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2017年8月 5日 (土)

‘Take Ivy’と ‘VAN’ などに関する 2015年の ‘The New Yorker’の記事(その2)

The New Yorker’(newyorker.com)が December 1,2015 付けで ‘Stalking the Wild Madras Wearers of the Ivy League ’(アイヴィーリーグのワイルド・マドラス着用者を追いかけて)の見出しの記事を掲載していました。

写真集 ‘Take Ivy’と アパレル・ブランド ‘VAN ジャケット’を中心に 日本の1960年代のファッションと現在のファッションなどについて書いています。

半世紀前の,団塊世代にとっては懐かしい内容で,初めて知ることもあって興味深い記事です。

長文なので 2回に分けての訳文紹介の2回目です。
(訳文に疑問があれば原文を確認してください)

翻訳転載。(その2)
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Take_ivy002制作はハーバード大学で始まった。アイヴィー・リーグに関して多くの妄想を抱いていた くろすは,ハーバード大学構内で,彼が想像していた,まさにそのとおりを見ることができると期待していた。
そこで 彼は,学生たちが それらしい恰好their signature look)で現れるのを待った : 3つボタン・ジャケット,尾錠付きパンツ,白のオックスフォード・ボタンダウン・カラー シャツ,レジメンタル・タイ そして ウィング・ティップ。

しかし,月曜の朝,尞から最初に出てきた学生達の姿にがっかりした ー 擦り切れたショーツとくたびれたサンダルをパタパタ鳴らしていた。くろすは考えた,たぶん,彼らは落第者クラスだろう。しかし,次に隣の寮のグループが現れ,彼らも同じくらいだらしなく見えた。くろすは 今も思い出す 「私は 実際,彼らが 想像を超えて ドレスダウンしているのにショックを受けた - 実際,それは絶対的絶望だった。」

Tシャツと カットオフ・パンツの学生の映像では,アイヴィー・スタイルを考え直すことを日本の誰にも納得させられない。彼らが日本を発つ前に,長谷川は,くろすに,「ジャケットとタイは日曜日のチャペル,時折のデート,誰かに印象付けたいとき用のみ。」と言っていたが,くろすは,彼を信じなかった。今や,彼は アメリカのキャンパス・スタイルの誤解によって,明らかにVANの軍資金を浪費していた。

チームは,ついに,記念教会を一杯にする マドラス・ブレザーとカーキ・パンツの小ざっぱりした学生達と,卒業を祝福しているシニアのタキシード姿の集団を見つけた。しかし,どれだけ探しても,くろす と クルーは,VANがイーストコースト・キャンパスの標準的ユニフォームだと全ての人を納得させる,3ボタンのウーステッド・ウールのスーツを着ている学生を一人も見つけることはできなかった。

次の日,ダートマス大学で,広報官は,囲い教授corral professors)と学生が映画の台本シーンを演じる手助けしてくれた。石津謙介にアメリカン・フットボールの映像を撮るように頼まれており,くろすが説明したところ,「今は オフ・シーズン。彼らはボールに触れることさえできなかった。私達がアメリカに対して抱いていた,この過度に楽観的なイメージは,突然ガスが抜け始めた。私達すべては悩んだ,私達に この映画を作れるのだろうか?」

クルー・チームは,それにも拘らず,十分に 映画の一こまを水面上に持ち上げた。この暖かい歓迎を利用して,VANチームは,ハノーバーでの3日間を,学内野球試合,町の周りで自転車に乗る学生,そして 研究所,図書館 およびカフェテリアの内部の撮影をして過ごした 。

ブラウン大学,コロンビア大学 更にエール大学のどこでも,くろす によれば,ほとんどの学生が,たとえ,彼らが気にしているように見えても,流行に全く関心を持たないように行動していた。彼らはスタイリッシュであることを誇っているようではなかった。彼らは 「私は,勉強するために,ここに来ているだけで,何を着るかを気にしない。」 とそっけなく言い, くろすが つんつるてんのhigh-water)綿パンツを穿いたエールの学生に会った時,「ショート・パンツがかっこいいの?」と訊くと 身構えてdefensively) 「そんなことは一度も考えたことがない。洗って縮んだだけ。」と答えた。

制作はプリンストンで終わりになった。彼らが着いた時,学内のソフトボール・トーナメントと,ナッソーホールでは ワイルド・パーティーが開催されていた。そして,それらの成果と共に VANチームは日本に帰国して,ドレスダウンのアメリカの学生の映像を如何に正確に,アイヴィーリーグ・スタイルの長所を示すプロモーションにするかの答えを探そうとした。

