追悼 : シャーリー・ナイト,NYT はこう伝えた。
4月22日,米国女優 シャーリー・ナイトさんが亡くなったと報じられました。
米国の多くのメディアが彼女の死を報じましたが,ここでは New York Times の記事を 拙訳・転載します。
**********************************
The New York Times, April 22, 2020
“Shirley Knight, Tony- and Emmy-Winning Actress, Dies at 83”
トニー賞,エミー賞女優 シャーリー・ナイト,83歳で死す
彼女は1960年の映画「階段の上の暗闇」(The Dark at the Top of the Stairs) でオスカーにノミネートされたパフォーマンスで演劇界(scene)に飛び込み,映画,テレビ,そしてステージで長いキャリアを積みあげた。
(ホートン・フット(Horton Foote)の「アトランタ出身の若い男」(The Young Man From Atlanta)でブロードウェイに出演した最後の年となった1997年のシャーリー・ナイト。)
By Neil Genzlinger
映画,テレビ,舞台の長いキャリアを持ち,20代で2回のオスカー賞にノミネートされ,1975年にトニー賞を受賞し,後に3回エミー賞を受賞したシャーリー・ナイトが,水曜日(4月22日)にテキサス州サンマルコスで死亡した。 彼女は83歳だった。
彼女が亡くなったとき,彼女は娘カイトリン・ホプキンスの家にいた、とホプキンスさんは確認したが,死因の特定をしなかった。
ナイトさん(Ms. Knight)の最初のエミー賞受賞は 1988年,TVドラマ「ナイスサーティズ」(Thirtysomething)へのゲスト出演でだった。彼女は1995年にさらに2つ受賞した。1つは「NYPDブルー」(NYPD Blue)のゲスト役、もう1つは虐待が行われたとされる幼稚園(preschool)の管理人を演じたHBOのドキュメンタリー映画「誘導尋問」(Indictment: The McMartin Trial)である。
彼女は、1960年代には 「アウターリミッツ」(The Outer Limits),「逃亡者」(The Fugitive),「バージニアン」(The Virginian)などのテレビ・クレジットや,その後のシリーズでは「ジェシカおばさんの事件簿」(Murder、She Wrote),「マトロック」(Matlock),「アリー・マイ・ラブ」(Ally McBeal)など,数々のテレビ・クレジットに名を連ねた。
彼女の多くの映画における経歴(résumé)には、フランシス・フォード・コッポラの「雨の中の女」(‘The Rain People’,1969)が含まれる。彼女は,ジェームズ・カーン(James Caan)やロバート・デュバル(Robert Duvall)と共演し,自己発見のために国を横断する長い旅(cross-country odyssey)に出る妊娠中のロング・アイランドの主婦を演じた。
ナイトさんは最近,1997年にブロードウェイの,ホートン・フットの「アトランタ出身の若い男」(The Young Man From Atlanta)に,リップ・トーン(Rip Torn)の相手役(opposite)で出演した。ベン・ブラントリーはニューヨーク・タイムズでのレビューで「シーズンでの幸せな驚きの1つ」と呼んだ。
「これの多くは,ナイトさんとトーンさんのドキッとする(galvanic)存在に関係している」とブラントリー氏は書いている。 「1950年代と60年代に登場したメソッドが染み込んだ若い星座(constellation)の中で明るく輝いた両俳優は,最近のニューヨークのステージではまれにしか見られない。」
シャーリー・エノラ・ナイト(Shirley Enola Knight)は 1936年7月5日,カンザス州ゲッセル(Goessel)で生まれた。彼女の父,ノエルは石油ビジネスの就いており,母親 バージニア・ナイトは主婦(homemaker)だった。彼女は,演技の道に入る前,故郷の近くで撮影された1955年の映画「ピクニック」のエキストラとして最初の映画を上手くやり遂げた。
ナイトさんの最初のショービジネスの強い希望(aspiration)は,歌手-オペラの-になることだった。ウィチタ州立大学の3年(junior)の時,彼女は 演技力が その目標の前進に役立つ可能性があると判断した。そこで,シアター・アーツ・マガジンの広告を見て,カリフォルニアのパサデナ・プレイハウスで6週間のコースを受けた。
