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2019年9月23日 (月)

ノンフィクション 『死に山』を読んだ。

Cover_201909151540011959年2月,当時のソ連で発生した, ウラル山脈北部での雪山トレッキング中の9人の若者死亡事件,所謂 「ディアトロフ峠事件」 (the Dyatlov Pass Incident) の真実を,米国の ドキュメント映画作家が調査した結果の本です。

ディアトロフ峠」(the Dyatlov Pass)は 事件後,グループのリーダー,イーゴリ・ディアトロフの名前をとって付けられたものです。
事件の真相の解明はできておらず,現在までに 事件を説明する 75の説があると言われています。

今年(2019年)2月1日,ロシア検事総長事務所が,「ディアトロフ峠事件」の真相を明らかにすべく,本格的に再捜査すると発表しました。
1959年に発生した,この謎に包まれた事件を,60年経った今 取り上げる理由は不明です。

原本は “Dead Mountain :
The Untold True Story of the Dyatlof Pass Inccident”  by  Donnie Eichar,2014年10月。

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読んだ訳本は  『死に山:世界一不気味な遭難事故«ディアトロフ峠事件»の真相 ドニー・アイカー(著) 安原和見(訳) 河出書房新社 2018年8月 です。

図書館で借りて読みました。

事件の概要,分っている事実は次の通りです。

***********************

・1959年1月中旬,ウラル山脈北東部に 地元ウラル工科大学学生 およびOBからなる9人(当初10人,途中 体調不良で 1人抜けた)が22日間の冬山トレッキングに出発。
・メンバーは 男 7人,女 2人,何れも 登山/長距離スキーの熟練者。
・2月1日,目的地のオトルデン山まで 10kmの地点で日没となりキャンプ。
・キャンプ地点 傾斜15度の雪面を掘って平にする,気温 -25~-30℃,風速 15~20m/sec。
・2月16日,下山予定日を3日すぎて連絡なし。
・2月20日,地元捜査本部を立てて捜索開始。
・2月26日,テント発見。
               テントは雪で潰されていたが,支柱は立っていた。
               テントの中に靴,荷物はそのままあった。
               テントは内側から 数か所 ナイフで切り裂かれていた。(人が出られる穴)
・2月27日,テントから 1.5km 下った場所で 散らばって 雪に覆われた5人の遺体が発見された。
               テントから下方に向かういくつかの足跡があった。
               遺体は 防寒服,靴の着用なし。裸足の者もいた。
               外傷なく,凍死と判断された。
       ・・・ 残り 4人は 直ぐには発見されなかった。
・5月4日,雪解けが進み, 5人が発見された場所から 75m下で 4人の遺体が発見された。
             4人の遺体はー
                 頭部陥没損傷,肋骨5本骨折し,内蔵に刺さっていた
                 肋骨10本骨折し,心臓に刺さっており,顔に損傷ー眼球と舌 喪失。(女性)
                   (上記2人は暴力的外傷)
                 残り 2人は 車に轢かれたような強い外力による圧迫痕があった。
             2人の服に異常な量の放射線検出。
             雪解けの水の中で 腐敗と分解が進んでいた。
・事件当時,ウラル山脈上空に光球がいくつも目撃された。
・上記 調査の結果,検事局が 数百ページの報告書発行。
      解剖結果:食事後 6~8時間後,死亡。
      結論 : 自然災害 「未知の不可抗力による死亡

報告書は 機密文書となって 1990年代まで公開されなかった。

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記述は 事故発生時(トレッキング実施前から事故後の報告書発行まで)の1959年の出来事(被害者の日記,残された写真,関係者の聞き取りなどから)と,筆者がロシアに行っての関係者との対話,トレッキングルート・事故発生現場への踏査ー2010年,2012年,著者なりの結論に至る2013年を 時代を交錯しながら 上の目次のように示しています。
状況の記述は詳細ですが,想定された原因をひとつずつ消去していくと 事故の可能性が消えていきます。

結局は 気象現象に焦点を当て調べるうちに 「超低周波音」(音と言いながら,人間の可聴域より低い周波数)が 人間に,説明のつかない吐き気と鼓膜の痛みを生じさせ 遂には パニックに陥れる可能性があることを知ります。

そして 論文「大気の作用で生じる超低周波不可聴音について」(2000年,‘Phisics Today’)の著者 Dr.アルフレッド・ベダードに相談し,ベダードは 事件発生現場の地形写真から 「カルマン渦列」と「超低周波音」発生の可能性を指摘し,それにより 不快感や恐怖感が生じたとします。

べラードは 次のように状況を推定しました。
みんなでテントに入っていると,風音が強くなってくるのに気が付く ・・・・ そのうち,南の方から地面の振動が伝わってくる。嵐の咆哮が西から東にテントを通り抜けていくように聞こえたでしょう。また地面の振動が伝わってきて,テントも振動し始めます。今度は北から,貨物列車のような轟音がまた通り抜けていきます ・・・・ より強力な渦が近付いてくるにつれて,その轟音はどんどん恐ろしい音に変わり,と同時に超低周波音が発生するため,自分の胸腔も振動し始めます。超低周波音の影響で,パニックや恐怖,呼吸困難を感じるようにもなってきます。生体の共振周波数の波が生成されるからです。

この耐え難い恐怖で 9人の若者は我を忘れて,靴も防寒服を着ることもなく,先を争ってテントから出て(中にはナイフでテントを切って) 5人は低体温症で,その先まで逃げた4人は崖から転落して傷を負って死亡した,テントから離れた後,テントに戻ろうとしても強風と視界の悪さでできなかったと思われます。

(この原因による事実との矛盾の解説は 省略します。)

下に 本に掲載された 1959年当時(被害者による撮影を含む)を掲載します。

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最後の写真は 1959年2月27日,捜索隊によって発見されたテントです。

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ゾンデ棒で 雪に埋もれた遭難者を探す当時の様子です。

謎の多い事件の原因究明には その責任者が 如何に可能性を拡げる想像力があるか,関係専門家を選ぶことができるかにかかっています。

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