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2019年10月31日 (木)

緒方貞子さんの死を BBCは こう伝えた。

元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんが 10月22日に亡くなっていたと 29日に伝えられました。

各国のメデイアが報じており,海外からどのように彼女が評価されていたかを BBC の記事で読んでみました。

下記 拙訳転載します。

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BBC NEWS, Oct.29, 2019

Sadako Ogata: First female UN refugee chief dies at 92
緒方貞子:初めての女性国連難民チーフ 92歳で死亡

国連難民高等弁務官(UN High Commissioner for Refugees)に任命された最初の女性となった日本の学者および外交官が 92歳で死亡した。

緒方貞子は、1991年から2000年まで勤務していた10年間に最大の危機に取り組んだ。
課題には,1991年の湾岸戦争とバルカン戦争の後に,イラクから逃れた(fleeing)クルド人難民(Kurdish refugees)の支援が含まれていた。

彼女は、「無防備で立ち退かされた人々」(the defenceless and dispossessed) を保護するために働くことへの大きな情熱で知られていた。

A refugees' champion 難民の擁護者

緒方貞子は,1927年に日本の外交官の父親の娘として東京で生まれた。
彼女は,1932年のクーデター未遂事件で暗殺された元日本首相の犬養毅の曾孫でもあった。

彼女は,海外に住んで留学し,ワシントンDCのジョージタウン大学で修士号を取得し,カリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得した。

国連に参加する前,彼女は学者(academic)だった – 1980年に東京の上智大学の教授になり,1989年に外国語学部の学部長を務めた。

1991年,彼女は最初の女性,最初の日本人,最初の学者として 国連難民高等弁務官(UNHCR)に任命された(installed)。

仕事を始めて数週間以内に,彼女は1990年代最大の危機の1つに直面した - 湾岸戦争後に何百万人ものクルド難民がイランに逃げた(fled)。

「私がオフィスに入った後に起こったことは,誰もが世界で起こると想定したものとは非常に異なっていて,私は自分が足を踏み入れようとしているものが何か,本当に分からなかった。」と,彼女は 2005年にジャパン・タイムに語った。

彼女はボスニア・ヘルツェゴビナ,コソボ,アフリカ大湖沼域を含む地域での大規模な活動を監視し(oversee)続けた。

彼女の本「激動の10年 - 直面した1990年代の難民危機」(The Turbulent Decade - Confronting the Refugee Crises of the 1990s)で,彼女は国連での活動期間(stint)が絶え間ない人道的危機(humanitarian crises)の時期 だったと述べた。

UNHCRは世界のすべての大陸で消防隊(fire brigade)のように働いた。」と彼女は書いた。

彼女は国連のスタッフと世界の指導者から同様に尊敬されており,彼女の同僚は,敵対する派閥(hostile factions)に立ち向かうための恐るべき(formidable)交渉スキルと能力から,「5フィートの巨人」(five-foot giant)と評した。

「私の関心は,常に難民に安全を提供し,彼らに幸せな生活を送る機会を与えることに集中する(centred on)ことだった。」と彼女は言った。

「彼女は思いやりのある人(caring person)として最もよく語られるだろう。」とUNHCRのスタッフであるヨハン・セルスはジャパン・タイムズに語った。「彼女はまず難民の声に耳を傾け,次に地元の政治指導者と交渉した。」

1995年に,彼女は「自由を追求するリーダーシップ」を認められ,米国国立憲法センター(the National Constitution Centre of the US)から毎年授与されるフィラデルフィア・リバティ・メダルを受賞した。

「緒方夫人ほど,世界の難民のための偉大な擁護者(champion)であり活動家はいない。」と国立憲法センターは述べた。

日本に戻って,彼女はまた,日本の難民の受け入れが少ないことを批判した。

「日本は,困っている人々,深刻に困っている人々を受け入れる状況を整える必要がある。私たちは彼らを広く受け入れるべきだと思う。」と彼女は2015年のロイターのインタビューで述べた。
「日本には資源がない,と言うのはナンセンスだ。」

2003年から2012年まで,緒方さんは日本国際協力機構(the Japan International Cooperation Agency)の長であり,開発途上国の人々への支援を提供する運動を監督していた。

「私はしばしば,どこからエネルギーを引き出すのかと訊かれる。」と彼女は国連の2015年の記事で述べた。
「キャンプ,村,レセプションセンター,スラム街で出会ったすべての難民のことをよく考える。」

「私が前進し続けているのは,私たちの集団的な(collective)努力が亡命(exile)の恐怖と痛みを家族と友人の安全と団結に変えることができるという確信だと思う。」

(転載了)
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間違いなく,近年,世界中から,最も尊敬された日本人でした。

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コメント

約20年前、マレーシアへ行く飛行機で隣り合わせになり、少々言葉を交わしたことがあります。
当時70過ぎだと思いますが、食欲旺盛な元気なおばあちゃんという印象でした。

投稿: hirosuke | 2019年10月31日 (木) 20時42分

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