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Marxtakeivy
20085月,スタイル・ブロガー マイケル・ウィリアムス(Michael Williams)は,それほど知られてなかった日本の写真集 “Take Ivy” を スキャンして数十枚の写真を彼のウェブサイト A Continuous Lean(継続的な傾き)に掲示した。写真は,アイヴィーリーグ・キャンパスライフの黄金期を撮ったもので-若いアメリカ人学生が中庭(quad)を歩いて横切るところ,ダイニング・ホールでホット・ドッグを食べているところ,図書館で最終試験の勉強をしているところなどである。最も肝心なのは,学生たちが クラシック・アイヴィーリーグ・スタイルの頂点の装いをしていたことである : マドラスの綿ブレザー,オックスフォードのボタンダウンシャツ,カーキ色のバミューダ・パンツ そして “patinaed”(緑青色の?)ペニーローファーなど。

CoverBack

写真は拡散し,2年後,ブルックリンの出版社パワーハウス(powerHouse)が,初の英語版 “Take Ivy” を出版した。この本は,世界で 5万部売れ,ネオ・アイヴィー・スタイル(neo-Ivy style)ウェイブの先導的役割を果たした。ラルフ・ローレンと J.クルーの店では,棚に 誇らしげに “Take Ivy” をディスプレイする一方,雑誌の編集者や小売店は,写真に写っている服装そのものに関心を示した。しかし,“Take Ivy” の熱狂の頂点にあっても,正確には,キャンパス・スタイルの写真コレクションを撮るために,1965年に日本人グループがアイヴィーリーグの大学を何故,訪問したかに疑問を持つ人は人はほとんどいなかった。

たぶん,これは,アメリカの風物録Americana)に対する日本人の敬意を予想したからであろう。日本のファッションの複合企業オンワード樫山は,1986年,クラシックなアイヴィー・ブランド J.Press を買い取り,アンティークな端耳(selvedge)のデニムでヴィンテージ・ジーンズを最初に複製した日本の会社である。実際のところ, Take Ivyは,日本における男の伝統的服装に挑戦する1960年代のリスクのあるビジネス・ヴェンチャーの過激な試みだった。

日本のファッションは,コム・デ・ギャルソンやアンダーカバーのような先見性のあるブランドで今日は知られているが,50年前に,オリジナルの Take Ivyが東京で店頭に並んだ時,東京はファッションの世界的潮流の中心からはるか遠くにあった。それは警察(law enforcement)の問題になることですらあった。

19649月の2つの蒸し暑い土曜日の夜,私服の刑事は,みゆき族として知られていたティーンエイジャーのグループを補導するため,東京の高級街,銀座付近を急襲した。若い女性は,ハンカチを頭に巻いて,後ろリボンの長い夏ドレスを身に着けていた。しかし,若い男たちの身なりは,以前には ほとんどの日本人が見たことがなかったアイテムだった : 厚く 皺のあるオックスフォード地から作られた,襟にボタンの付いたシャツ,3ボタンのマドラス・ジャケット,短めのチノパンツ,複雑なブローグのある革靴(ウィングティップ)。この新しい流行スタイルは 英語 Ivyから「アイビー」 と呼ばれた。

アメリカ人には,これらの日本のティーンは,身だしなみの良い,プリンストン大学のサマースクールにおける学生のように見えたと思える。しかし,東京の警察は,この適用(reference)を欠き(→そうは思わず),みゆき族の服装を伝統的な慣習への反逆と考えた。高校生と大学生は,落ち着いた黒のウール学生服を着,卒業後は同じように落ち着いたスーツを着て生活するものと考えられていた。この国のほとんどの人は,あえて暗いブルーのスーツ,白いシャツ,暗いタイ,そしてプレーンな黒い靴を越えることはなかった。

反省のない反抗者だけが アロハ・シャツやマッカーサー・サングラス のようなアメリカ人の格好を試していた。東京都当局は,10代の若者の アイヴィー服が,その年に開催されるオリンピックの間に日本を訪問する外国人観光客の気分を害することを心配した - 第二次世界大戦後,国として 初めてのグローバルなスポットライトを浴びる最初の瞬間を台無しにするマドラス綿の脅威。9月の急襲時,警察は,通常、政治的な抗議者を拘束したり,彼らを地方刑務所に搬送するのに使用される装甲警察バスを,みゆき族に対して,隠されたタバコや他の禁制品を調べ 違反者を乗せるのに使った。

その当時,警察は みゆき族のメンバーが その数年後に日本を席巻するファッションの兆しであることに気が付いてなかった。彼らの 「アイヴィー」服は VANジャケットと呼ばれるブランドのものだった。「VANジャケット」の創立者 石津謙介は日本で初めて 若者向けに特定した衣料品を作った。
彼は,紳士服市場で既製服を売ろうとして 10年間苦労したが,ある程度の年齢の裕福な人は,仕立て屋からの購入を変えようとしなかった。石津は,代わりに,より若い顧客をターゲットにすると決めたが,その時代の傾向は,攻撃的なハリウッドの1つボタン・ジャケットスタイルにしても ヨーロッパのV字型のシルエットにしても 大学生には不吉に見えたsinister on the backs of college students)。

