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2020年11月 3日 (火)

見出しに見る勘違い(その637)

「『石島は明らかに独島』新たな証拠が出てきた」  2020/11/1  朝鮮日報・日本語版
    ‘10月25日は「独島の日120周年」に当たる日だった。この日は,1900年10月25日に制定された大韓帝国の「勅令第41号」が石島を鬱島郡(鬱陵島)の管轄区域内に置くと明示したことを記念する日だ。韓国側は「石島」が独島の別表記だという立場だが,日本側はそうではないと主張している。
  「石島は明らかに独島」であることを立証する新たな根拠が提示された。ハンア文化研究所の所長で独島研究家のユ・ミリム氏は24日,独立記念館が開催した学術会議の発表文で「1968年以前は勅令第41号の内容は知られていなかったが,多くの学者が石島を独島の別名と認識していた」と明かした。
 1950年代に日本が独島の領有権を主張した時点でも,韓国外務部(省に相当)は独島が鬱陵島の行政区域に編入されたという公的な記録を入手することに失敗した。しかし68年に法学者の李漢基(イ・ハンギ)ソウル大学教授が,大韓帝国議政府総務局の刊行した『法規類編 続弍』で当該部分を見つけ出したことで,勅令第41号の内容が初めて知られるようになった。
   そのときまで、勅令第41号で「石島は鬱島郡の管轄」だとしたことを誰も知ることはできなかったのだ。ところが68年以前の時点でも,方鍾鉉,李崇寧,洪以燮,朴観淑,黄相基,柳洪烈,朴大錬など多くの学者が「石島」を独島の別名だと紹介していた。勅令第41号を見て「石島」を独島だと主張したわけではなく,もともと独島の別名が石島だったことになる。19世紀末,湖南(全羅道地方)出身の住民らが「石の島」という意味でこの島を「トクソム」と呼び,この意味を取って表記したのが「石島」,音を取って記したのが「独島」だった。’ と書いています。
   新聞記者にして,この論理性の無さには呆れて,仕事で韓国人と付き合わざるを得ない日本の方々のご苦労が察せられます。(私も現役時代,何回か付き合いがあって 話が通じ難く不愉快な思いをしました。)
 「多くの学者が『石島が独島』と言っていた」のが 新たな証拠だそうです。
石島でも独島でもいいのですが,竹島(独島)の位置,形状を1900年以前の朝鮮人が認識していたことを示す史料が証拠になりますが,未だ存在は確認されていません。

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