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2018年7月15日 (日)

73年前,呉市で 1,154人が死んだ水害があった。

7月6日から7日にかけての豪雨で 呉市では 14日時点で,死亡:21人,行方不明:5人 の犠牲者が出ています。

Photo寺田寅彦さんが 「災害は忘れた頃に来る」と言ったように 73年前の1945年(昭和20年)9月17日,枕崎台風による大雨で 呉市で 1,154人が死亡する災害がありました。
終戦から まだ1ヶ月,軍隊は解体し,警察・消防・医療組織も,そして市民も疲弊しており,気象予報・警報,救助,救命活動がままならなかったことが容易に想像できますが,それにしても この死者数は尋常ではありません。
多くは寝入りばなに川が氾濫,家屋が流されて死亡したようです。
「忘れた頃」と言われても 73年前の災害を経験した人は多くなく,地域としての記憶がなくなっていると言えるでしょう。

この災害に関する報告書をネットで見つけました。
災害から6年経った 昭和26年8月に 「廣島縣土木部砂防課」が発行した 「昭和20年9月17日における呉市の水害について」 (62ページ)です。

土木部長による序に次の文があります。

Photo_2

戦争中の数度の爆撃による呉市の死者 1,939名に対する水害の死者 1,154名の多さを書いています。

Photo_3この時の呉市の雨量は報告書では 右表で示されています。
ここで示される値が何を示しているのか不明ですが(4時間ごとの雨量?),気象庁のデータから 17日,1日の雨量は 221.8mm となっており 右表の値を合計した値とほぼ同じです。
一方,今回の豪雨の,気象庁のデータによる呉市の雨量は 7月6日:190.5mm,7日:178.0mm,又,6日18時から7日8時までの14時間雨量は 約260mmでした。
河川の氾濫,土石流発生までの雨量は今回の方が多いのかも知れません。

被害のまとめは次表のとおりです。

Photo_5Photo_4





左の地区別には,今回 大きな被害が出た 「天応」と 「安浦」地区がありません。
(「天応」が呉市に編入されたのは 1956年,「安浦」が編入されたのは 2005年。)
それで 死者 1,154人は 多すぎます。

興味深いのは 今回の豪雨では報告されてない 舊(旧)市内の死者,流出家屋数が他地区に比べ 突出して多いことです。死者が600人,流出家屋が 313戸 あります。

更にどの地域で発生したのかを 渓流(河川)毎に示したのが下表です。

0102_2
位置(町名)は ほぼ分りますが,あまりに多い河川の名前はほとんど分りません。
多くは 現在 暗渠化しているのではないかと思われますが,正確には分りません。

旧市内で死者が多かった 内神町や宮原通り付近が どのように改善されたのか興味があるところです。

Photo尚,この水害での鉄道不通期間を右表に示しています。

呉線は3日間だけですが,「沼田川鉄橋は不通にして徒歩連絡は2ヶ月も続いた。」とあるので 正確には 2ヶ月でしょう。
「沼田川鉄橋」 は 呉線が山陽本線に交わる 「三原」と呉側の「須波」の間にあります。

今回の呉線開通は坂付近の 「広島呉道路」(クレアライン)からの大規模な崩落が関係しており,国道31号が新設迂回路で開通した 11日の次の日,この崩落現場を大学教授らが調査しており,今から 復旧方法の検討に入るようすなので 簡単には復旧しないでしょう。

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