吉田拓郎が「とんぼを逃がしてあげて」いた(!?)
毎朝の公園のエキササイズを YouTubeで音楽を聴きながらやっています。
昨日 偶々 70,80年代フォークソングを聴いていると 吉田拓郎氏の 『麦わら帽子はもう消えた』で始まる「夏休み」が流れました。
これを聴いていて 歌詞に「おやっ?」と思う部分がありました。
『 …
畑のとんぼ どこ行った
あの時 逃がしてあげたのに
ひとりで待ってた夏休み
… 』
何と,「とんぼを逃がしてあげて」いました。
「吉田拓郎が とんぼに『謙譲語』を遣ってどうするんだ,『逃がしてやった』だろう!」と 独り言。
この曲の発表は1971年(昭和46年)です。
この年,大学4年生だった私がよく聞いていたのは ペドロ&カプリシャス(リードボーカルは 高橋真梨子ではなく前野曜子)の「別れの朝」でした。
とにかく 吉田拓郎氏が,昭和46年に,「とんぼ」に対して,「謙譲語」を遣っているのに驚きました。
レコーディングされたのが1982年(昭和57年)なので,ひょっとすると 昭和46年 発表時には謙譲語を遣わずに「逃がしてやったのに」だったのが10年後のレコーディング時に変わったのかも知れませんが… 。
それにしても 昭和時代は,「あげる」を丁寧語ではなく 正しく「謙譲語」と捉えていた人が多かったと思っています。
下表は 平成27年の文化庁調査結果です。
平成27年,植木に謙譲語を使う人が,年齢によっては半分以上 現れています。
上表の調査結果から推定して,昭和46年には 「とんぼ」に謙譲語を遣う人は稀だった思われます。
私より 2歳年上の吉田拓郎氏に,「謙譲語」と「丁寧語」の区別がついていたのかどうかは不明ですが,「とんぼ」に丁寧語を遣ったのは,時代からして 極めて不思議な歌詞だと思います。
上記とは関係ありませんがー
TVのワイドショーで コメンテーターの東大出身の女性が「自分事(じぶんごと)」と言いました。「他人事(ひとごと)」に対する言葉でしょうが,違和感を覚えました。「自分の事」あるいは「私事」と言うべきでは … 。
「他人事」をもじった「自分事」は,「死に様」をもじった「生き様」と同様,胡散臭く,遣う人の言葉に対する感性を疑います。
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