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2021年4月24日 (土)

Not “Take Ivy”,but “Talk Ivy”,「くろすとしゆき氏 インタビュー」

IVY STYLEivy-style.com)’ のサイトに 服飾評論家 くろすとしゆき氏のインタビュー記事がありました。

1965年に 婦人画報社から出版された写真集TAKE IVY10数年前,数千ドルで取引されるようになって 米国で話題になり,2010年に英語版が発行されたこと(The New York Times の記事になった)に関係があるようです。

長い記事ですが,下記,拙訳・転載します。

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Talk Ivy: An Interview With Toshiyuki Kurosu
Talk Ivy: くろすとしゆき インタビューApr.20,2021

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W.デビッド・マルクス(W. David Marx)は,「くろすとしゆき」の画期的な(groundbreaking)本「AMETORA:日本がアメリカンスタイルを救った物語(Ametora: How Japan Saved American Style)」を研究しているとき,2013年にアイビー・スタイル(サイト)のためにこのインタビューを行った。研究の一環として,彼は東京の「鎌倉シャツ」オフィスで 「くろすとしゆき」(写真:左から2番目)と一緒に座った。
「くろす」は,アイビー・リーグの服を初めて発見して着た人の一人として,日本で伝説的である。1961年に24歳でブランドVANに入社した後,彼は社長(boss)の石津謙介に会社全体をアイビー・スタイルに再び集中させるよう説得した(convinced)。これはリスクのある動きであったが,最終的に会社に信じられないほどの成功,名声,そして幸運をもたらした。そして,VANの従業員であり,“MEN’S CLUB誌のライターでもあった「くろす」は,後に伝説的な写真集 “Take Ivy” を作成したチームの一員になった。

IS: How did you discover Ivy League style in Japan?
Ivy Style):どのようにして “Ivy League style” を発見したのか?

くろす」:「アイビー」という言葉を初めて見たのは,1954年春,雑誌「男の服飾」(後に “MEN’S CLUBに改名)の創刊号だった。この号には,A-to-Zにまとめられたメンズウェア用語集があり,「米国では,アイビーは大学生の間で非常に人気がある」と書かれた「アイビー・リーグ・スタイル」の項目(entry)があった。書かれていたのはそれだけだったが,私は興味をそそられた(intrigued)。たぶん,それこそ自分が欲しいものだろうと思った。

そして,私がジャズバンドで演奏する立川飛行場で,アフリカ系米国人の兵士がそのような服を着ているのを見たことがあることに気づいた。彼らは信じられないほどスタイリッシュだった。朝鮮戦争の真っ只中だったので,立川を発着する航空機がたくさんあった。誰もがお金を持っていて,キャンプの近くにはスーツの仕立て屋,シャツメーカー,靴屋がたくさんあった。友人と私は皆,米国が大好きだったので,キャンプの近くの衣料品店に行って,彼らが着ているものを作ってくれと言った。

当時,日本の仕立て屋はアイビー・スタイルについて何の知識もなかった。彼らは「ナチュラル・ショルダー」にすることができず,巨大なパッドが入ったものになった。私が最初のアイビー・スーツを普通の仕立て屋で作ったとき,彼らは通常の2つのボタンの上に3番目のボタンを付けるだけだった。シルエットはアイビーでも何でもなかった—それはただ奇妙(weird)だった。しかし,もちろん,すごい(great)と思って着た。

IS: What was so appealing about Ivy style to you?
Ivy Style):アイビー・スタイルの何があなたにとってとても魅力的だったか? 

くろす」:当時の日本のファッションとは正反対だった。流行に敏感な(hip)ミュージシャンは全員,肩が大きい(huge)ワン・ボタンのスーツ・ジャケットを着ていた。私は アイビー・ルックをファッションとして理解することすらできなかった—それはあまりにも異なっていた。私がアイビーの服を着始めたとき,人々は田舎の小さな町の市長のように見えると言ったと思う。それがイメージだった。しかし,それが面白くした理由だった。私は,新しいから嫌いだったのではなく,奇妙だったので気に入らなかった。日本の早い段階でアイビーを身につけた他の人々は,ほとんどが美術学校の学生だった。

IS: Was the first men’s fashion magazine Men’s Club the biggest influence on your style choices?
Ivy Style):最初のメンズ・ファッション誌 “MEN’S CLUB” は,あなたのスタイルの選択に最も大きな影響を与えたか?