VANの人的資源のほとんどが,映画の仕上げに注がれていたとき,出版社の婦人画報社は,林田の写真を元に優れた本が作れることに気づいた。チームは賛同し,キャンパス・ファッションの信条を説明するキャプションとエッセイを書き上げた。しかしながら,予想されたより アメリカ人学生が 何故 カジュアルな服装をしているかを,如何に説明するかのチャレンジは残された。祥介は,ツアー後,雑誌「メンズクラブ」のインタビューで,「日本のアイヴィーは 実際は学生的ではない,日本のアイヴィー・ファンは,よりスタイリッシュである。日本のアイヴィー・ファンは 学生時代に,大人のように アイヴィー・スーツを着る。」と語った。

VANは,アイヴィーリーグの学生たちが 無頓着(nonchalance)を通じて ステータスを示していると理解するようになった。彼らは,カジュアルなアメリカ人学生を,20世紀初頭のバンカラと呼ばれた日本人学生の格好と比較した。当時の日本のエリートである大学生は,意識的に マント,帽子,下駄ばきで,みすぼらしい学生服を着ていた。

プロジェクト名に,くろすは,“Take Ivy” を提案したー デイヴ・ブルーベックのジャズ ヒット曲 “Take Five”を引っかけて,日本語では “Ivy” と “Five”は 漠然と同じような音に聞こえるので。VANの経営陣は,流暢な英語を喋る長谷川の不満 「“Take Ivy” は アメリカ人には全然理解されない」を無視し,くろすは 依然 誇らしげに主張した 「英語を知っている誰も,決してこの名前を思い付かないだろう!」。

1965820日に,VANは東京の赤坂プリンスホテルで 映画 “Take Ivy” を初公開し,販売業者,小売店 そして若いファン 2,000人が観賞した。数百人のティーンが,マドラス,シアサッカー そして オフホワイトのジャケットで来場した。小沢は,フィルムを,キャンパスからの,エネルギッシュなモンタージュとして切り取り,陽気なジャズ・サウンドトラックを被せた。全体で,30分のフィルムは,ほぼドキュメンタリー写真風だったが,台本に基づくシーンもあった : クラスに遅刻した学生,尞でのレコード・プレイヤーの周りでの 痺れるgroovy)ナイト・パーティーなど。

は,週刊誌の10倍の値段で,1965年末に発行された。VANは,小売店を通して売るために,印刷した半分を買い占めた。ほとんどの消費者は本を買わなかったが,小売店とファッション・インサイダーは,古いニューイングランドのキャンパスの荘厳なれんがと石造りの建物を背景に,ブレザーとチノパンツを穿いている,健全で,エリートのアメリカ人のイメージを通じて 「本当の」アイヴィー を見ることができた。

長谷川は言う。「私達は何らかの合法性legitimacy)を提供する必要があった-私達にはアンカーが必要だった。私は “Take Ivy” が,それをするために始められたとを考えた。」 結局,“Take Ivy” はプロモーションに有効に働いた : 小売店はVANに好意的になり,日本のティーン・エイジャーはブランドの,キャンパスにインスパイアされたファッションを買いもとめた。

これらの新しいアイヴィーリーグ衣料の見かけは 又,VANが警察の不満を和らげる助けになった。
VAN
の評判の悪いティーンエイジャー達は,1965年の夏にアイビー族として銀座に戻り,前の年と違って,警察は,この若者の反乱に対して 誰を非難すべきかを正しく知っていた: VANジャケットの石津謙介。怒れる警察と打ち合わせた後,石津と くろすは,彼らのために “Take Ivy” 映画を上映すると決めた。そこで 警察は,銀座での 「ビッグ・アイヴィー 集会」(Big Ivy Meet-Up) を計画しはじめた。

イベントには,約2,000人のアイビー族メンバーが映画を見るために現れ,映画の後,石津謙介はステージに上がり,彼の考えを示した:「アイヴィーは,あなた方が追っているような束の間の流行ではなく,あなた方の父親や祖父からもたらされた尊重すべき伝統であって,ただの衣服ではなく 生き方である。」 そして,彼は核心に触れた:「従って,あなた方は,ただ町を徘徊することはできないはずだ。」

イベントの数日後,アイビー族は 銀座から消え,二度と戻らなかった。VANとの,この成功したパートナーシップにより,日本の警察は,小奇麗なアメリカの若者ファッションを社会的な脅威と見ることを終わりにした。1966年までに,“Take Ivy” キャンペーンは 社会の意識から薄れていった。くろすは 「1965年がアイヴィーのピークだった。1966年,1967年までに,それはまさに過去からの何かのように感じられた。」と説明した。

