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2019年4月 5日 (金)

「伊丹十三選集 第三巻 日々是十三」 を読んだ,全三巻読了。

昨年(2018年)12月22日,呉市立図書館に 『伊丹十三選集』(岩波書店)の第一巻から 第三巻の購入依頼書を提出し,最終巻 2月19日発行の『伊丹十三選集 第三巻 日々是十三』 が入ったとの連絡が 3月29日にあって借りてきました。

Dsc_1806

Dsc_1805編者は 第一,二巻と同じく,松家仁之(小説家,編集者),中村好文(建築家),池内万平(伊丹十三の次男。伊丹プロダクション取締役 等)の三人です。

出典は 次のとおりと示しています。

A. 『再び女たちよ!』(新潮文庫,2005年)
B. 『女たちよ!』(新潮文庫,2005年)
C. 『ぼくの伯父さん』(つるとはな,2017年)
D. 『日本世間噺大系』(新潮文庫,2005年)
E. 『小説より奇なり』(文春文庫,1986年)
F. 『女たちよ!男たちよ!子供たちよ!』(文春文庫,1984年)
G. 『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫,2005年)
H. 『問いつめられたパパとママの本』(中公文庫,2011年)
I.  『快の打ち出の小槌』(朝日出版社,1980年)

目次はー

【青春】 pp.1-16,出典:A,B
【結婚】 pp. 17-62,出典:A,B,C, D
【子ども】pp.63-92,出典:D,C,E,F
【働く】 pp.93-164,出典:A,B,F,G
【育児】 pp.165-232,出典:C,D,F
【教育】 pp.233-272,出典:C,B,H
【心】 pp.273-366,出典:A,F,I
・編者解説:pp.369-383
・伊丹十三年譜:pp.385-389

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この巻で 最も懐しいのは 高校2年生の時読んだ,1965年 第一刷 「ヨーロッパ退屈日記」出典の 「働く」の章の 「ロータス・エランのために」です。

伊丹一三(当時。“十三” に改名したのは1967年)は 映画「ロード・ジム」(‘Lord Jim’,1965)出演のカメラテストを受けるため 20日間ロンドンに滞在しました。
伊丹一三は この映画への出演が決まったら 「ロータス・エラン」を買うことを決めて日本を発ったのでした。
出演が決まらなければ 「ロータス・エラン」を買うことは 勿論できないし,ロンドンまでの旅費とロンドンでの滞在費 100万円以上が自腹となるという胃が痛む20日間を過ごし,出演決定後,雨のロンドンの街に「ロータス・エラン」を注文に出掛けたのでした。

そして カンボジアで ピーター・オトゥールと共演しー

Lord-jim

撮影が終わって 日本の 70mm上映館で 映画が公開される頃には,30歳代になったばかりの伊丹一三は 「ロータス・エラン」を 東京で乗り回していたのです。
写真家 浅井慎平さんが この車によく乗せてもらったと書いているのを読んだことがあります。
「ロータス・エラン」のエンジンは,初期は 1,500cc でしたが,これは後期の 1,600cc と思われます。
若き日の伊丹十三として よく見る(?)写真ですが,この車は 「ロード・ジム」の出演料で買ったものなのです。

Photo_1

第三巻の末尾には 3人の編者の1人である,伊丹十三の次男,池内万平氏による 「編者解説」が附されています。

その書き出しはー
伊丹さんが亡くなってから,早いものでもう二十年以上経ちます。
下北沢で一人暮らしをしていた二十二歳の冬の夜。家でお酒を飲んでいたところに,宮本さんからの電話で訃報を知らされ,そこからの二週間は怒涛のようにすぎていきました。」とあって,いくつかのエッセイに関連する,子供の頃の父親・十三とのやりとりなどが書かれています。
昨年12月から 2月にかけて出版された 「伊丹十三選集」全三巻(¥3,300/巻)を呉市立図書館に購入依頼して,購入してもらって借り出し,読了しました。

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