1959年の世界旅行で 石津は,ニューヨークからプリンストン大学に行く列車で,日本の若者への完璧な恰好を見つけた。
学生の ツイードジャケット,ストライプ・タイ,オックスフォード・ボタンダウンシャツ,そしてカーキ色のパンツは,大人のちゃんとした格好だが,若々しい洒落た雰囲気があった。アイヴィー服は,戦後の落ち込んだ日本の消費者のためのよい投資でもあった:丈夫であること,機能的であること,伝統的であること,および 清潔に保ち易い自然素材だった。

2年後,石津は 26歳の息子 祥介を企画部の部長に指名し,アイヴィーにインスパイアされた衣服の生産を開始する仕事を課した。祥介はアイヴィーについての知識がほとんどなかったので,彼の友人であり,日本での 最も強烈なアイヴィー・ファンであった 27歳の くろすとしゆき を雇った。1950年代終わりに,くろすは町の洋服店に自身の アイヴィー・スタイル スーツを作らせ,東海岸のプレップ・スタイルを称賛する Traditional Ivy Leaguers クラブを設立していた。

VANジャケットは 1963年に 最初の フル・アイヴィー・ラインの販売を開始した。その1年後,日本で若者向け 週刊ライフスタイル雑誌・平凡パンチが アイヴィー・リーグ・スタイルと VANジャケットを何百万人もの若者に示した。そして,彼らが 新しい VANの服を着て,通りを徘徊し始め,みゆき族が生まれ,警察が苦慮することになった。

19649月の取り締まりの後,VANは,アイヴィーを売るが,日本の全ての人にアイヴィーを説明する必要があるわけではないことに気がついた- 警察バスに入れられる10代の若者の前で 彼らは理解した。日本のアイヴィー・リーグ衣類のイメージを改善する方法をブレーンストーミングしているとき,祥介とくろすは,野心的なアイデアを思い付いた:実際のアイヴィー・リーグ学生の映画を作ること。 くろすは今日,言う。 「アイヴィーのイメージはみゆき族で悪化した。 それで,我々は 銀座にいた子供たちと違って,本当のアイヴィー・リーグの学生たちが,如何にうまく着こなしているかを示したかった。」

しかし,予算は驚くべき額になった。祥介とくろすは,いくつか概算し,8つのアイビー・リーグ大学のキャンパスの映画を作るためには 約1000万円( 現在で 20万ドル)が必要であることに気がついた。幸運にも,VANのボス 石津は,大きくて 大胆なアイデアが何より好きだったので,即座に お金をプロジェクトに割り当てた。

映画を撮るため,祥介と くろすはディレクターとして ソルボンヌ大学で映画を勉強した若い 小沢 協を選び,彼は3人のクルーを連れてきた。彼らは 更に 長谷川・ポール・元をVANの広報部から選んだ。彼はサンタ・バーバラのカリフォルニア大学への留学経験があり,VANで 唯一人,流暢に英語を話せた。
そして 最後に,VANは 同行する スティル写真家として 34歳の林田昭慶を選び,くろすは林田に,映画の邪魔にならない限り,撮りたいものは何でも撮ってくれと告げた。

1965523日,8人のチームは ノースウェスト・オリエント航空でボストンに飛んだ。
機中で 祥介は 鞄の中身を心配していた。映画資金として山ほどの日本円が必要だった。日本の厳しい通貨管理は旅行者の500ドル以上の日本からの持ち出しを禁じていたが,アイヴィー映画はその400倍が必要だった。

(翻訳転載 (その1)了) (その2)につづく。
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Img_2686写真集 “Take Ivy” が発行された 1965年(昭和40年),私は高校2年生でした。

大学に入るまで 服装に大して興味がなかった or 興味に割く(時間的,経済的)余裕がなかったので オリジナル “Take Ivy” は買っておらず,2010年に発行された 復刻・英語版 “Take Ivy” を買いました。

Img_2684Img_2685

Take Ivy” に掲載された写真は,学生時代の4年間(1968年~1972年) 欠かさず読んでいた,同じ婦人画報社の月刊誌 「メンズクラブ」に何度も使われていたので ほとんど覚えています。

尚,1965年,週刊誌「平凡パンチ」は 50円,“Take Ivy” は 500円 でした。
その3年後,実家を離れた大学生の私の食費の予算は 300円/日だったので,当時の “Take Ivy” の500円 は今の物価からすると 2,500円 程度に相当すると思います。

【参考】
いまさらですが,‘Ivy League’とはー Wikipedia では次のように定義しています。

LocationThe Ivy League is a collegiate athletic conference comprising sports teams from eight private institutions of higher education in the Northeastern United States. The conference name is also commonly used to refer to those eight schools as a group beyond the sports context.
The term Ivy League has connotations of academic excellence, selectivity in admissions, and social elitism.

アイビーリーグは 元々,合衆国北東部の私立大学 8校によるスポーツ・リーグ。
それらの8つの大学をスポーツ関係を越えたグループと称するのに一般的にも用いられる。
「アイビーリーグ」の言葉には,アカデミックな優秀さ,入学の難しさ,社会的エリート意識の響きがある。
8つの大学は次のとおり。(in alphabetical order

Brown University         Columbia University
Cornell University        Dartmouth College
Harvard University       the University of Pennsylvania
Princeton University    Yale University

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