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2020年8月21日 (金)

キャロル・リンレイが 去年 亡くなっていた。

NHK BSプレミアムで久しぶりに「ポセイドン・アドベンチャー」(‘The Poseidon Adventure’,1972)を観ました。

そして 久しぶりに キャロル・リンレイ(Carol Lynley)を観て,今,どうしているのだろうかと,Wikipediaを見て,去年(2019年)亡くなっていることを知って驚きました。
最近は 年末に,その年に亡くなったスターなどのチェックをしていたつもりですが 見落としていました。
1960
年代の約6年間,中学生から高校生にかけて,映画雑誌 3誌(スクリーン,映画の友,映画ストーリー)を毎月 貸本屋で借りて 欠かさず読んでいた私には キャロル・リンレイは馴染みの女優でした。

彼女の死亡報道を ‘The New York Times’,Sept. 62020 で確認しました。

下記,拙訳・転載します。
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Carol Lynley, Star of ‘Blue Denim’ and ‘The Poseidon Adventure,’ Dies at 77
「『ゆきすぎた遊び』と『ポセイドン・アドベンチャー』の キャロル・リンレイ,77歳で死亡」

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穏やかな(modest)アイゼンハワー時代から性にフランクな1960年代への国の変容を映し出す映画俳優としてのキャリアがあり,元子供モデルであったキャロル・リンレイは火曜日(93日)にロサンゼルスの自宅で亡くなった。

死因は心臓発作だったと友人のトレント・ドラン(Trent Dolan)が語った。

リンレイは,1959年の映画「ゆきすぎた遊び」(Blue Denim)で,ブランドン・デ・ワイルド(Brandon De Wilde)が演じる彼女と同様の世間知らずの(wide-eyed)ボーイフレンドに妊娠させられる,素朴で柔らかな口調の若者(adolescent)として最も記憶されている。彼女が16歳だった前年のブロードウェイで初めて演じた役だった。リンレイは その後の8年間で 少なくとも半ダースのハリウッド映画に出演したが, 20代半ばになると,彼女は消えてしまい,二度と世間が直接目にすることはなかった。

それでも,彼女は1972年にパニック映画「ポセイドン・アドベンチャー」でホットパンツとゴーゴーブーツを履いて現れ,オスカー賞を受賞した歌 “The Morning After” を歌った(または少なくとも“クチパク”(lip-syncing))で注目された。

彼女のキャリアは,少なくとも部分的には,不幸なマーケティングの犠牲者であった可能性がある。
1950年代後半から60年代前半にかけて,ハリウッドの宣伝マシンには,宣伝する10代の金髪女優が3人いた。極端なイメージ区分け(image segmentation)で,サンドラ・ディー(Sandra Dee)は甘やかされた金持ちの女の子として,チューズデイ・ウェルド(Tuesday Weld)は悪い女の子(bad girl)として,そしてリンレイは良い女の子(good girl)として宣伝された。

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(左から2番目のリンレイは,1972年のパニック映画「ポセイドン・アドベンチャー」の短い復活で注目を集めた。キャストには,左端のシェリー・ウィンターズ,ロディ・マクドウォール,ステラ・スティーブンスが含まれている。20世紀フォックス)

これは,独立戦争前のアメリカを舞台にしたデビュー映画のディズニー・ドラマ「開拓者の血」(‘The Light in the Forest’,1958)で彼女が演じたキャラクターとうまく合った。「ゆきすぎた遊び」(‘Blue Deni’,1959; また,彼女は10代のアイドルのファビアンと向かい合って主演した「ハウンド・ドッグ・マン」(1959年)にも出演している。

その映画の後には,ジャック・レモンとディーン・ジョーンズが出演したセックス・コメディ「ヤム・ヤム・ガール」(‘Under the Yum Yum Tree’,1963),そしてドラマ「枢機卿」(‘The Cardinal’,1963)が続き,「枢機卿」で彼女はトムトライオンのわがままな(wayward)妹とその娘の両方を演じた。

彼女は23歳のとき,プレイボーイ誌で控えめなヌード・ポーズをとり,1930年代のスクリーンスターとセックスシンボルのジーン・ハーローの伝記映画「ハーロー」(‘Harlow, 1965)でタイトルの役を演じた。(キャロル・ベイカー主演の別のハーロー映画も1965年にリリースされ,どちらもうまくいかなかった。)

その同じ年に,彼女はオットー・プレミンジャーのスリラー映画「バニー・レークは行方不明」(‘Bunny Lake Is Missing’,1965)で取り乱した若い母親として肯定的な評価を獲得したが,批評家もファンも,10代のときと同じようには彼女に反応しなかった。

1970年代以降,リンレイは主にテレビで働き,さまざまな番組にゲスト出演した。彼女はオリジナルのテレビ映画「ファンタジー・アイランド」(Fantasy Island)と,それが生み出したシリーズの少なくとも10エピソード,および後にダレン・マクギャビン・シリーズ 「魔界記者コルチャック/ラス・ベガスの吸血鬼」(‘The Night Stalker’,1972)になったテレビ映画に出演した。 彼女はまた,いくつかの目立たない映画にも出演した。

彼女は1942213日にニューヨーク市でキャロル・アン・ジョーンズとして生まれ,キャロリン・リーという名前でモデルを始めた。
彼女は演技を始め-「グッドイヤーテレビプレイハウス」(Goodyear Television Playhouse)や「アルコアアワー」(The Alcoa Hour)のようなテレビの黄金時代シリーズに出演した - その名前は(俳優キャロリン・ジョーンズのように)すでに俳優協会に登録されていた。それで彼女はキャロル・リンレイという音に似た名前に改めた。

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(彼女はオットー・プレミンジャーのスリラー映画「バニー・レークは行方不明」(‘Bunny Lake Is Missing1965)で取り乱した若い母親を演じた。この時までに,彼女の映画のキャリアは終わりになり,その後は主にテレビに出演した。 Sony Pictures Entertainment

1957年4月,彼女はLife誌の表紙に「キャロル・リンレイ,15歳,忙しいキャリアガール(Busy Career Girl)」の解説付きで登場した。彼女は確かに忙しく,グラハム・グリーンのドラマ「ポッティング・シェッド」(The Potting Shed)でブロードウェイ・デビューを果たした。 その役は,家族の秘密を明かす,瀕死の男のお喋りな姪で,優れたデビュー・パフォーマンスに対して毎年与えられるシアター・ワールド・アワードを受賞した。

リンレイは1975年に1度ブロードウェイに戻り,アラン・エイクボーン(Alan Ayckbourn)のコメディ“Absurd Person Singular”で,サンディ・デニスに代って出演した。

(転載了)
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古希を過ぎると 若い頃 よく見た映画俳優が亡くなって 見送るのはしかたがありません。

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