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2018年12月19日 (水)

1970年,大阪万博の頃。

2025年 大阪万国博覧会の開催が決定して,大喜びの人たちの様子がTVで報道されていました。

それほど市井の民が喜ぶことなのかと,やや不思議に思いました。
これは 私自身が 万国博覧会に それほど興味がないことに起因しているのかも知れません。

これは昔からで,21歳の大学3年だった1970年(昭和45年)の大阪万博にも行っていません。

九州に住んでいて,まだ新幹線が岡山までしか開通しておらず,交通の不便さが理由だったわけではありません。

19世紀にロンドンやパリで開催された万国博覧会は,インターネット,テレビは勿論,映画技術もなく(幻燈?),電話,写真がやっと,交通機関も船と鉄道という,限られた周りの出来事,様子を文字か貧弱な白黒写真でしか知ることができなかった広すぎる世界の時代には大きな意味があったことは間違いありませんが,現代における意味を完全には認めていませんでした。

1970年,大阪万博開催中の夏休み,2週間あまりの工場実習のため,交通費会社負担で東京に行きましたが,帰りに大阪に寄ろうという気は全く起こりませんでした。

それよりも 東京では,どうやって九州まで帰ろうかと思案していました。

東京に行くときは おそらく 寝台列車のブルートレイン(「あさかぜ」,「さくら」,「はやぶさ」,「みずほ」,「ふじ」のどれか)を使いましたが,時期の問題か,帰りは ブルートレインの予約をとるのが無理でした。
当時の切符販売は,コンピュータがなかったのか,あっても貧弱だったのか,それとも別の理由かで,乗車1週間前からでした。
しかも,ある駅で満席の列車が,別の駅で入手可能なこともありました。

切符を買う列が長い東京駅を避け,おそらく有楽町駅でやっと入手した切符は 東京発下関行の臨時急行でした。寝台はなく,座席です。

昼間から走る臨時急行は 正規運行の列車を優先させるため,度々 停車し,下関に到着するのに おそらく 20時間以上かかったと思います。
特に 静岡県が広く,ここを通過する時間の長さが印象的でした。

ー という訳で 1970年の大阪万博は 世間の騒々しさと,人気パビリオンの長い行列の報道と,三波春夫の歌しか記憶にありません。

因みに 日本で開催された国際博覧会にはー

1970 国際万国博覧会 (大阪) 「大阪万博」
1975/6 沖縄海洋国際博覧会(沖縄) 「沖縄海洋博」
1985 国際科学技術博覧会 (筑波) 「筑波科学博」
1990 国際花と緑の博覧会(大阪) 「花の万博」
2005 2005年日本国際博覧会(愛知) 「愛知万博」

がありますが,どれにも行っていません。

国際博覧会の定義は 「複数の国が参加した,公衆の教育を主たる目的とする催しであり,文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段又は人類の活動の一若しくは複数の部門において達成された進歩若しくはそれらの部門における将来の展望を示すものをいう。」となっています。

おそらく 博覧会で公開されるものや情報は,現代では個別に知る,あるいは入手できるものがほとんどで,初公開されるものが どのくらいあるのか疑問で,2025年も行かないでしょう,行く体力有無の方が問題かも知れませんが ・・・ 。

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