 1960年代後期,日本では,「モッズ・コンティネンタル・スタイル」と ラフな「ヒッピー・スタイル」が流行してきたー何れも アメリカン・アイヴィーの正反対のスタイルだった。そして, “Take Ivy” で 東海岸の大学キャンパス風景をVANが出版して ほんの数か月後,まさしくそのキャンパスは 「カウンター・カルチャー」によって完全に変わった。学生の小奇麗なボタンダウン・カラー,ノープリーツのカーキ・パンツ および 整えられたヴァイタリス・ヘア(smooth Vitalis hair)は,政治的なスローガンで飾られたTシャツ,ぼろぼろのジーンズ および ぼさぼさの髪unkempt locks)に解体した。

しかし,アイヴィーは何年もの間にわたり,複数回のリバイバルがあったし,日本のファッションの奥深いところで依然 生きている。伝説のデザイナー 高田賢三は,1964年 パリに着いた時,マドラス・ジャケットとカーキ・パンツを身に着けていた。現代のアバン・トラッド(avant-trad)のデザイナー渡辺 淳弥は,ブルックス・ブラザーズと VANジャケットのダブル・ネーム・コラボ製品を愛をこめて生産した。 ユニクロは,創立者 柳井正の父親が かつて山口県で小さな VANショップを経営しており,日本のアイヴィーと起源を共有する。

そして,“Take Ivy” が示すように,日本の雑誌,およびブランドは,記録する誰よりも,この50年間 アイヴィーおよび他のアメリカのスタイルを推進し,再生してきた。日本人はこの分野の主要な構造的優位性を享受した:本質的に外国文化である輸入ファッションを複製するために 参照すべき素材および正確な根拠を得る必要性があったから。

1965年にアメリカ人は,キャンパスの服装の写真をまとめて “Take Ivy”のようなスタイル・ブックを作ることは決して考えず,むしろ ハンバーガー,ハイウェー,またはオークの木の本を作ったであろう。
それでも,今日,日本は アメリカン・スタイルをアーカイブすることへの独占性を失っている。多くのアメリカ人は,“Take Ivy” や 同様なプロジェクトからのインスピレーションを得て,彼ら自身の服装の遺産を再発見し,称賛している。くろすとしゆきが,私に,「アメリカ人が日本人のようになった。」と言うように。

(翻訳転載(その2)了)
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Img_2698Img_2699


Img_27001965年,高校2年生の秋,関東地方への修学旅行中の東京自由行動の日,何人かが,九州から予め準備していたそれらしい恰好(規則では 外出時は学生服限定)をして紙袋を持って みゆき通りに行ったらしいのですが,波は既に去っていて 悲しい思いをしたとのこと,その年の夏に終わったことを知らなかったようです。
その時,私は 銀座7丁目の,地方修学旅行生の定番(?) ‘ACB’(アシベ)で アイスコーヒーのグラスを持って,鈴木やすしの ‘Jenny Jenny’を聴き, ‘What'd I say’の掛け合いで 「アー」とか 「オー」とか 学生帽・学生服・白ズックで叫んでいました。そこで偶然,同じ高校の女子グループと遭って 何か会話を交わした記憶があります。

1970年前後の4年間 学生生活を送った私は,「コンチネンタル・スタイル」や 「ヒッピー・スタイル」に流されるはずもなく,ほぼ 「VAN」の製品のみで過ごし,マドラス綿やツイードのジャケットと レジメンタルおよび黒のニット・タイを持っていながら 普段は,1965年の東海岸・大学生とほぼ同じ格好をしていました。卒業式は VANKentブランドの ミディアム・グレイ無地サキソニーのスーツを着ました。
卒業後10年目のクラス会で,大学に残って 講師(or 助教授,にはまだ早い?)になっていた男から 「おまえは 10年 早く来た。最近の学生を見ると,昔のお前を思い出す。」と言われました。彼は 2年生まで学生服を着ていました。

【補足】
Take Ivy” を眺めると 男子学生ばかりで女子学生が見当たらないのに気が付きます。

これに対して,英語版 “Take Ivy” 発刊のきっかけとなった,“Take Ivy” の写真をスキャンして紹介した ウェブ A Continuous Lean” のコメント欄に次のような Q & A があります。

Margaret  :
   So… was this before co-education, or what?  Because what strikes me about these pictures, besides the fantastic preppy style, is that there are no girls. Off to do some Ivy research…

Michael Williams :
   Dear Margaret,
   No conspiracy here. The photos are from a book about men’s style —which is why there aren’t many pictures of women. However, if you notice the picture with the yellow rain coats —that is a girl in the middle.
  Regards,
  A Continuous Lean

「女子学生がいないのは 共学前だからなの?」 という質問に 「陰謀なんかありません。男性服飾誌からの写真だからです。でも,黄色のレイン・コートの写真の真ん中は女子学生ですよ。(右上の写真)」 と答えています。

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