くろす」:“MEN’S CLUB 誌に影響力があったが,それ以上にジャズが大きな影響力を持っていた。私は個人的にジャズが好きで,自分でもジャズバンドで演奏していた。当時,日本には米国のファッション誌はなく,“GQ” や “Esquire” も買えなかった。それで,ジャズ・レコードのLPカバーを見て,ミュージシャンの服を研究した。我々は 彼らを真似ようとした。

IS: In your book “The Ivy Era” (Aibii no jidai), you wrote that you asked a tailor to make you a button-down shirt but he couldn’t make it correctly.
(Ivy Style):あなたの本 “Days of IVY”(アイビーの時代)で,仕立て屋にボタンダウン・シャツを作るように頼んだが,彼はそれを正しく作ることができなかったと書いた。

くろす」:そのとおり,全て間違っていた。彼は,長袖のアロハシャツ(Hawaiian shirt)のようにカットし,襟に2つのボタンを付けた。それが,その時代の「ボタンダウン」のために我々ができる最善のことだった。私は本物がどのように見えるかを知らなかった。誇らしげに1年ほど着ていたが,本物の姿がわかると恥ずかしくて捨ててしまった。

IS: What was so appealing about American fashion at the time compared to European fashion?
(Ivy Style):当時の米国のファッションが,ヨーロッパのファッションと比べて何がそんなに魅力的だったか?

くろす」:当時,米国の商品は最高だった—少なくとも友人と私にとっては。我々は アメリカン・ジャズを聴き,コカ・コーラを飲み,アイビーを着た。米国は当時,最もクールだった。英国からは本当に何もなかった。

IS: Once you joined VAN and started manufacturing more authentic Ivy League styled-clothing, what was the early reaction from established clothing retailers?
(Ivy Style):VANに入社して,より本格的なアイビー・リーグ・スタイルの衣料品の製造を開始した時,既存の衣料品小売業者からの初期の反応はどうだったか?

くろす」:より進歩的なデパートは,VANを非常に迅速に在庫していた。バイヤーは我々がやっていることを知ると,我々をストックした。しかし,初めの頃の多くの時間,我々はより保守的なデパートのバイヤーにいくつかのVANの服を送ったが,彼らはこれを売る方法はないと言い,すべての服を送り返してきたものだった。彼らは我々のブレザーを見て,金色のボタンをすべて外すと言った。そのような ぶっきらぼうな人(gruff guys)がたくさんいた。ボタンダウン・シャツもそうで,この柄はいいが,襟のボタンが邪魔だと彼らは言った。

しかし,それはすべて東京オリンピックで変わった。日本チームは,VANの創設者である石津謙介のアイデアである,金色のボタンが付いた赤いブレザーを着た。それによってブレザーが社会に受け入れられるようなったので,突然,バイヤーは「このブレザーは素晴らしい,すぐに送ってください」になった。

IS: Why do you think VAN was such a success?
Ivy Style):何故 VANがそれほど成功したと思うか?

くろす」:VANは基本的に,これまで存在しなかったものや,米国では一般的であるが日本では入手できないものを作製した。我々は米国の製品をコピーしただけだが,全て 売れに売れた。しかし,これが我々のやっていることだと誰も気づいていなかった。

Tシャツを例にとってみよう。黙って店頭に置いてみたが,誰も購入しなかった。それで,我々は “MEN’S CLUB” 誌やどこにでも「すべての米国人学生はTシャツを着ている!」と書くと,突然誰もがそれらを買うようになった。

002h_20210421194201 IS: Where did the idea for “Take Ivy” come from?
Ivy Style):“Take Ivyのアイデアはどこから生まれた?

くろす」:“Take Ivyを作るために,突然そのお金を使うことにした理由は,私には実際にはわからない。おそらく,石津謙介のアイデアだったと思われる。「みゆき族」がアイビーのイメージを少し傷つけていたので,我々は 本物のアイビーの学生たちがずっと良い着こなしをしていることを示したかった。それで,急な通知で(on short notice)私たちは皆,クルーとして米国に,キャンパス・スタイルを撮影しに行った。元々のアイデアは,ほとんど誰も見たことがない映画を作ることだった。

IS: Didn’t you take the film on tour across Japan in 1965?
Ivy Style):1965年に日本でのツアー用として映画を撮らなかったのか?