そこで彼女は,出演したステージ制作中,キューで泣く能力を発見した。当時,ハリウッドの有力な事務所であったカート・フリングス・エージェンシーのスカウトは感銘を受け,彼女はワーナー・ブラザーズに契約俳優として雇われ,1950年代後半にテレビでの出演を果たした。
数か月後,彼女は,10代の少女を求めていた,映画「階段の上の暗闇」(The Dark Top at the Stairs)を監督していたデルバート・マン(Delbert Mann)に会いに行くように言われた。彼女は20代だったが,歳より若い演技ができた。
「私は仕事を得た」と彼女は 2014年,映画俳優組合財団(the Screen Actors Guild Foundation)での講演で語った。「そして,オスカーに私はノミネートされたので,私の演技はOKだったと思う。」
ノミネートは最高の女優をサポートする役割があった。オスカー像は「魅せられた男」(Elmer Gantry)に出演した別のシャーリー,シャーリー・ジョーンズ(Shirley Jones )が獲得した。
2年後,ナイトさんは,テネシー・ウィリアムズの戯曲に基づく「渇いた太陽」(Sweet Bird of Youth)での演技により,再び同じカテゴリーにノミネートされた。(このときは,パティ・デューク(Patty Duke)が「奇跡の人」(The Miracle Worker)で 最優秀助演女優賞を獲得した。)
「ポールニューマン,ジェラルディン・ペイジ(Geraldine Page) そして『渇いた太陽』でのその他のスターたちは」 ナイトさんは「私が知らないことを知っているようだった。」と語った。彼らは,彼女にニューヨークに行ってリー・ストラスバーグ(Lee Strasberg)と一緒に勉強するよう促し,彼らの推薦で彼女は アクターズ・スタジオに受け入れられた。
そこでのトレーニングは,1964年にストラスバーグ氏が監督したチェーホフの「三姉妹」(Three Sisters)の制作でブロードウェイ・デビューにつながった。彼女はイリーナを演じた。 ペイジとキム・スタンリーが他の2人の姉妹を演じた。
ナイトさんは 1960年代に 別の2つのブロードウェイに出演した。その後、1975年に,バーで6人のキャラクターが登場し,1960年代を想起させるモノローグだけで話す演劇 “Kennedy’s Children” でトニーを獲得した。カーラという名前の「色っぽい女」(sex pot)であるナイトさんのキャラクターは,マリリン・モンローの後継者として自分自身を想定していた。
ナイトさんの映画のキャリアのハイライトは,不安定な白人女性と黒人男性の間の人種差別的含み(racial overtones)による対立(confrontation)についてのアミリ・バラカ(Amiri Baraka)の戯曲に基づく“Dutchman” (1966) がある。彼女のお気に入りの作品の中で彼女は,問題を抱えた結婚について,イングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman)が書いた1973年のテレビ映画 “The Lie”があると語った。
ナイトさんは 1959年に プロデューサーの ユージン・パーソン(Eugene Persson)と結婚し,1969年 離婚した。彼女の2番目の夫の作家 ジョン・R・ホプキンス(John R. Hopkins)は 1998年に死亡した。彼女には,最初の結婚時の娘ホプキンスに加えて,2番目の結婚でもうけた娘,ソフィー・ジャックスと継娘のジャスティン・ホプキンスがいる。
彼女はシリアスな役柄で最もよく知られていたが,「モールコップ」(Paul Blart: Mall Cop,2009)やその続編(2015年)などのコメディでも登場した。
(転載了)
************************************
1969年の「雨の中の女」で シャーリー・ナイトと共に,ジェームズ・カーンとロバート・デュバルを起用したフランシス・フォード・コッポラ監督は その3年後の 「ゴッドファーザー」で,この二人を出演させました。
| 固定リンク | 0
「気になる人たち」カテゴリの記事
- 今月 退官する サキ大統領報道官とは-(2022.05.10)
- 菜々緒さん,脚がきれいなのは知っていたけどー 。(2022.01.07)
- 注目していた ファン・ニーケルク選手,400m 決勝に残れず。(2021.08.04)
- サリンジャー を思い出して-(2021.06.14)
- カンツォーネ歌手,ミルバさん逝去。(2021.04.28)
コメント