Forest Green の “Mackinaw Jacket” は かつて 米陸軍Jeep乗員用?
そろそろ “Mackinaw Cruiser Jacket” の季節です。冬の外出で 頻繁に着る防寒服です。
元々,米国やカナダの木材伐採者(要するにキコリ)が作業服として着ていたのは知っていますが,その前は?どのような経緯,歴史があるのか,英文Wikipedia の “Mackinaw cloth” を読んでみました。
下記,拙訳・転載します。
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Mackinaw cloth
マッキーノ・クロスは,メルトン・クロスに似ているが,タータン・パターンを使用した,重くて密度の高い撥水性(water-repellent)のウール・クロスで,多くの場合「バッファロー・チェック柄」(buffalo plaid)である。同じ名前のショートコートを作るために使用され,ダブル・ショルダーのものもある。これらのジャケットはカナダのフロンティアに起源があり,後に,19世紀半ばの伐採ブーム(logging boom)の時期,作業服として中西部の北部米国の木材伐採人(loggers)によって有名になった。
マッキーノの毛布は,サンタ・フェ街道(the Santa Fe Trail)の貿易についての1844年の著書「プレーリーの商取引」(Commerce of the Prairies)でヨシヤ・A・グレッグ(Josiah A. Gregg)で引き合いに出された。これらは禁制品(contraband)であり,税関職員による没収の対象であったが,覆われた貨物貨車の屋根を形成したオスナバーグ・シート(Osnaburg sheet)生地の二重層の間に隠すことができたと,彼は述べている。
Origin of the Mackinaw jacket
マッキーノ・ジャケットの起源
現在のミシガン州のマッキナック(Mackinac)またはマッキーノ(Mackinaw)地域は,18世紀から19世紀の間,重要な貿易動脈で,ミシガン湖とヒューロン湖を結ぶマキナック海峡(the Straits of Mackinac)にちなんで名付けられた。海峡にいた軍は,スペリオル湖出入りの交通を統括することもできた。スペリオル湖はセントマリー川に流れ込み,セントマリー川は海峡の東にあるヒューロン湖に流れ込む。マッキナック島のマッキナック砦(Fort Mackinac)は,1783年にパリ条約で英国によって新たに独立したアメリカ合衆国に譲渡されたが,イギリス陸軍は,デトロイト,マッキナック,ナイアガラの砦が1796年,米国人に引き渡されるまで,五大湖の駐屯からの立ち退き(evacuate)を拒否した。英国軍と米国軍は1812年の戦争を通して地域を争い,ドラムンド砦(Fort Drummond) (ドラモンド島近くの英国軍駐屯地)が立ち退く 1828年まで,境界線は定まらなかった。
マッキーノ・ジャケットのルーツは,1811年11月に白人とメティス(Métis,管理者注:カナダ,米国北部の原住民)の女性が作ったコートにまでさかのぼる。五大湖上流の初期の商人だった ジョン・アスキン・ジュニア(John Askin Jr.)は,マッキナック(Mackinac)近くのセント・ジョセフ砦(オンタリオ州)の英国陸軍駐屯地用に40枚のウールのロングコート(greatcoat)をデザインして縫うために彼女たちを雇った。彼の妻,マドレーヌ・アスキンは,コートのデザインにおいて重要な役割を果たし,アスキンは,駐屯地司令官のチャールズ・ロバーツ大尉から受け取った契約を履行した。ロバーツが,そのとき部下に着せることができたコートは1807年に受け取ったものが最後だった。
新しいジャケットは,当時,砦のキングス・ストアの店主だったアスキンが,大尉の権限で供給された3点の貿易毛布(three-point trade blankets)から作られた。青いコートを注文したが,青い毛布の数が足りなかったため,今日のジャケットに繋がる黒地に赤のタータン・パターンと赤の毛布で作られたコートで補填された。ロングコートのロングスカート(長い裾)は深い雪には不向きで,これを外してマッキーノ・ジャケットが誕生した。
Modern use
現代の用途
From workwear to sportswear
作業着からスポーツ・ウエアに
昔の西部(the Old West)の時代には,中西部,ノースウェスト準州,アラスカで,米国とカナダの木材伐採人(lumberjacks)が,重量のある「バッファロー・チェック」(buffalo plaid)のタータンのマッキーノ・ジャケット(Mackinaw jackets)をニット・キャップと一緒に着用していた。1930年代までに,このジャケットは,ニット・キャップとともに,ハンターや漁師の間でスポーツ・ウェアとして広く使用されるようになった。
オリーブ・ドラブ(olive drab,管理者注:オリーブの葉のような緑色と茶色の中間の色,米陸軍の軍服)のマッキーノの変種は,ジープ乗員の寒い天候下での使用のために米陸軍に供給された(issued)。戦後,ペンドルトン・ブランド(the Pendleton brand)で製造されたこのタイプのチェック柄のジャケットは,同様のハリウッド・ジャケットの代わりとして,米国人男性に人気のカジュアル・ウェアになった。
Use by teenagers
ティーンエイジャーの使用
1960年代,ペンドルトンのオーバーシャツはサーファーやビーチボーイズなどのサーフ・ロックグループによって広く着用された。60年代後半から70年代初頭にかけて,“Mac” ジャケット(管理者注 Mac: “Mackintosh”の略)は標準的なアパレルになり,バンクーバーの悪名高い,メンバー達がタフな労働者階級,伐採(logging),労働者の家族からなる パーク・ギャング(Park Gangs)のイメージを定義するのに役立った。このジャケットは,その安さ,耐久性,暖かさ,スケート・ボーディング時の落下からのプロテクトなどにより,1990年代のグランジ(grunge,管理者注:ロック音楽のジャンルで,パンクやヘビメタルの影響を受け,"dirty"なギターと"heavy"なドラムなどを特徴とする),ハードコア・パンク,スケーターのサブカルチャーの間で再び復活した。
また,実用的でありながら時代を超越したフィーリングのため,2010年代のヒップスター・サブカルチャーのメンバーにも時折見られる。
(転載了)
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元々は ‘greatcoat’(ロングコート)で,深い雪の中で邪魔になる ‘long skirt’(長い裾)を切り取ったものでした。
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