くろす」:そのとおり,バンドとモデルを,東京以外のすべてのVANストアに連れて行き,市の中心部に顧客を集めた。2時間のショー -1時間の映画と1時間のファッションショー - を行った。九州から北海道まで行った。

しかし,多くの人がそれを見ることになったとは思わない。そして一年経って,とにかく誰もがそれにうんざりした。1965年はアイビーのピークだった。それで,1966年,1967年までに,それは過去のものであるように感じた。

映画よりもはるかに多くの人がその本を見た。“Take Ivyと言えば,人々はその本を思い浮かべるが,元々,それは映画だった。写真は映画の静止画のはずだったが,かなりできが良かったので本にまとめた。

IS: What was it like to go to the U.S. to shoot the film?
Ivy Style):映画を撮るために米国に行くのはどんな感じだったか?

くろす」:キャンパスには私たちに写真を撮ってほしくない人がたくさんいた。この写真を何に使うのかと彼らに訊かれた。それで,我々は 日本のVANというブランドの為に撮っていると言うと,それは単なるコマーシャルであって,自分はコマーシャルに参加したくないと彼らは言ったと思う。そのため,ほとんどの画像を秘密裏に撮影する必要があった。すばやく準備し,写真を撮り,去った。

ダートマス大学は許可を与えてくれた。
そこに行く約半年前,ダートマス大学は黒澤映画のショーなどを行う「ジャパン・ウィーク」を開催しており,1956年に銀メダルを獲得したオリンピック・スキーヤーの猪谷千春がダートマス大学の学生だったので,猪谷の母国の人なら誰にでも友好的だった。彼らは私たちクルーチームにシーンを撮影させてくれた。

当初,アイビー・リーグ8つのキャンパスすべてを撮ろうとしていたが,途中で無理だと気づき,6つしか回れなかった。これは,夏休み直前の5月末だったことによる。学生がいなかった。アメリカン・フットボールのシーンを撮影する予定だったが,オフシーズンで,ボールに触れることすらできなかった。我々は,この米国に非常に膨らんだビジョンを持っていた,そしてそれはちょうど継ぎ目で崩壊し始めていた。我々は,何をすべきか考えた。このことを撮影することさえできただろうか? 本当にがっかりした。

IS: Did you go to J. Press or Brooks Brothers when you were there?
Ivy Style):J.Press Brooks Brothers には寄らなかったのか?

くろす」:店にはいったが,何も買おうとは思わなかった。我々は,お金がなかったし,全てが非常に高価だった。学生たちに尋ねると,Brooks Brothers を知ってはいるが,非常に高価だと言い,我々は そこで買い物をしなかった。身なりの良い学生たちは皆,“Gant” のボタンダウンを推薦し,我々はニューヨークの “Paul Stuart” でそれを見つけた。

しかし,ほとんどの学生は,明らかにファッショナブルにしようとしていたとしても,ファッションにまったく興味がないふりをしていた。彼らはスタイリッシュであることをそれほど誇りに思っていなかったように感じた。我々が彼らに尋ねたときでさえ,彼らはただ「ああ,私はただ勉強のためにここにいる」と言ったものである。「着るものには関心がない。」

学生たちは,毎日,アイビー・リーグの服装を着て授業に出ている想像していたが,旅行中,彼らがどれほど「ドレス・ダウン」しているかに本当に驚いた。全員スーツを着て ドレス・アップしているに違いないと考えていたが,カットオフ・デニムのショートパンツと靴下なしのスニーカーだった。私は半分ショックを受け,半分絶望していた。私は彼らが「ボタンアップ(buttoned-up)」してないことに失望した。

IS: The button-down collar has a mythic significance for your generation in Japan. What does it mean in Japan?
Ivy Style):ボタンダウン・カラーは,日本では,あなたの世代にとって神話的な意味を持っている。 日本では何を意味するか?

くろす」:日本におけるボタンダウンは,米国のボタンダウンとは,導入の仕方が全然違う気がする。米国では,ボタンダウンを着ているのは特定の人だけだとよく耳にする。大統領のようにボタンダウン・カラーを着用することは許可されていない。しかし,日本では,「今年はボタンダウンが流行りです!」のように,襟の端にボタンを付けるのがファッション・トレンドの一部だった。ボタンダウンが好きな人はみんな60歳くらいで,若い頃はVANを着ていたと思う。彼らはその時代に洗脳され,今ではボタンダウン以外のものを着ることはない。しかし,多くはいない。

IS: You recently made a special button-down for the mail-order brand Light Up.
Ivy Style):最近,ネット販売ブランドのライトアップ用に特別なボタンダウンを作成したようだが-。

「くろす」:1960年代のボタンダウンをリメイクした。襟は今日見るものより やや小さい。その時代のシャツにできるだけ近づけるように心がけ,「Maker Shirts鎌倉」が作ってくれた。彼らは私に本当に素敵な厚いオックスフォードの布を見つけてくれた。

女性はすでにこれを理解していると思うが,メンズウェアは厳格なルールの下で作られている。私は これらのルールを曲げたくない。だから,できるだけオリジナルに近い再現を望み,反応は本当に良かった。

IS: Ivy style probably has a lot of rules, but at the same time, Ivy style broke a lot of rules when it came to Japan. How do you square this contradiction?
Ivy Style):アイビー・スタイルにはルールがたくさんあると思うが,同時に,アイビー・スタイルは日本にきて多くのルールを破った。 この矛盾をどのように折り合いをつける(square)か?

「くろす」:アイビーはたくさんのルールで日本に紹介された,そして私はそれらのルールを作った人の一人だった。1960年代,西洋の衣類に関して 誰も,何も知らなかった。繰り返しになるが,ブレザーの金ボタンを外してほしいと注文される時代だった。そこで,我々は,金ボタンだからブレザーであることを人々に伝えなければならなかった。我々は,「ブレザーは常に金ボタンを付ける」のような多くのルールを作る必要があった。

しかし,このルールの作成は,日本人のスタイルの理解を速めた。日本の人々は物事を「形(form)」で考えることを好む。これは 舞踊,茶道,華道などに当てはまる。先生を正確に模倣をすることによって何かを学び始める。このことは年配の人だけでなく,若い人でも,今でもそうである。日本人は適切な形で物事を始めたいと思っている。

IS: Did you think you’d make a career out of being an Ivy guru?
Ivy Style):アイビーの第一人者になるキャリアを積むと思ったか?

「くろす」:アイビー・スタイルを「教える」という考えには非常に不快に感じる。それはアイデアではなかった。私は真似しようと一生懸命努力していた今でもそうである。確かに,それは本当に素晴らしい模倣(mimicry)かもしれないが,私がそれを教えることになっていると考えるのは恥ずかしいことだ。

それでも,何年にもわたってアイビー・スタイルを飲み,消化する(digest)ことで,日本の誰もがそれについてはるかに賢くなった。1950年代と1960年代,我々は正確に模倣するだけだった。我々は米国のモデルと正確に歩調を合わせようとした。しかし,それ時代以後,我々は自分達に合うように少しひねった。アイビーは時代とともに進化し,より日本的になったと思う。

アイビーは「とんかつ(tonkatsu)」(breaded pork cutlet)によく似ている。「とんかつ」はもともとドイツ料理だったが,今では日本料理の一部になっている,よね?(right?)ご飯と味噌汁を添えて箸で食べる。

アイビーは「とんかつ」のようになった。アイビーは米国から来たが,日本に60年間滞在した後,我々は自分に合うようにアレンジした。私は,美しく「とんかつ化した(tonkatsu-ized)」アイビー・スタイルだと考える。

W. DAVID MARX

(転載了)

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初めの写真(アイビーリーガースの7人のサムライ)は 1959年4月発行 「メンズクラブ 第14集」掲載の座談会参加者です。
1番前に座っているのは イラストレーター 穂積和夫氏ですね。

くろす氏が VAN Jacket時代担当した “KENT” ブランドの製品を 学生時代(1968年~ )から 倒産する 1978年までと,2000年以後 かなり愛用しました。

現在では 会社の役員や政治家もボタンダウン・シャツを着ていますが,私が 50年前(1971年)に入社面接を受けるとき,ボタンダウン・シャツは 奇異な感じを面接官に与えるのでやめておいた方がいいというアドバイスがありました。ボタンダウン・シャツしかもってなかったと思う私が実際にどうしたのかという記憶はありません。面接は1社しかしていませんが,問題はありませんでした。

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